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第6回箏曲組歌演奏会 流派を超えて組歌の魅力を探る

2007年3月24日(土)開催

(東京四ツ谷・紀尾井小ホール)

300年以上前の日本で、八橋検校(1614〜1685)が創始した箏の弾き歌いによる歌曲、箏組歌。鳥居名美野師を代表とする現代邦楽研究所箏曲組歌研究会によって、近代箏曲の根本だった組歌の研究、研鑽が行なわれています。今回、山田流である鳥居師のみならず、他の流派の演奏家も多数集まって開催された、第6回箏曲組歌演奏会を取り上げます。また、箏組歌の奥義をさらに味わいたい方には、CD『鳥居名美野 箏組歌第一集』もあわせておすすめします。

*近代邦楽のエッセンス、日本のリート=箏組曲

文:星川京児

箏組歌は純邦楽のエッセンス

総勢16人で演奏された「天下太平」(表組、八橋検校城談作曲)
総勢16人で演奏された「天下太平」(表組、八橋検校城談作曲)

八橋検校が創始した箏組歌。王朝風の雅な歌詞に、これまたなんとも日本風なタメの効いた箏の伴奏が付いたもの。聴けば、一瞬にして花鳥風月、美しき日本の四季、風景、景物が浮かんでくるという、まさに純邦楽のエッセンスのようなジャンルである。それだけに、聴く方の感性、教養も計られてしまうという怖さもあるのだが。

それにしても八橋検校という人は凄い。彼の享年1685年は、あのバッハとヘンデルが生まれた年。昔、音楽の授業で習った、音楽の「父」と「母」が産声をあげた時、すでに箏曲、三味線、胡弓の近世邦楽の骨格は築かれていたのだ。

今回のプログラムは、山田流の鳥居名美野師を代表とする現代邦楽研究所箏曲組歌研究会主催だが、タイトルどおり、生田や継山など他流派も、伝承のスタイルをそのままステージに乗せて、それぞれの魅力を披露するという、ある種のガラ・コンサートとも言えるもの。こんな贅沢な時間は滅多に味わえるものではない。

総勢16人の奏者が舞台に乗る「天下太平」から「四季の友」「明石」「雲井曲」「心尽くし」「玉鬘」、鳥居名美野、山登松和の「若葉」まで全7曲。八橋検校3曲を入れて、表組、裏組、中組、奥組、そして平調子に雲井調子と、レパートリーも吟味・厳選されている。富山清琴、富山清仁組の齢による歌唱の対比など、歌唱のコントラストも面白い。

シューベルトにも優る日本歌曲

それにしても、邦楽というか、日本の伝統音楽・芸能においての歌(歌詞)の重要さは、ちょっと他に見当たらない。同じアジアの古典声楽をみても、ペルシアやインドには、人間離れした特殊な唱法があり、なかには詞を伴わないものすらあるのだ。中国の京劇や粤劇(注)の唱法も、その特殊性は明らかだし、李朝の國樂の息遣いも、まずは唱法技術が優先する。それゆえに、門外漢でも判りやすいという部分もあるのだが。

ところが本朝の歌曲ときたら、歌詞が理解できて初めて曲の良さが見えてくるという、素人にはやっかいな代物。もちろん、詞の内容なんか判らなくても音楽的に十分楽しめるが、やはり風景、心情が伝わるには、ある程度の理解は必要。今回だけでなく、大概のプログラムに詞が掲載されているのも、このことと無関係ではないだろう。本来は、聴衆も含めて、誰もが歌詞を共有していたのだろう。江戸ブルジョア文化の極致。江戸のサロン・ミュージックと言い換えてもいい。

このことは日本人の洋楽受け入れ過程と似たところもある。最初に交響曲などオーケストラもので入っても、そのうち室内楽の良さが見え始め、最後は歌曲。オペラや古楽、バレエに行くのは嗜好の問題としても、リートとなったらけっこう難しい。それだけに嵌ったら抜けられない魅力があるのか、熱狂的なファンが多い。リートも、ゲーテなど詩人の作品に、きっちりと対応する譜面上の決まり事があり、ドイツ的詩情というものと切り離せない。そう考えれば、八橋検校は日本歌曲の先駆けでもあったのか。

あのシューベルトにも優っていたということですね。

※写真はリハーサル時のもの

注:粤劇(えつげき、ユッケッ)
中国の広東地方で受け継がれている歌舞劇。北京の京劇同様、チャイニーズオペラとして知られている。

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

「秋風曲(あきかぜのきょく)」でのジョイント。左に山登師、右に善養寺師。

ZEN YAMATO vol.2

2007年1月31日(水)開催
(東京・紀尾井小ホール)

尺八演奏家・善養寺惠介さん=”ZEN”と箏曲演奏家・山登松和さん=”YAMATO”のジョイント・コンサート”ZEN YAMATO vol.2″の模様です。さらに客演に大間隆之さん、富山清琴さんを迎え、古典の素晴らしさがたっぷり味わえる演奏会の模様をお届けします。おふたりのコメントや写真が楽しめるブログ”ZEN YAMATO” へのアクセスもおすすめです。

文:笹井邦平

最強のタッグ

タイトルはやや不可解だがZENとは尺八演奏家・善養寺惠介(ぜんようじけいすけ)師、YAMATOとは山田流箏曲演奏家・山登松和(やまとしょうわ)師、つまりこの2人のジョイントコンサートなのである。

2人は東京藝術大学音楽学部邦楽科の1年違いの先輩後輩で今が旬のイケメン演奏家。善養寺師は昨年秋の箏曲のリサイタルには殆ど出演していた売れっ子、会主は変わっても尺八はいつも彼だった。山登師は山田流箏曲では山勢家・山木家とともに〈御三家〉と云われる名門山登家の七代家元、やはり昨年秋の演奏会では助演でよく舞台に立っていた。つまりこの2人は史上最強の若手演奏家タッグなのである。

序曲はプロフィール

「秋風曲(あきかぜのきょく)」でのジョイント。左に山登師、右に善養寺師。
「秋風曲(あきかぜのきょく)」でのジョイント。左に山登師、右に善養寺師。

開演前に善養寺師が客席に現れてトークを開始、以後山登師も加わって2人のトークで進行する。紀尾井小ホールでは解説者や司会者が出て進行する演奏会は多々あるが、演奏者が自らトークして進行する演奏会は珍しくフレッシュである。

ファーストプログラムは善養寺師が尺八古典本曲「調子」、続いて山登師が光崎検校作曲・箏組歌「秋風曲(あきかぜのきょく)」を演奏し善養寺師が所々尺八をあしらう-といういわば自らの持ちネタと軽いジョイント。「調子」は尺八の鳴り具合を調べて呼吸と音調を整えるいわば前奏曲、「秋風曲」は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を綴る抒情詩である。

善養寺師によると自分が本曲を吹くと言ったら山登師は「じゃあ僕は〈組歌〉をやる。2つとも向いている方向が同じような気がするから……」と言ったという。

同じ方向とはどういうことか善養寺師は言わなかったが、〈尺八古典本曲〉は尺八ソロで吹く尺八音楽の基本形・原点、〈箏組歌〉も箏ソロで弾き歌いする箏曲の基本的な演奏スタイル、ともに無駄な音を一切省いて1つの音を究極まで研ぎ澄ましたシンプルゆえに奥深い広がりを持つテキストの如きジャンル、同じ方向とはこのことではないだろうか。

上手で善養寺師が吹奏し始めるとそこにスポットライトがポンと落ち、続いて下手で山登師が箏を弾き始めると同じくスポットが落ちて照明もいたってシンプル。2人の芸の根っ子が見えてくる如き2人の演奏家のプロフィールあるいはイントロといった感がある。

キーワードは酒

「赤壁賦(せきへきのふ)」。中央に大間隆之師。
「赤壁賦(せきへきのふ)」。中央に大間隆之師。

2曲目は山登師の藝大の師である中能島欣一作曲「赤壁賦(せきへきのふ)」。赤壁は中国湖北省にある景勝の地でその美しさを歌った曲、山登師の箏・善養寺師の尺八に客演として山登師の藝大の先輩・大間隆之(おおまたかゆき)師が箏を演奏。山登・大間師のクリアな箏の音と歌、善養寺師の深みのある美しい尺八のメロディが見事に溶け合って古代中国の墨絵の如き絵巻物が広げられる。

トリは2人に先輩格の富山清琴(とみやませいきん)師が三絃(三味線)で助演する菊岡検校作曲「笹の露」。別名「酒」ともいわれるこの曲は酒を称えた歌詞と間に入る華やかな手事(てごと-間奏)が特色の曲、富山師の味のある歌と三絃が絶妙のサポートをする。

歌と三絃に富山清琴師(中央)を迎えた「笹の露」。
歌と三絃に富山清琴師(中央)を迎えた「笹の露」。

3曲目に入って気がついたのは今宵の出演者は全員男性、普段女流の演奏会の取材が多い私にとって晴着や留袖ではなく黒紋付のみのモノクロの世界はユニークである。そして、トークを聞けば全員酒豪、そもそもこのジョイントはゴールデンウィークに仕事がないので2人で酒を酌み交わしたのがスタートだという。そこに大間師・富山師が加わり酒豪四天王の揃い踏みとなった。

そして、女流の演奏に比して箏・尺八・三絃の音色が力強くボリュームもありズシリと身体に響いてくる。箏曲界では数少ない男性ユニット、今後の活躍を期して乾杯。

写真はリハーサル時のもの

富山清琴(とみやま せいきん)

tomiyama_profile1950年初代富山清琴の長男として生まれる。1973年東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。1975年同大学講師を務める。1981年国際交流基金派遣使節として西欧四ヵ国を巡演。1983年ヨーロッパ日本芸術祭公演使節として西欧六ヵ国を巡演。お茶の水女子大学講師を務め現在に至る。1986年文化庁芸術祭賞受賞(89年、91年にも同賞受賞)。1992年国際交流基金派遣三曲使節として西欧四ヵ国を巡演。1994年同使節として北欧四ヵ国を巡演。2000年富山清琴を襲名、家元を継承。2003年エジンバラ国際フェスティバルに招かれ演奏。2004年日本芸術院賞受賞。パリ市立劇場に招かれ演奏。2006年松尾芸能賞優秀賞受賞。

大間隆之(おおま たかゆき)

ooma_profile中田博之師(重要無形文化財保持者)に山田流箏曲を師事。1984年東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。在学中、増渕任一郎、藤井千代賀、山勢松韻の各師に師事。1982年、イギリス(ブリストル)で開催された国際音楽教育会議(ISME)に東京芸術大学から派遣され演奏する。1986年、東京芸術大学大学院修士課程修了。1987〜89年、1993〜95年、同大学に助手として勤務。1985〜86年、文化庁国内研修員に任命され、常磐津松尾太夫師に常磐津を師事研修する。1989年、フランス(マルセイユ)で開催されたジャパン・ウィークに中田博之師と参加出演。1993年、国際交流基金主催のアフリカ巡回公演に参加、タンザニア・ケニア・ジンバヴエ・南アフリカの四ヵ国で演奏。現在、東京芸術大学非常勤講師・山田流箏曲協会理事・日本三曲協会広報委員。山田流箏曲箏楽会・新潮会・曠の會会員。

山登松和(やまと しょうわ)

yamato_profile山田流箏曲山登派七代家元
東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業・同大学院修士課程修了
祖母山登愛子、中能島欣一師、鳥居名美野師に師事
第5回ビクター財団賞「奨励賞」受賞
第1回「山登松和の会」にて文化庁芸術祭優秀賞受賞
CDリリース、コンサートなど精力的に活動。
山登会主宰 (社)日本三曲協会理事 山田流箏曲協会理事
跡見学園中学・高等学校箏曲講師

善養寺惠介(ぜんようじ けいすけ)

zenyoji_profile東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。
学部、大学院を通して人間国宝、山口五郎に師事。
1999年、第一回独演会『虚無尺八』開催、現在に至るまで5回を重ねる。
2000年2月、尺八教則本「はじめての尺八」(音楽之友社刊)を執筆。
2002年5月、ビクター財団賞「奨励賞」受賞。同年10月、世界銀行主催、世界宗教者国際会議(於 イギリス カンタベリー大聖堂)にて、招待演奏。
そのほか、国際交流基金派遣などによるヨーロッパ、アジア各地での公演多数。
百錢会主宰、NHK文化センター町田教室、川越教室講師。

『石丸亭』初春女流競艶

2007年1月11日(木)開催
(東京秋葉原 石丸電気SOFT2)

昨年8月にスタートした秋葉原の落語イベント”石丸亭”。木戸銭500円、または対象落語CDを石丸電気でご購入の方はご招待という、気軽に落語が楽しめる大好評イベント(今後のスケジュールはこちら)で、早くも5回目、新年1月11日に開催されたのは”初春女流競艶”。新進気鋭の女性2名、柳亭こみちさん(落語)、神田ひまわりさん(講談)を迎えた石丸亭をレポートします。

初春や秋葉に萌え出た花二つ

文:星川京児

【萌え】の本拠地で、初春女流競演

老若男女が開演を待ち構える
老若男女が開演を待ち構える

なにより「初春女流競艶」というタイトルがいいですね。これに「若手、新進」と付けてもいいのではないでしょうか。こみちさんがマクラで、ヴィジュアル系ではないと断っていましたが、どうしてお二方とも十分に美しい、と思います。

寄席仕様の石丸電気SOFT2入口
寄席仕様の石丸電気SOFT2入口

【萌え】の本拠地、秋葉原石丸亭でも違和感はありません。昨今増えてきたとはいえ、まだまだ露出の少ない女流落語家、講釈師。若さと美貌という【華】を活かすのを躊躇する必要はありますまい。

先が楽しみな柳亭こみち

愛くるしく刈り込む柳亭こみち
愛くるしく刈り込む柳亭こみち

柳亭こみちは昨年11月に二ツ目昇進なったばかりの、まさに新進気鋭の若手落語家。一所懸命ななかにも、どこかとぼけた味わいがあるのは、大師匠の小三治師を思わせます。

演題は「湯屋番」。若手から大看板まで、取り上げられることの多い噺ですが、それだけに噺家の個性が際だつともいえましょう。居候の苦労というか、図々しさというか、お馴染みのくすぐりから、番台の妄想シーンまで、一気に駆け上がる。動きも大きいし、どちらかというと主人公の若旦那に近い、若さと体力を要求されるものです。それに、昔の速記本など読むと、かなりどぎつい描写や、艶っぽい場面もありますが、そこは女流ならではの愛くるしさを武器に、楽しく刈り込んで、こみち流に仕上げていました。「初天神」「雛鍔(ひなつば)」のように子供の出てくる噺だけでなく、道楽者の若旦那も女流に向いているのかなあと思わせただけでも立派な収穫。先が楽しみです。

神田ひまわりの【読む】快感

黒紋付袴姿とひっつめ髪の神田ひまわり
黒紋付袴姿とひっつめ髪の神田ひまわり

神田ひまわりは名前からも判るように、神田一門の講釈師。師の神田山陽他界の後に、五代目柳亭痴楽に入門。協会は違えども期せずして柳亭対決と相成ったわけであります。

ということもあって、演じ方は落語風のバラエティ路線かと思いきや、これがフォーマットの決まった本寸法。女流の多い神田一門のなか、いかに個性を打ち出すかの結果がこの方向なら、まずは正解といえましょう。

採り上げた「五貫裁き」は落語でもよく高座にかかる大岡裁きもの。一般的に落語では「一文惜しみ」として演じられていて、あの昭和の名人圓生も得意にしてました。立川談志、志の輔の師弟は、談志が直接習った一龍斎貞丈に則って「五貫裁き」を使っているだけでなく、勧善懲悪を超越した独自の視点が痛快でした。上方でも桂南光がそのタイトルで演ってましたが、これまた関西弁ならではの不思議な緩(ゆる)さが心地よい。けっこう、演る人が表に出る噺のようです。

ひまわり版「五貫裁き」は、きっちり、オーソドックスに演じております。武張った奉行所シーンは当然として、軽妙な大家の太郎兵衛と初五郎の掛け合いなどのコントラスト。釈台を叩く張扇の響きもテンポよく、まさに語る、話すではなく【読む】を楽しむ快感。女流には珍しい黒紋付袴姿とひっつめ髪が、しっかり世界を創りあげています。

初春らしい、ほんわかとした空気が寄席を包み込んで、とてもいい御年玉でありました。

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

第十三回 福田千栄子演奏会

2006年12月20日(水)開催
(紀尾井小ホール)

1992年より継続し、高い評価を得ている定期演奏会「福田千栄子演奏会」。今年は12月20日に紀尾井小ホールにて開催、多数の聴衆が訪れ、歌と糸との音の絡み合いの妙味を堪能しました。他分野とのコラボレーションでも知られる福田さんの、本来の姿といえるコンサートの模様をお届けします。

文:笹井邦平

サラブレッドの実力派

福田千栄子(ふくだちえこ)師は平成五年度文化庁芸術祭賞を史上最年少で受賞し(私の記憶では二十代だったと思うが)、現在三曲界の中堅実力派として活躍を続けている。

祖母は九州系地歌箏曲の福田栄香(ふくだえいか)師、父は福田種彦(ふくだたねひこ)師というサラブレッドの家系に生まれ、種彦師の箏の名演奏に乗って「さくら」を歌って初舞台を踏んだのが三歳だったという。

折り返しの原点回帰

箏組歌「須磨」
箏組歌「須磨」

今回のリサイタルのテーマは〈歌〉。日本音楽は基本的に歌がメインでその伴奏が箏や三味線などの弦楽器、それを装飾するのが尺八や横笛などの管楽器と鼓・太鼓などの打楽器いわゆる〈囃子(はやし)〉である。特に九州系地歌箏曲は〈歌〉と箏・三絃(三味線)など〈糸〉との微妙な音の絡み合いを深く極めているジャンルで、今回のプログラムは千栄子師の芸の〈原点回帰〉ともいえる。

二十代で芸術祭賞を受賞して若手のホープといわれた千栄子師も今や四十代、いわば人生・芸道半ばの円熟期に達し、「初心に帰って自らの芸の足跡を振り返り、それを糧に新しき芸道を切り開く」-私は彼女の今回のコンセプトをこう見ている。

自らの足跡映す「ゆき」

2曲目の「雲井弄斎」
2曲目の「雲井弄斎」

はじめの曲は「須磨(すま)」(歌・箏-福田千栄子)。これは〈箏組歌(ことくみうた)〉と云われるジャンルで和歌などを何首か組み合わせて綴る構成で、『源氏物語』の中の須磨へ流された光源氏の傷心をテーマに千栄子師の澄んだ歌声とたおやかな箏の音色が絶妙のバランスで鏤められてゆく。

2曲目の「雲井弄斎(くもいろうさい)」は同名の〈箏組歌〉があるので、三絃で弾き歌いするこの曲は別名「歌弄斎」とも云われ、17世紀半ばに流行した〈弄斎節〉という歌謡の歌詞を用いているのでこう呼ばれる。歌の間に入る〈手事(てごと)〉という間奏が聴かせ処で、千栄子師の凛とした歌と三絃のメリハリのある音色が箏歌とは違ったタッチでサクサクと運んでゆく。

福原徹師(正面右)との「ゆき」
福原徹師(正面右)との「ゆき」

終曲は地歌の中で最も演奏頻度の高い人気曲「ゆき」。これは〈端歌物(はうたもの)〉という比較的短い曲で恋や廓をモチーフにしたものが多く、「ゆき」は元大坂南地の芸妓で今は出家した尼僧が来ぬ人を待って明かした夜の切なさを回想する-という内容。緞帳が上がる前から大太鼓で〈雪音〉が打たれ、千栄子師の艶やかなそして何かもの悲しい三絃の弾き歌いに福原徹(ふくはらとおる)師のこれもくすんだ悲しみや怒りを堪えた如き笛の音がそこはかとなく響く。

「千栄子さんもこんな曲が自然に歌えるようになったのか」という想いが私の胸にこみ上げる。それは一児の母としてご子息を育て、3年前に芸の師でもある父・種彦師を亡くし、人として女としての悲しみ・苦しみを乗り越えて飽くなき芸道の研鑽と開拓を目指す千栄子師の今の姿を映しているからだ。その姿は美しく哀しい。

写真はリハーサル時のもの

福田千栄子(ふくだ ちえこ)

幼少より、父福田種彦に箏・三弦の手ほどきを受ける。三歳で初舞台。

1988年 NHK邦楽技能者育成会第三十三期卒業。
昭和六十三年度文化庁国内芸術研修生。
1992年 初リサイタル「福田千栄子演奏会」を開催。(以降継続開催)
1993年 第二回リサイタルに対し、平成五年度文化庁芸術祭賞を受賞。(史上最年少)
1997年 第六回リサイタル「福田千栄子演奏会――独奏の調べ」に対し、平成九年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
1998年 (財)ビクター伝統文化振興財団より、初CDアルバム「芸術祭賞記念盤・秋風の曲」をリリース。
1999年 ドイツ国内にて「福田千栄子アンサンブルコンサート」を巡演。ケルン日本文化会館三十周年式典演奏には、秋篠宮殿下、妃殿下御臨席。
2000年 国際交流基金主催事業「福田千栄子アンサンブルコンサート」を東南アジア四カ国にて巡演。
2004年 十二月四日、朝日新聞記念会館ホールにて、福田種彦一周忌追善演奏会開催。三ッの音会を継承し三代家元となる。

舞台・TV・ラジオでの演奏、教授活動の他、ワークショップなどにも意欲的に取りくみ活動の場を広げている。
現在、社団法人日本三曲協会参与。生田流協会理事。三ッの音会主宰。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

終曲となった大曲「八重衣」。

安藤政輝 箏の世界

2006年11月19日(日)開催

(北とぴあ つつじホール)

優れた邦楽演奏家であり、学術博士である安藤政輝さん。CD『安藤政輝 箏の世界』の発売とあわせ、秋の深まりが感じられる11月、北とぴあ国際音楽祭2006公演の一環となるコンサートが開かれました。豪華な共演者を迎え、CDとまた一味違う、素晴らしいステージの模様をレポートします。

文:笹井邦平

宮城道雄の心を継いで

会場は詰め掛けた聴衆で満員
会場は詰め掛けた聴衆で満員

普段邦楽を聴かない人でも正月に商店街やショッピングセンターで流れる「春の海」のメロディは耳に残っているはず、これが正月気分をいっそう盛り上げ箏曲の代表曲のように思われがちだが、これは故宮城道雄(みやぎみちお)師が昭和4年に作曲した〈新日本音楽〉と云われるジャンルの名曲で、決して江戸時代より伝わる古典曲ではないが、春の穏やかな海辺の風景を綴った美しい曲想は親しみ易く箏曲のスタンダードナンバーとなっている。

安藤政輝(あんどうまさてる)師はその宮城師の親戚筋にあたり、最後の弟子とも云われる。1990年より約350曲ある宮城道雄作品の〈全作品連続演奏会〉を立上げ、現在は中断しているものの「まだ三分の一くらいまでしかいっていないのでいずれ再開したい」と安藤師は語る。

古典曲にチャレンジ

「五段砧」。二代野坂操壽師との競演。
「五段砧」。二代野坂操壽師との競演。

これまでの安藤師のリサイタルには必ず……と言って良いほど宮城作品がいくつか含まれていたが、今回〈安藤政輝 箏の世界〉というタイトルで古典曲のみを集めたCDが当財団より発売され、その発売記念として北区文化振興財団が主催する〈北とぴあ国際音楽祭2006〉の参加公演としてこのリサイタルが開催された。

1曲目は「五段砧(ごだんぎぬた)」を二代野坂操壽(にだいのさかそうじゅ)師との箏の競演で、本手(主旋律)と替手(助奏や装飾音)との合奏―というスタイルで演奏。

砧とは布を叩いて柔らかくして艶を出すために使う石の槌、澄み切った秋の夜空に響くリズミカルなその音は〈秋の風物詩〉として音楽化され、〈砧物〉として箏曲の1ジャンルを形成している。歌を基本とする古典箏曲の中では演奏だけの数少ない器楽曲で、野坂師との呼吸(いき)の合った絶妙の掛け合いに会場が静まり返る。

他流・重鎮との競演

山勢松韻師との「松竹梅」。
山勢松韻師との「松竹梅」。

2曲目は山田流の人間国宝・山勢松韻(やませしょういん)師の三絃(さんげん・三味線)との合奏で「松竹梅(しょうちくばい)」。これは歌の間に〈手事(てごと)〉と云われる聴かせ処の間奏が入る古典曲本来のスタイル。安藤師は生田流(いくたりゅう)で違う流派との競演は新鮮、山田流の歌は〈定間(じょうま・コンスタントな拍子・リズム)〉で聴き易く、山勢師はその山田流の第一人者で、味わい深い山勢師の歌と安藤師の華麗な箏が見事に溶け合う。

終曲は三曲協会会長で生田流の重鎮・二代米川文子(にだいよねかわふみこ)師の三絃と安藤師の箏の合奏で「八重衣(やえごろも)」。これは『小倉百人一首』の中の〈衣〉を詠んだ和歌を五首四季の順に綴った曲で、箏曲のリサイタルによく演奏される大曲である。米川師の古典の匂い芳しい深みのある歌と三絃、安藤師のリズミカルな箏がこの大曲を華麗に盛り上げる。

古典を現代のテンポで

終曲となった大曲「八重衣」。
終曲となった大曲「八重衣」。

3曲聴き終わって感ずるのは古典曲にしてはテンポが早くリズミカルであること、つまり古典の黴臭さがなく、21世紀の現代人の感覚で演奏していることである。それが古典に現代の息吹を与える―ということで、宮城道雄師が古典をベースに昭和の新しい日本音楽を創りだした状況に近い。

古典とは古いフォームに演奏する人間の血を通わせることで蘇る―そんな想いが胸を過ぎった。

(写真提供:安藤政輝)

安藤政輝(あんどう まさてる)

andomasateru宮城道雄・宮城喜代子・宮城数江に師事。宮城会第1回コンクール第1位。東京芸術大学大学院博士課程修了。日本で初めての音楽家による博士(学術博士)として日本音響学会、国際音響学会、音楽教育国際会議、日本音楽教育学会等において論文発表および演奏・講演等。(英)ケンブリッジ大学サマースクール、(米)アーラム大学における教授活動の他、カーネギーホール、ムジークフェライン、サラエボ国際ウインターフェスティバルにおける演奏など海外でも活動。
1972年より現在までに20回のリサイタルを開催。1990年からは「宮城道雄全作品連続演奏会」を開始、継続中。
『生田流の箏曲』(講談社 13刷)、ビデオ『箏〜さくらを弾きましょう〜』(ビクター伝統文化振興財団)などの著作がある。
現在、東京芸術大学教授。輝箏会・箏グループかがやき主宰。
ホームページURL:http://www.h2.dion.ne.jp/~masando/

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

中村明一虚無僧尺八の世界 東北の尺八 霊慕

2006年10月13日(金)開催

(東京・神田カザルスホール)

2006年10月13日カザルスホールでの「中村明一虚無僧尺八の世界 東北の尺八 霊慕」。ジャズやロック、現代音楽といった幅広いジャンルで活躍する中村明一さんの尺八音楽のコンサートに多数の聴衆が訪れ、その深みと広がりのある音世界を堪能しました。伝統に裏打ちされながらも、新たな可能性を感じさせるステージの模様をお届けします。

虚無僧尺八の最先端「中村本曲」の誕生

文:星川京児

レパートリーは全て古典本曲

「霊慕」。三尺一寸管を用いている。
「霊慕」。三尺一寸管を用いている。

ジャズやロック、現代音楽と幅広いジャンルで活躍する中村明一が、ライフワークともいえる「虚無僧尺八の世界」。最新作『東北の尺八・霊慕』発売に合わせて行われた十四回目のリサイタル。

当然レパートリーは全て古典本曲(注1)。いずれも宮城、岩手、福島など東北に起因するもの。「三谷」「鶴の巣籠」「霊(鈴)慕」と古典本曲ファンには馴染みの曲目が並ぶが、どこか重厚な気韻を感じさせるのは東北の風土によるものか。越後明暗寺(みょうあんじ)に発する「連芳軒(れんぽうけん)・喜染軒(きぜんけん) 鶴の巣籠」と、津軽の根笹派錦風流とも関係が問われる岩手の松厳軒(しょうがんけん)、もしくは宮城の布袋軒(ふたいけん)伝承「鶴の巣籠」との対比や、コンサートの白眉、三尺一寸管を用いた奥州「霊慕」など、これまでの蓄積を一気に吐露したかのような迫力。間に挟み込まれた一尺七寸の「桜落(さくらおとし)」と一尺五寸の「宮城野清掻」があってそれぞれの個性がより際だつ。まさに絶妙のプログラムといえよう。

それぞれの曲を「音楽作品」として提示

古典本曲には現代音楽やフリージャズに共通する、ある種、瞬間的な抽象化といった概念がある。少なくとも、旋律を聴いて頭の中でなぞらえるといった、通常の音楽鑑賞では賄いきれない作品があることはたしか。これを楽しむためには、それなりの訓練、慣れ、そして聴き手の直感が要求されるのだ。たった一つの音で音楽になってしまう楽器など他に無いのだから。その一音にすべてを集約したようなジャンルが、吹くこと【吹禅】を修行とした虚無僧尺八である。それだけに一歩間違えれば音そのものの混沌、精神性云々に溺れかねない。それを良しとするところすらあるのだ。このリサイタルでは、それぞれの曲を「音楽作品」として提示。「本曲」だからという逃げ道を自ら塞いだ姿勢が、なんともいい。

これは師である横山勝也(注2)の音楽に対する冷徹な距離感と、尺八を吹く意味を問い続けた海童道祖(わたづみどうそ)(注3)との調和が結実しているといえよう。きわめて抽象的な音表現でありながら、同時にエンターテインメントとして耳に心地よいという、一見相反する効果を上げてしまうのは言葉で言うほど簡単なことではない。これは音楽のジャンルを問わない。

循環呼吸法と倍音による「中村本曲」

それにしても尺八の循環呼吸法(注4)というのは恐ろしい武器である。本来は途切れてしまうはずの音の流れを、曲の要求に合わせて自在にコントロールする。加えて、倍音の豊かさを音域の突破口とする。中村明一にとって、全ての音が頭の中にサンプリングされているかのよう。これはもう「中村本曲」といえるもの。

前回の北陸編は読経と併せるという離れ業を魅せてくれたが、今回は朝倉摂の美術が曲に不思議な透明感を与えていた。

アンコールの「Trance Formation」は尺八の離れ業オンパレードの同時代的作品だが、なぜか今様虚無僧尺八に聴こえてしまった。これも中村マジックなのだろうか。

写真提供:オフィス・サウンド・ポット

注1 本曲

もともと宗教音楽だった尺八音楽が、音楽的な向上をはかって整理され、まとめられた基本的なレパートリーを指す。琴古流、都山流などさまざまな流派の本曲がある。

注2 横山勝也

1934年生。琴古流尺八奏者。父の横山蘭畝(らんぽ)、福田蘭童、海童道祖に師事。1964年に山本邦山、二代青木鈴慕と尺八三本会を結成。流儀を超えて”尺八ルネッサンス”とよばれるブームを起こした。

注3 海童道祖(わたづみどうそ)

1911年生。1992年没。普化(ふけ)尺八奏者。福岡県生まれ。本名は田中賢道。禅の精神から出発した独自の哲学を背景に、「行」の実践に徹し、尺八を演奏。現代音楽の世界に大きな影響を与えた。

注4 循環呼吸法

吹きながら同時に息を吸い、息継ぎなしに吹き続ける技術。

中村明一(なかむら あきかず)

Nakamura_kimonoC横山勝也師、多数の虚無僧尺八家に尺八を師事。米国バークリー音楽大学およびニューイングランド音楽院大学院にて作曲とジャズ理論を学ぶ。自ら開発した方法による循環呼吸(吹きながら同時に息を吸い、息継ぎなしに吹き続ける技術)を自在に操る尺八奏者。虚無僧に伝わる尺八曲の採集・分析・演奏をライフワークとしつつ、ロック、ジャズ、現代音楽、即興演奏、コラボレイション等に幅広く活躍。外務省・国際交流基金の派遣などにより、世界30ヶ国余で公演。CD「虚無僧尺八の世界」シリーズ第1弾「薩慈」により平成11年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞、第4弾「北陸の尺八 三谷」により平成17年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞。第8回リサイタル「根笹派錦風流を吹く」により第19回松尾芸能賞。作曲家としても活躍し、ドイツ国営放送など各方面より委嘱作品多数。第18回文化庁舞台芸術創作奨励賞。自らの極めた呼吸法から日本文化を論じた著書「『密息』で身体が変わる」を新潮社より上梓。桐朋学園芸術短期大学講師。日本現代音楽協会会員。
http://www.kokoo.com

 

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

石丸亭〜秋の夜噺

2006年8月31日(木)開催
(東京秋葉原 石丸電気SOFT2)

注目の街、東京秋葉原にある石丸電気SOFT2内に作られた寄席”石丸亭”。人気の落語を身近なものとして、多くの方が気軽に楽しんでいただけるようにと誕生しました。木戸銭わずか500円、ビクター落語CDをご購入された方はご招待、さらに9月29日10月27日と予定されている落語ファン大注目のイベントをレポートします。

“萌えの落語『石丸亭』”

文:星川京児

秋葉原に新しい席、誕生

石丸電気SOFT2入り口にちょうちん。"石丸亭"誕生。
石丸電気SOFT2入り口にちょうちん。”石丸亭”誕生。

いま落語がブームだそうです。落語を題材にしたドラマや、しばらく途絶えていた大看板の襲名があったりと、これまでこの世界にあまり縁のなかった人たちまで巻き込んだ結果とのこと。そういえば浅草や上野では平日の立ち見も珍しくな

い。相変わらず池袋はゆったりしていますが。

イベントスペースが本格的な寄席に変身
イベントスペースが本格的な寄席に変身

そんな折り、また一つ新しい席が誕生。それも今を時めく秋葉原は老舗の石丸電気SOFT2ときた。若手真打ち、期待の二つ目、まさに「萌えー」の新鮮さ。これでは期待するなという方が無理でしょう。とにかく記念すべき幕開きは五街道雲助(ごかいどう くもすけ)門下、期待の星二人。

旬の囃家、五街道佐助

五街道佐助
五街道佐助

まずは五街道佐助(ごかいどう さすけ)で「金明竹(きんめいちく)」。前半の傘や猫の貸し借りの「骨皮(ほねかわ)」と後半の道具を早口で喋る「金明竹」と二つの噺を合わせたもの。前座から真打ちまで多くの噺家が取りあげるネタです。ビクター落語では先代の三遊亭金馬師匠がお手本のような噺を聴かせてくれます。なかには三遊亭円丈師匠のように「名古屋版金明竹」もあってそれなりに工夫も凝らせる爆笑噺。それだけに聴く方もつい比べてしまう。それも寄席でさらりと流すならともかく、ここでは時間がたっぷり。いくら枕で伸ばしてみても、本編がしっかりしていないとちぃと辛い。そこはさすがは芸にうるさい五街道一門。きっちりと笑いをとってくれました。

来年秋には真打ち昇進も決まり、それもあの古今亭志ん生が名乗ったという隅田川馬石を継ぐというから凄い。といっても19回も名前を変えた志ん生が一月だけ使ったという、まるで「代書屋」の露天商経験なみの名跡。十分にシャレも効いています。

とまれ、真打ち目前の二つ目という、まさに旬の噺家であります。

桃月庵白酒の天然のふら

桃月庵白酒
桃月庵白酒

トリは、といっても二人だけですが、三代目桃月庵白酒(とうげつあん はくしゅ)。去年の秋に真打ち昇進したばかりの新鋭。師匠の五街道雲助も変わっていますが、大師匠の金原亭馬生(きんげんてい ばしょう)一門にも聞き慣れない亭号が散見。初音屋、天乃家、鈴の家にむかし家ですよ。孫弟子が桃月庵で、来秋には隅田川とくるのですから……。

さて演目は「転宅(てんたく)」。別名「義太夫がたり」ともいう、先代金馬や小圓朝師匠が得意とした噺です。そのまんま演っても面白いのですが、泥棒とお妾さんのやりとりがあまりくどくちゃいけません。つい騙される泥棒に感情移入したくなるような、ほんわかとした味わいが欲しいところ。この点、白酒師匠には、なんとなく騙されそうな。といって、それが決して致命傷にはならないだろうと思わせる、天然のふら(注)がある。絵的にも柄に合ってます。古典ですが、現代にも十分置き換えられるという説得力があり、将来大化けしそうな予感を持ったいい噺家さんでした。

ひょっとしたらこの『石丸亭』。幕開きから「萌えー」の域は越えているのかもしれません。

注:落語で使われる言葉で、キャラクター、個性といったその人特有の面白味などを指す。

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

奄美しまうたの心 武下和平の芸術 第22回〈東京の夏〉音楽祭2006

「大地の歌・街角の音楽」日本音楽のかたち—(二十三)

2006年7月12日(水)〜13日開催
(東京四ッ谷・紀尾井小ホール)

今年で22回を数える〈東京の夏〉音楽祭。“大地の歌・街角の音楽”というテーマをもとに12種類のイベントや公演が1ヵ月近くにわたり行なわれました。そのなかのひとつ、「日本音楽のかたち」という切り口で行なわれた、奄美しまうたの心を伝える武下和平さんの公演をレポートします。

文:笹井邦平

ピュアなしまうたウォッチング

〈しまうた(島唄)〉は鹿児島県奄美諸島や沖縄県で三線(さんしん−三味線)で弾き唄いする民謡である。1992年沖縄の〈しまうた〉の要素を採り入れたTHE BOOMの「島唄」がヒットしたが、奄美と沖縄ではその成立の背景は異なっているようで、奄美と沖縄の〈しまうた〉の違いを見極めるべく、初めて聴く潮の香り芳しい奄美の唄に心の躍りを抑えつつホールへ向かった。

この公演は(財)新日鐵文化財団が主催する紀尾井小ホールの月例公演の1つで徳丸吉彦放送大学教授の監修・解説による〈日本音楽のかたち〉シリーズの一環として開催された。

望郷とララバイ

右から武下和平さん、武下かおりさん、冨内純子さん、日高三郎さん
右から武下和平さん、武下かおりさん、冨内純子さん、日高三郎さん

演奏は《奄美島唄》の大御所・武下和平(たけしたかずひら)師、《はやし(ことば)》は息女の武下かおりさんと冨内純子さん、太鼓は日高三郎さん、そして奄美・沖縄民謡に欠かせぬ《指笛》は東京奄美会会員が勤める。

幕が開くと金屏風一双(2枚)をバックに緋もうせんの上に椅子掛けで武下師とかおりさんが並び、軽快だが音締(ねじめ−音程・調弦)のしっかりした三線に乗って「ほこらしゃ」「ヨイスラ節」「しゅんかね節」「とらさんながね」「そばやど」が演奏され、間に徳丸教授と武下師の対談形式で奄美の地理や生活・島唄の歌唱法・三線の解説などがなされる。

歌詞は八八八六や七七七五などの配列で一の絃を基音とし、1曲ごとに調子笛で調弦して曲想を明確に伝えてゆく。武下師の呂(りょ−低音)の声が骨太い島民のバイタリティーを醸し、甲(かん−高音)の声と裏の声が歓びを表し、そこへかおりさんの〈はやし〉が華を添える。

武下師によると「同じタイトルの唄でも地域によってメロディーや歌詞も全く異なり、村落ごとに地域限定のオリジナルの唄がある」という。〈島唄〉の〈島〉は故郷を意味し、〈島唄〉とは島民の生活の中で生まれ育まれた故郷の唄であり、子守唄(ララバイ)でもあるのだ。

現在も専業または兼業の島唄ミュージシャンは多く、コンクールもありその受賞者で後に全国デビューしたのが元ちとせさんである。

うたはマスコミ・ライブラリー

2部は「長雨(ながむぃ)きりゃがり節」「徳之島(とくのしま)節」「かんてぃむぃ節」「上れ立ち雲節」「一切朝花(ちっきゃりあさばな)節」「六調」が演奏される。

「徳之島節」は地元徳之島では「犬田布(いんたぶ)節」と呼ばれ、幕末に薩摩藩の過酷な砂糖政策の犠牲となり無実の罪で拷問された仲間を救出するため蜂起した犬田布岬の農民一揆が唄い籠まれている。「かんてぃむぃ節」は豪農の家に奉公に上がり主人夫婦にいじめられ恋人との仲も裂かれて自殺した娘の話をモチーフとしている。

武下師によれば「ラジオ・テレビのない島では事件や事故は唄に残して風化させずに子孫に語り伝えた。だから『唄を知らない者は腐った卵』だと云われる」という。島では唄はマスコミでありライブラリー(図書館)なのだ。

ラストはブレイク

悲しい物語の後「上れ立ち雲節」からは〈はやし〉のかおりさんと冨内さんの唄が入り、武下師と掛け合いで太鼓と指笛も加わって賑やかになる。「一切朝花節」では聴衆が舞台に上って踊り客席も手拍子に湧く。そしてトリの「六調」は総踊りとなり徳丸教授や紀尾井ホールの林支配人も参加し老若男女20数名が軽快なリズムに乗って踊り狂う。

不屈の精神の歴史

親類や近所の人たちが集まり酒盛りに唄が入り最期は総踊り−というパターンは沖縄民謡と似ていて、根は繋がっていながら地域の格差で生まれた文化の温度差が見える。

沖縄も奄美も江戸・明治から戦後までの政治的な支配と弾圧に耐え、そして台風の通り道と云われる厳しい自然との闘いを生き抜いてきた人々の不屈の精神の歴史がその唄と三線に深く刻印されているように私は想う。

( 7月13日 Cプログラム所見 )

写真<撮影:竹原伸治/提供:アリオン音楽財団>

武下和平(たけした かずひら)

kazuhira_take昭和8年、奄美大島郡瀬戸内町生まれ。小学校の頃からしまうたが好きで父や従兄弟叔父にあたる福島幸義氏に詩吟やしまうたを師事し、青年時代は古仁屋に出て働きながら奄美民謡を研究。昭和36年、文部省主催の芸術祭に出演以降数多くの公演、テレビ出演、レコード、CD、ビデオが発売されて一躍有名となり「奄美民謡武下流」を打ち立てる。平成8年にはしまうたを芸術まで高めたことが認められ「尼崎市民芸術賞」を受賞。沢山の門下生を養成し、奄美民謡界「百年に一人の唄者」と称され、多くのしまうたファンを魅了し続けている。

武下かおり(たけした かおり)

kaori_takeshita昭和31年奄美大島瀬戸内町古仁屋に父・武下和平の長女として生まれる。昭和61年兵庫県神戸市に両親とともに転居。平成14年奄美民謡武下流門下生として正式入門。平成16年父・和平の相方として特別出演。以降、父和平の相方として各イベントに参加しながら研鑽中。

写真<撮影:竹原伸治/提供:アリオン音楽財団>

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

第四十六回ビクター名流小唄まつり

2006年7月 4日(火)〜5日開催
(日本橋 三越劇場)

長きにわたって開催され、今年で第46回を数えるビクター名流小唄まつり。平成16年からはビクター小唄奨励賞“市丸賞”が制定され、今年は市丸賞に春日とよ五凛さん、優秀賞に蓼史ま由さんが顕彰されました。二日間にわたり多数の流派の方が出演し、粋な小唄の芸を次々に披露しました。その模様をレポートします。

“三分邦楽=小唄は和のエッセンス”

文:星川京児

小唄の殿堂:三越劇場

日本橋三越劇場の様子
日本橋三越劇場の様子

第46回ということは、今年46回目を迎えるということ。場所は日本橋三越劇場。なんとも素晴らしいマッチング。こんなに雰囲気の出る劇場はちょっと他にはない。なにせ100人近い出演者である。とうていワンステージでは収まらない。で、7月4、5日の2日間。午前中からわずかな休憩を挟んでぶっ通し。まさにお祭りである。全身が小唄まみれ。ちょっとした異世界気分。ある意味こんな贅沢、ちょっと味わえない。心地よい緊張感は、平成16年に制定された『市丸賞』のコンペティションも兼ねているからか。

多様な江戸文化

最初は戸惑いながらも、そのうちそれぞれの差違が見えてくる。そう、聴こえてくるのではなくて観えてくるのだ。もともとお座敷芸ということもあってか、押さえた唄に抑制の効いた三味線。替手が入っても賑やかというより、ふんわりと空気が広がる感じ。なによりテンポがストレートで、慣れない聴衆を突き放す過度な間合いがないのがいい。同じ三絃を使った中国の語物や、ギターのブルースに馴染んだ耳にも心地よいのである。

ブルースといえば、日本の唸るブルース義太夫をネタにした小唄版【曽根崎心中】など三味線がきっちり太棹風にスライド。なにより爪弾きというのがいい。これが撥弾きとなれば、さすがに耳が持たない。

もっと多様なのが唄。聞くところによると流派だけで百を越すとのこと。今回のステージにも20を超える流派がエントリーされていた。流派の違いもあるのだろうが、なによりみなさん個性的。ヴィヴラートの塊のような唄があれば、ピアノ・フォルテだけで陰影を付ける人あり、一人として同じ歌唱がない。いずれもプロなのだから当然といえば当然だが。それに、こういった合同舞台にありがちな、ギスギスした雰囲気があまりないというのも好感。これは客席からの視点だからかもしれない。としたら、この柔らかい一体感こそ、この芸の粋ということか。

20を超える流派がエントリー、個性的な芸を披露

すべての邦楽への扉

とはいえ、これだけ続けて聴けるのは小唄だからこそ。長くて4分ちょっと。平均すれば3分は切るというコンパクトさがポイント。基になったという清元はもちろん、長唄・常磐津、新内のいいとこ取り。先の義太夫ではないが、伝統邦楽のスタンダードも揃っているので、他のジャンルと比べてみるのもよし。江戸美学の終着点のような完成度を持ちながら、邦楽全体への入門編としても格好の素材なのである。

ある関係者の言っていた3分邦楽というのは言い得て妙。時代の要求に答え得るタイム感覚。シングル盤対応の邦楽=小唄というのは案外定着するかも。

トリの千紫千恵(唄)、千紫巳恵(糸)
トリの千紫千恵(唄)、千紫巳恵(糸)

今回最大の驚き、いや収穫はトリをとった千紫千恵。声のコントロール、ピッチの良さはとても御年103才とは思えない。スポーツ化する前の武道にも通じる、生涯現役という感覚。衰えるのではなく、濃縮されてゆく日本文化の象徴を観ました。

それにしても皆勤賞が3人もいるとは。これからの高齢化社会、聴くだけではなく、演ってみるものは小唄かも。そんな風に思えてくる小唄まつりでした。

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

第十回 日本伝統文化振興財団賞「奨励賞」授賞式

2006年5月29日(月)開催
(アイビーホール青学会館)

毎年行なわれ、今年で10回目という節目を迎えた日本伝統文化振興財団賞「奨励賞」。その授賞式の模様をお送りします。邦楽界で将来一層の活躍が期待される演奏家が顕彰される本賞。今回は長唄囃子方の藤舎呂英(とうしゃろえい)さんが選ばれました。呂英さんのインタビューもあわせてご覧いただけます。

→ インタビューはこちら

文:笹井邦平

輝く星を発掘

「日本伝統文化振興財団」はビクターエンタテインメント株式会社を基金元に「ビクター伝統文化振興財団」として1993年にスタートし、昨年7月に名称を変更した財団法人。〈日本伝統音楽の保存・振興・普及〉をテーマに掲げ、1996年に「奨励賞」を設立して邦楽界で将来一層の活躍が期待される演奏家を毎年1名顕彰し、長唄・清元・三曲・義太夫・能楽囃子などの各ジャンルよりこれまで9名の受賞者を輩出している。

この賞が他の顕彰と異なるのは〈芸術祭参加〉などの演奏会での評価ではなく、普段の演奏活動において若手が顕彰されることは稀有であること。そしてレコード会社が基金元なので、副賞として受賞者の演奏によるCDを制作してそのサウンドを広く紹介すること。これは若手演奏家にとって自らをセールスできるチャンスで、この受賞を契機に大きく伸びた演奏家も多い。

邦楽普及のシンデレラボーイ

受賞者・藤舎呂英さん
受賞者・藤舎呂英さん

今回の受賞者は長唄囃子方の藤舎呂英(とうしゃろえい)さん。呂英さんは長唄古典曲の囃子に留まらず、新曲の〈作調(さくちょう−リズムセクションを作曲すること)〉や〈創作囃子〉の作曲などにマルチな才能を開花させている。また、その甘いマスクは〈イケメン囃子方〉として普段邦楽を聴かないギャルの人気も集め、サッカーワールドカップ日本代表の巻誠一郎の如く〈邦楽普及〉のシンデレラボーイとしての期待が大きい。

満願までは髭仙人

藤本理事長の挨拶
藤本理事長の挨拶

会場は邦楽関係・レコード関係・文化人など300人近い出席者で溢れ、文化庁関係者や国会議員の来賓祝辞の後同財団の藤本草(ふじもとそう)理事長が挨拶し、「昨年〈ビクター〉という冠を外し、レコードメーカーの枠組みを超えたグローバルな活動で伝統を未来へ活かす〈音源アーカイブ(大規模な記録や資料のコレクション)〉の設立を目指しています。ですからリニューアルした財団としてはこれが第一回の授賞式かも知れません。志半ばではございますがどうか財団にお力添えをお願いいたします」と支援を呼びかけた。「満願成就するまで髭は剃らない」と誓った藤本理事長、その仙人の如きユニークな風貌は斯界でもカナリ目立つ存在。

妥協のない演奏を

今藤長龍郎さんより花束贈呈
今藤長龍郎さんより花束贈呈

受賞者の呂英さんには賞金五十万円と副賞のCDが贈られた。挨拶に立った呂英さんは「料理人は妥協のない仕込みをしてお客様に最高の料理を出します。演奏家も同じで一生懸命稽古して妥協のない演奏を聴いていただきたいと存じます」と今後の芸道修行への新たな決意を述べた

この後昨年の受賞者で長唄三味線方の今藤長龍郎(いまふじちょうたつろう)さんより花束が贈呈され、披露演奏は長龍郎さんと大和楽の大和櫻笙(やまとおうしょう)さんと3人で「桜花神韻(おうかしんいん)」を演奏。

日本画を奏でる

調べに静まり返る会場
調べに静まり返る会場

これは今藤長龍郎作曲・藤舎呂英作調による創作曲で、今回制作されたCDの中に収められている。松本哲男画伯の同名の絵に触発された長龍郎さんが細棹・中棹二挺の三味線で重量感と神秘性を表現し、そこへ桜の様々な表情を呂英さんが小鼓でイメージするというコンセプト。

長龍郎さんのきめ細やかな細棹三味線と櫻笙さんのたおやかな中棹三味線が見事に溶け合い、小鼓の奏でる妙なる調べが描く幻想的な桜の美しさに会場は静まり返り、演奏が終わると万来の拍手がこだました。

妥協のない演奏を成し得たであろう呂英さんは晴れやかな面差しで舞台を降りていった。

受賞者の声

聞き手:笹井邦平

笹井
受賞の御感想はいかがですか。

 

呂英
恐縮かつ光栄に思っております。芸術祭など自分でリサイタルをしてもらう賞はありますが、演奏家の普段の活動を評価してくれる賞というのは今他になく、まして私は長唄の囃子方で、脇役の地道な演奏が認められた−というのが一番嬉しいですね。

 

笹井
囃子方になられた動機・きっかけというのはどんなことですか。

 

呂英
祖父も父も囃子方で、小さい時おじい様に「自転車買ったげるからやってみろ」と釣られて2、3回やったことはあります(笑)。

高校の時ロックをやっていて、家にあった太鼓をパーカッションのように打ち、三味線をギターのように弾いてました。三年になって進路決定の時学校の書類に「囃子方を目指す」と書いたのを父が見まして、「ちょっとやってみようかな」と始めたのがキッカケです。

藝大へ入って藤舎流の家元五世藤舎呂船(藤舎せい子)先生に教えを受けまして、先生が亡くなられて今の家元(六世藤舎呂船師)に御指導いただいております。

 

笹井
目指す演奏家の理想は?

 

呂英
料理人は妥協のない仕込みをして料理をお客様に出して「美味しい」と喜んでいただき、演奏家も稽古を積み自分に妥協のない舞台を勤めてお客様に楽しんでいただく訳です。関西弁で言えば「どや、美味しいやろ、今食べて」と押し付けるのではなく、さりげなく最高の演奏をお聴かせしてお客様に判断していただく−というのが理想です。

 

笹井
それは全ての芸人が目指す頂ですね。ありがとうございました。
藤舎呂英(とうしゃろえい)
1966年 大阪生まれ。
1974年 祖父・望月太津市郎より手ほどきを受ける。
その後、父・藤舎呂浩に指導を受ける。
1985年 宗家・藤舎せい子師に入門
1989年 東京芸術大学音楽学部卒業
「藤舎呂英」の芸名を許される。
1995年より 国立劇場「明日をになう新進の邦楽と舞踊」の囃子を担当。
2000年 国立劇場にて一調一管(小鼓、笛)による創作曲「花」初演。
2003年 スパイラル公演「はるかな空の高みにまで」にて声明と共演。
2004年 アテネ五輪シンクロナイズドスイミング日本代表チーム競技曲「ジャパニーズドール」で、小鼓を演奏。
2005年 「題名のない音楽会」歌舞伎ミーツクラシックに出演。
「平家物語の夕べ」にて、語りと共に囃子を演奏。
創作曲「花」再演(花柳流舞踊会)。
香港にて、四世家元今藤長十郎の会出演。

現在、六世家元藤舎呂船に師事。鼓のソロ演奏、琵琶・琴・ピアノ・フルートなどジャンルを越えた様々な楽器との演奏活動を行っている。また、学校巡回演奏活動の傍ら、CD・DVD制作にも多数携わっている。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。