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奏心会−2006−「今」を語る古典

2006年4月26日(水)開催
(東京四ッ谷・紀尾井小ホール)

“心を奏でよう、心で奏でる”という思いから名づけられ、山田流箏曲の古典曲を中心に演奏会を重ねてきた「奏心会」。今回は新たな工夫を盛り込み、楽器編成も広げ、有志を募り、より多角的に古典を見つめ直したという“新生”「奏心会」の模様をお届けします。

文:笹井邦平

瑞々しい心拡げて

「編曲 岡康砧」より。亀山香能(中央)。
「編曲 岡康砧」より。亀山香能(中央)。

「奏心会(そうしんかい)」とは文字通り“古典を瑞々しい心で奏でる”をテーマに掲げる演奏会。山田流箏曲演奏家・亀山香能(かめやまこうの)が代表となり、東京芸術大学を卒業しプロを志向する若手演奏家の〈修行の場〉として一昨年まで10回の公演を重ねてきた。

一昨年まで出演者は箏曲演奏家が中心だったが、今回箏曲に限らず間口を広げて邦楽の様々なジャンルより有志を募り、多角的に古典を見つめ直すプログラムを組み、リニューアルした「奏心会」が再スタートを切った。

亀山のラブコールに呼応して〈邦楽梁山泊〉に馳せ参じた戦士は〈邦楽囃子〉望月太左衛(もちづきたざえ)・望月太左彩(もちづきたさあや)・福原百貴(ふくはらひゃくたか)、〈尺八〉田辺頌山(たなべしょうざん)・善養寺惠介(ぜんようじけいすけ)、〈三味線〉杵家弥七佑美(きねいえやなゆみ)・鶴澤三寿々(つるざわさんすず)、〈箏曲〉五十川真子(いそがわまさこ)・佐々木千香能(ささきちかの)・木村伶香能(きむられいかの)・亀山香能・小瀬村浪路(こせむらなみじ)の総勢12名、今回は11名が出演して熱い戦いの火蓋が切って落とされた。

邦楽ライブラリー

小鼓、大鼓「ひととき〜こころかなでて」
小鼓、大鼓「ひととき〜こころかなでて」

トップは望月太左衛作曲「ひととき」を太左衛・太左彩の師弟コンビが小鼓と大鼓を打ち合わせて掛け合う。小鼓のポンポンと湿った音色と大鼓のカンカンと乾いた音がステージも壁も木の香床しいホールにたおやかにこだまして温もりが漂う。

尺八「現代鈴慕」
尺八「現代鈴慕」

山口五郎・山本邦山作曲「現代鈴慕」は都山流尺八の田辺頌山と虚無僧尺八の善養寺惠介が吹き合わせる異流派同士の合奏。「鈴慕(れいぼ)」という古典曲をモチーフにした善養寺の古風な呂音(りょおん−低音)と田辺の切れ味鋭い現代的な甲音(かんおん−高音)が見事にマッチする。

三味線(細棹、中棹、太棹)「九絃の曲」
三味線(細棹、中棹、太棹)「九絃の曲」

本間貞史作曲「九絃の曲」は三味線の細棹(杵家弥七佑美)・中棹(五十川真子)・太棹(鶴澤三寿々)の合奏で、3絃×3挺で9絃という掛け算の“九九”がタイトルに付く。長唄・地歌・義太夫の3挺の三味線の異なる音色・ピッチがマッチするようなしないようなビミョウなサウンド。

前半は素囃子・尺八合奏・三味線合奏−と多彩なジャンル、しかも楽器は打楽器・管楽器・弦楽器−とあたかも邦楽のライブラリーのようでビギナーには興味深いプログラムとなる。

新邦楽のモデルケース

唄、箏、十七絃、笛「文楽の幻想」
唄、箏、十七絃、笛「文楽の幻想」

後半のトップは船川利夫作曲「文楽の幻想」を唄(佐々木千香能)・箏(木村伶香能)・十七絃(亀山香能)・笛(福原百貴)でコラボレーション。文楽の人気シーンを唄と和楽器で綴る。例えば幼い恋人同士が政略結婚で引き裂かれる「野崎村」の合方(器楽のフレーズ)がアレンジされて文楽ファンには楽しい1曲。

フィナーレは全員による中能島欣一編曲「岡康砧(おかやすきぬた)」。〈砧〉とは織った布を叩いて艶を出すのに使う木槌のこと、戦に赴いた夫の無事と生還を祈って妻の打つ砧の音色は秋の夜寒にもの哀しく響き、箏曲の古典的なモチーフとされ様々な〈砧物〉が創作されてきた。これを現代風にアレンジして唄に合唱や輪唱を入れ、本手(主旋律)は箏3面と細棹三味線1挺、替手(助奏)は第一替手が箏1面、第二替手が太棹三味線1挺、管楽器が横笛(篠笛・能管)と尺八2管、そして打楽器は小鼓・大鼓とまさに〈和楽器アンサンブル〉。音の厚さと豊かさが聴衆の身体にズンズンと響いてくる。

唄・箏、三味線、尺八、囃子「編曲 岡康砧」
唄・箏、三味線、尺八、囃子「編曲 岡康砧」

「最後は山田流の曲ですが、全員で企画・構成・編曲して演奏する新『奏心会』のメイン曲です。これからは各ジャンルから委員を1人ずつ選出して番組を企画し、古典に根ざした邦楽の新しい道を目指して第一歩を踏み出します」と亀山は演奏会前の私の取材にこう抱負を語ってくれた。

ジャンルや流派・会派などのセクトを超えてグローバルなアングルで古典をリメイクするこの演奏会は邦楽の新しいスタイルの1つのモデルケースとなるだろう。

写真はリハーサル時のもの

奏心会会員プロフィール
望月太左衛(もちづき・たざえ)

邦楽囃子 小鼓

東京芸術大学邦楽科卒業、同大学院修士課程修了。2003年同大学院博士課程入学。邦楽囃子を幼少より父(十代目家元望月太左衛門)に指導をうける。1994年二代目望月太左衛を襲名。“二世望月太左衛 鼓樂”を開催するなど邦楽囃子における独自の世界を展開中。社団法人長唄協会理事・学校教育邦楽普及委員 国立劇場養成課鳴物講師。

望月太左彩(もちづき・たさあや)

邦楽囃子 大鼓

ノースウェスタン大学(コミュニケーション専攻)卒業。在学中に日本文化に興味を持ち、1995年より邦楽囃子を望月太左衛師に師事。2005年東京芸術大学邦楽科卒業。在学中より、望月太喜雄師に師事。三味線を杵屋五司郎師に、能楽囃子を柿原崇志師に師事。長唄協会会員。

田辺頌山(たなべ・しょうざん)

都山流尺八

父、恵山に手ほどきを受け、早稲田大学入学と同時に山本邦山師(人間国宝)に師事。NHK邦楽技能者育成会卒業。ローマ法王謁見演奏をはじめ海外演奏も多い。1993年長谷検校記念第1回全国邦楽コンクールで最優秀賞。CD「静かなる時」をリリース。尺八本来の持ち味を大切にし、ジャンルにとらわれない幅広い活動を行っている。都山流尺八楽会大師範。

善養寺惠介(ぜんようじ・けいすけ)

琴古流尺八

東京芸術大学邦楽科卒業、同大学院修士課程修了。6歳より、虚無僧尺八の手ほどきをうける。同大学在学中は山口五郎師(人間国宝)に師事。1999年、第一回独演会『虚無尺八』開催、現在に至るまで5回を重ねる。2000年尺八教則本「はじめての尺八」(音楽之友社刊)を執筆。2002年ビクター財団賞奨励賞受賞。虚無僧尺八を中心とした演奏活動のほか、関東各地にて尺八普及のための教授活動を行っている。

杵家弥七佑美(きねいえ・やなゆみ)

長唄三味線(細棹)

東京芸術大学邦楽科卒業。六世杵家弥七師に師事。1983年シアトル公演。1988年テキサス州ダラス・ヒューストン・サンアントニオ市にて公演。各市の名誉市民となる。長唄協会会員。杵家会会員。現在、長唄の演奏会の他に、舞踊会、NHK・FM放送など、幅広い場で演奏活動を続けている。

五十川真子(いそがわ・まさこ)

山田流箏曲 三味線(中棹)

東京芸術大学邦楽科卒業。山田流箏曲を亀山香能師に師事。NHK邦楽技能者育成会卒業。「邦楽のひととき」出演。NHK邦楽オーディション合格(箏・三味線)、奏心会に結成時より参加。近年は全国各地の小学校、中学校、高校での学校公演を企画・出演、子供たちの和楽器の普及につとめている。上原潤之助(三味線)と「福之音」を結成。邦楽アンサンブル「昴」「オースケトラアジア」メンバー。

鶴澤三寿々(つるざわ・さんすず)

義太夫三味線(太棹)

東京芸術大学大学院(音楽学)修了。1991年、竹本駒之助師に師事。1994年、初舞台。女流義太夫演奏会や若手勉強会をはじめ、NHK「新春檜舞台」「邦楽のひととき」等にも出演。新作にも取り組み、野村万之丞プロデュース「復元・阿国歌舞伎」公演に参加。平成11年度芸団協助成新人奨励賞受賞。平成13年度文化庁芸術インターンシップ研修員。義太夫協会、人形浄瑠璃因協会所属。

佐々木千香能(ささき・ちかの)

山田流箏曲 唄

東京芸術大学邦楽科卒業。山田流箏曲を亀山香能師に師事。NHK邦楽技能者育成会卒業。2000年賢順記念コンクール銀賞。平成13年度文化庁芸術インターンシップ研修員。2001年ビクター邦楽技能者オーディション合格、ビクターよりCD「山田流箏曲佐々木千香能」を発表。2004年第2回リサイタル開催(文化庁芸術祭参加)。

木村伶香能(きむら・れいかの)

山田流箏曲 箏

東京芸術大学邦楽科卒業。山田流箏曲を亀山香能師、河東節三味線を山彦千子師に師事。NHK邦楽技能者育成会、現代邦楽研究所研究科修了。平成16年度文化庁芸術インターンシップ研修生。2003年第10回賢順記念全国箏曲コンクールにて賢順賞(第1位)受賞。2005年NHK邦楽オーディション合格。ポーランド、スイス、フランス等、国内外で活動中。

亀山香能(かめやま・こうの)

山田流箏曲 十七絃

東京芸術大学邦楽科卒業、同大学院修士課程修了。山田流箏曲を中能島欣一師に師事。同大学非常勤講師を務める。1979年に第一回リサイタルを開催以来、現在までに十三回を数え、2005年のリサイタルにおいては、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。国際交流基金などの派遣によるヨーロッパ公演も多数行う一方、箏曲以外の邦楽器との演奏会も積極的に行い、年間に度々、箏曲Live「亀山香能Talk & Live」を開催している。

福原百貴(ふくはら・ひゃくたか)

邦楽囃子 笛

東京芸術大学邦楽科卒業。幼い頃獅子舞の笛に興味を持ち、11歳より福原徹師に師事。1999年福原百貴の名を許される。芸大卒業後は邦楽囃子笛方として邦楽演奏、舞踊会などで演奏活動を行っている。

小瀬村浪路(こせむら・なみじ)

山田流箏曲

東京芸術大学邦楽科卒業。6歳から箏の手ほどきを受ける。1982年、NHK教育テレビ「お箏のおけいこ」に一年間出演。1983年より亀山香能師に師事。NHK邦楽技能者育成会卒業。奏心会会員として第一回演奏会より参加。2003年、アメリカ大使館にて演奏。公共施設でのお箏講座や公立中学校での演奏指導等、出身地である厚木市を中心に活動している。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

第28回 藤井昭子 地歌Live

2006年4月 3日(月)開催
(東京新宿・Taberna〈タベルナ〉)

2001年にスタートして以来、今回で28回を数える藤井昭子さんの「地歌Live」。生の演奏を目の前でじかに、じっくりと堪能できるシリーズとして好評を博しています。藤井さんの師であり、母である藤井久仁江師を迎えて行なわれた、貴重な地歌(じうた)の芸の世界をお届けします。

文:笹井邦平

新しき街で邦楽ライブ

「藤井昭子(ふじいあきこ) 地歌Live」は2001年にスタートし、偶数月に定期的に開催され今回28回を数える長寿〈邦楽ライブ〉。会場は再開発された新宿南口のイタリアンレストランのホール。レストランとホールは分厚いドアで完全に遮断され、ライブハウスの如く飲食しながら演奏を聴くのではなく、〈地歌〉の古典曲をじっくり堪能し、休憩時間の〈ワンドリンク・サービス〉が嬉しい。

店名はレストランなのに「タベルナ」とは洒落たネーミング、イタリア語で「軽食堂・居酒屋」の意味だが、「タベルナ」の「べ」のスペルは正しくは「be」ではなく「ve」、オーナーの意図であえて「be」にしているのかも知らずそれは御愛嬌。

地歌をポピュラーソングとして

「タベルナ」のステージ。演奏者が聴衆に間近。
「タベルナ」のステージ。演奏者が聴衆に間近。

ホールは3人がやっと座れるくらいのステージを囲むようにコの字形に椅子が置かれ、70人入ると人いきれでムンムンする。演奏者と最前列の聴衆との距離はわずか2メートルくらい、琴爪や三味線の撥が絃に当たる音や歌の息継ぎまでもはっきり聴き取れるまさにライブ。

こんなスペースで藤井昭子は「地歌を敷居の高いものではなく、ごく身近なポピュラーソングとして聴いて欲しい」との想いを抱いてこのライブを立ち上げたのだろう。

邦楽界のサラブレッド

邦楽界のサラブレッド、藤井昭子。
邦楽界のサラブレッド、藤井昭子。

彼女は生田流地歌箏曲の人間国宝・藤井久仁江(くにえ)を母に持ち、祖母・故阿部桂子(あべけいこ)も名人と謳われ、三代に亘り〈九州系地歌〉の芸系は連綿と伝承され、兄・藤井泰和(ひろかず)も実力派男性演奏家として活躍し、まさに邦楽界のサラブレッドである。

母のエネルギーをもらって

難易度の高い「八重垣」。
難易度の高い「八重垣」。

今宵の最初の曲は昭子の箏弾き歌いで「八重垣(やえがき)」。これは和歌などの短い歌をいくつか組み合わせた〈箏組歌(ことくみうた)〉と云われるジャンル、各歌は拍数は同じだがメロディーが少しずつ変化していく演奏の難しいもので、この曲はその中でも秘曲と云われ、藤井家のレパートリーの一つとなっている。

リハーサルを聴かなかった母久仁江が演奏直前に会場に入り、昭子の顔に困惑の色が浮かぶが、桜の季節に因み母の〈枝垂れ桜〉模様の着物を身に纏った昭子は母のエネルギーまで貰ったように溌剌と演奏、久仁江も安堵の表情を見せる。

伝承の構図

「筆の跡」。左は藤井久仁江、右は藤井昭子。
「筆の跡」。左は藤井久仁江、右は藤井昭子。

2曲目は母久仁江と2人で「筆の跡」。これは〈端歌物(はうたもの)〉と云われるジャンルで、景色や情景を綴ったもので比較的短い曲が多く、母の体調不良のため予定されていた曲目を変更しての演奏となる。2人とも三絃(三味線)弾き歌いで、亡き夫が残した筆跡を眺めて妻が義母とともに在りし日の姿を偲ぶ−という内容、呼吸(いき)の合ったしっとりした味わいが溢れる。

演奏後、このライブを後援する当〈日本伝統文化振興財団〉の藤本草(ふじもとそう)理事長との対談で久仁江は芸談を流暢に語り、興味深いエピソードに客席が沸く。

病を押して娘のライブに駆けつけた母、その芸を全身全霊を傾けて受け継ごうとする娘、久仁江の存在そのものが昭子の芸を人生をしっかり支えているのである。

桜舞い散る春宵、祖母から母、母から子へと人生・生命を賭した古典の芸の伝承の場に臨席し、その証人となった私は果報者である。

写真はリハーサル時のもの

藤井昭子(ふじいあきこ)

akiko幼少より、祖母阿部桂子、母藤井久仁江に箏の手ほどきを受ける。4才で初舞台。8才より阿部、藤井両師に三弦の手ほどきを受ける。

1986年 山本邦山、藤井久仁江両師と共に、バークレイ、シアトル、ロサンゼルス他、米国各地を巡演。以後現在まで文化庁、国際交流基金等の派遣により欧米各地での演奏多数。

1988年 NHKオーディション合格、初放送出演。

1995年5月29日、第1回リサイタルを開催。

1997年4月18日、第2回リサイタルを開催。

1999年5月12日、第3回リサイタルを開催。

2001年6月25日、第1回「地歌ライブ」を開催。以降、2ヵ月毎に定期開催、現在に至る。

2002年6月、国立劇場にて母、兄と「三楽会」を開催。

2002年10月17日、第4回リサイタルを開催。

2003年5月、第7回ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞受賞。CDアルバムを制作。6月、国立劇場演芸場にて母、兄と第2回「三楽会」開催。

2004年10月25日、第5回リサイタルを紀尾井小ホールにて開催。12月、第5回リサイタルの演奏に対し、第59回文化庁芸術祭新人賞受賞。

2005年9月26日、第6回リサイタル(第60回記念文化庁芸術祭協賛公演)を紀尾井小ホールにて開催。

現在、九州系地歌箏曲演奏家として、演奏会・放送等の出演に活躍の場を広げている。

藤井久仁江(ふじいくにえ)

kunie3才より、母阿部桂子に箏の手ほどきを受ける。

1936年 宮城道雄に入門、新箏曲を学ぶ。

1937年 川瀬里子に入門、九州系地歌を学ぶ。

1947年 平原寿恵子(東京芸大声楽科教授)に洋楽発声学を学ぶ。

1949年 大和楽研究所(大倉喜七郎所長)にて邦楽発声法を学ぶ。

1956年 NHK邦楽技能者育成会第1期卒業。

1957年 銀明会(阿部桂子、31年創立)関西支部を設立。

1991年 銀明会二代目会長を襲名。

1995年4月、東京芸術大学客員教授(98年3月退官)。

2002年7月、重要無形文化財保持者認定。

2003年11月、重要無形文化財保持者認定記念演奏会を、名古屋中電ホールにて開催。

2006年5月4日、銀明会創立75周年・藤井久仁江喜寿記念演奏会を、国立劇場で開催予定。

これまで文化庁芸術祭優秀賞(72年、75年)、大賞(81年)、芸術選奨文部大臣賞(84年)、モービル音楽賞(95年)など各賞を受賞。また、紫綬褒章(92年)、勲四等宝冠章(2000年)を受章。海外での演奏歴も1968年以降、欧米4ヵ国に於いて数度に及ぶ。

現在、銀明会会長。社団法人日本三曲協会常任理事。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

トークは、揚羽蝶のスクリーンをバックに和やかな雰囲気。

Friday Traditional Night
弥生の風「続・連琵琶の華麗な競演!」

2006年3月10日(金)開催
(二子玉川アレーナホール)

“金曜の夜は「伝統芸能」”として、『平家物語』をテーマに1月から月1回金曜に行なわれている筑前琵琶・上原まりさんの連続公演。さまざまな趣向を凝らしたシリーズの、”弥生の風”として3月10日に二子玉川アレーナホールで行なわれた「続・連琵琶の華麗な競演」の模様をお届けします。

文:笹井邦平

セレブの街に女人琵琶法師

「祇王(ぎおう)」より。写真左から須田誠舟、西川浩平、上原まり。
「祇王(ぎおう)」より。写真左から須田誠舟、西川浩平、上原まり。

〈二子玉川〉は世田谷のセレブが集う街。この街のステータス玉川高島屋のキャパ200人程度の小ホールにハナ金の夜眉目秀麗な女人琵琶法師が現れ、『平家物語』をモチーフとした「連琵琶(つれびわ) 清盛」を語る−という噂を聞きつけ、私は興味津々やや遠いが玉川べりの会場に足を運んだ。

客席はすでに満席、いつもの邦楽演奏会の聴衆とは異なった高級化粧品の匂いが香しい。昨年9月に同じ東京の溜池で催された〈連琵琶〉とはカナリ空気が違う。

琵琶は独りで弾き語るのが通常のスタイル、〈連〉とは邦楽用語で〈2人以上で連れて歌う・弾く〉という意味で、「連琵琶 清盛」は元宝塚スターで現在筑前琵琶演奏家として活躍する上原まりと薩摩琵琶の須田誠舟(すだせいしゅう)がデュエットで演奏し、そこに西川浩平(にしかわこうへい)の横笛が平安末期の雰囲気を醸す−という斬新な企画。

平家の家紋を背に

ステージのスクリーンには揚羽蝶が映し出され、これは平家の家紋で歌舞伎「義経千本桜−渡海屋の場」の平知盛の衣裳などに付いている。

今宵の演目は「祇王(ぎおう)」「鹿谷(ししがたに)」「福原(ふくはら)」の3曲。祇王は清盛の寵愛した〈白拍子(しらびょうし−アイドル・某国の『喜び組』)〉だが、清盛の心が他の白拍子に移ったために嵯峨野で尼になった女性の悲劇を描いている。

トークは、揚羽蝶のスクリーンをバックに和やかな雰囲気。
トークは、揚羽蝶のスクリーンをバックに和やかな雰囲気。

演奏後のトークで上原が「須田さん、西川さん、男性の傲慢はいつの世も変りませんね」と振ると、「今は女が男を選ぶ時代、女が男をいじめてますよ」と西川がチクリと皮肉る。これには上原も反論できず苦笑するばかり。

「鹿谷」は平家の独裁政権を倒そうとクーデターを企む貴族や僧侶が仲間にチクられ、清盛の怒りを蒙り死罪や島流しになる話。この僧侶の悲哀を歌舞伎「俊寛」は鮮明に描いている。

福原は現在の神戸市、清盛が天皇・貴族の勢力の強い京の都を嫌い、外国貿易の拡大を目論み港街に一時都を移したエピソードに基づく。新都の清盛屋敷の庭に忽然と現れた幾万の髑髏に動ずることなく、目も裂けるばかりにハッタと睨み付ける清盛を語る上原の歌が圧巻。

聴き終わると「祇王」は清盛の傲慢の犠牲者、「鹿谷」は平家の危機、「福原」は清盛の儚き夢−と平家の盛衰がダイジェストされて綴られている見事な構成である。

高まる”和の機運”

「福原(ふくはら)」では西川浩平(ステージ中)は笛をフルートに持ちかえている。
「福原(ふくはら)」では西川浩平(ステージ中)は笛をフルートに持ちかえている。

この公演はCD「連琵琶 清盛」を販売した〈ビクターエンタテインメント〉と”和”の番組を企画した〈FM世田谷〉が共同キャンペーンを展開、FM世田谷で金曜日の午前に「上原まりの『平家巡礼』」がオンエアーされた。さらにライブコンサートが企画され玉川高島屋が会場を提供した−という3社のプロジェクトが成功した結果である。

“和”の文化を見直す機運は日に日に高まりつつあり、上原まり・須田誠舟・西川浩平がそのトップバッターとして揚羽蝶の如く大きく羽ばたく日はそこまで来ている気がする。

上原まり(うえはら まり)

uehara神戸市出身。筑前琵琶・旭会総師範・二世柴田旭堂の一人娘として、幼いころから琵琶に親しみ、高校1年のとき、東京新聞主催邦楽コンクール琵琶部門に最年少で3位入賞するなど、非凡な才能を示す。その後宝塚歌劇団に入団、大ヒット作『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネット役などトップスターとして活躍。1981年に退団後、琵琶演奏家としてデビュー。その後『平家物語』シリーズ、『雨月物語』『西行』などすべて自身の作曲による作品を発表、ステージやTV番組などで活躍。平成15年文化庁長官表彰を授与。

 

須田誠舟(すだ せいしゅう)

suda1947年東京生まれ。6歳のとき、伊藤長四郎に吟詠を学び、薩摩琵琶の手ほどきを受ける。1968年辻靖剛に師事し、薩摩琵琶の指導を受ける。1970年日本琵琶楽協会主催「琵琶額コンクール」で優勝、文部大臣奨励賞を受賞。日本のみならず、アジア、ヨーロッパでの公演などで活躍、また94年モノオペラ『銀杏散りやまず』(辻邦生原作)を制作、出演など。現在、日本琵琶楽協会理事長、薩摩琵琶正絃会理事長。

 

西川浩平(にしかわ こうへい)

 

nishikawa大阪フィルハーモニー交響楽団にてフルートの第一奏者として活動後、日本の横笛奏者として日本音楽集団に入団し、現在に至る。1987〜1990年、歌舞伎公演に従事、冨田勲作曲『源氏幻想交響絵巻』などを初演し、内外の交響楽団と共演する。CD『Flutist from the East』全4巻のリリース、著書に『邦楽おもしろ雑学事典』『黒御簾の内から』。昭和音楽大学、洗足学園音楽大学、桐朋学園芸術短期大学にて指導にあたっている。

 

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

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新春公演「連琵琶(つれびわ)の華麗な競演!」(2006/1/6)

如月の宵「”語り”で聞く「平家物語」」(2006/2/10)

日本の響き 今藤政太郎企画による 三味線音楽の世界

(東京北千住・シアター1010)

北千住のシアター1010で行なわれた”日本の響き 今藤政太郎企画による 三味線音楽の世界”。「クラシック」「モダン」「エンタテインメント」という三部構成で、日本音楽のさまざまな魅力を伝えるステージの模様をお届けします。

文:笹井邦平

お洒落な街で斬新なプログラム

今藤政太郎(いまふじまさたろう)は四世藤舎呂船(よんせいとうしゃろせん)と藤舎せい子という囃子方夫妻の長男として生まれ、東京芸術大学に入学後”昭和の名人”と云われる三世今藤長十郎(さんせいいまふじちょうじゅうろう)・今藤綾子(いまふじあやこ)に師事して長唄三味線演奏家としてスタートを切った。

師・長十郎は長唄三味線の演奏に留まらずたくさんの新作を作曲して長唄の新しい可能性を追求し、政太郎も師の足跡を辿り創作活動や新しい試みを果敢に展開し、その発表の場として東京での〈邦楽リサイタル〉と大阪での〈三味線音楽の世界〉を開催している。

大阪公演の翌日同じプログラムを今回はじめて東京公演として北千住駅のそばの新しいホールで演奏した。北千住は駅の西口と東口では街の姿がまるで異なり、西口は再開発されてお洒落な繁華街に変身したが、東口はテレビドラマ「3年B組金八先生」のロケに使われる昔ながらの面影を残す下町の商店街がひっそりと佇む。

そんな新しい街のホールでプログラムもクラシック・モダン・エンタテインメント−とバラエティに富む。

ノーカットでクラシックの素晴らしさを

「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」。大迫力のステージ。
「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」。大迫力のステージ。

最初は〈クラシック〉古典長唄「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」を唄−東音宮田哲男(とうおんみやたてつお・人間国宝)ほか5名、三味線−今藤政太郎ほか5名、囃子−藤舎呂悦(とうしゃろえつ)ほか5名で演奏。名曲中の名曲と云われ舞踊のバックミュージックとしても人気曲だが、舞踊では演奏しない「謡うも舞うも法の声」より「げにも妙なる奇特かや」までノーカットでたっぷり聴かせ、名曲としてのクウォリティの高さを改めて感じる。

かぐや姫降臨

「月彩(つきあや)」。幻想的なステージ。
「月彩(つきあや)」。幻想的なステージ。

2曲目は〈モダン〉米川裕枝作曲・高橋明邦作調「月彩(つきあや)」を第一箏−米川裕枝(よねかわひろえ)、第二箏−中川敏裕(なかがわとしゆう)、十七絃−岡崎敏優(おかざきとしゆう)、打楽器−臼杵美智代(うすきみちよ)で演奏。月の光を器楽で表現するという古典にはない斬新な発想。初演時の箏2面・十七絃1面に今回打楽器を加えてサウンドに神秘的な輝きと深さが増し、皓々たる満月よりかぐや姫が降りてきそうな幻想美に酔う。

アンサンブルの勝利

「地獄八景冥途之御客(じごくばっけいめいどのおきゃく)」。 舞台の背景で小見出しが映し出されている。
「地獄八景冥途之御客(じごくばっけいめいどのおきゃく)」。
舞台の背景で小見出しが映し出されている。

トリは〈エンタテインメント〉金子泰、塩田律作・今藤政太郎、今藤美治郎作曲・奥田祐シンセサイザー作、編曲「地獄八景冥途之御客(じごくばっけいめいどのおきゃく)」を唄−東音宮田哲男ほか11名、三味線−今藤政太郎ほか5名、シンセサイザー−奥田祐(おくだゆう)、笛−中川善雄(なかがわよしお)、打楽器−藤舎呂悦ほか4名で演奏。上方古典落語をモチーフに地獄遊山のお大尽一行と閻魔大王の虚々実々の駆け引きを端唄・俗曲・浄瑠璃・芝居などを盛り込みユーモラスに描く。遊女の色仕掛けに閻魔が嵌り、ただのエッチなオジサンと化するラストは歌舞伎「鳴神」のパロディでばかばかしく面白い。作曲は政太郎と今藤美治郎(いまふじよしじろう)だが、稽古の中で唄方が工夫を凝らして自らの役をデフォルメして娯楽色の濃い作品に仕上がり、全員が楽しんでやっているのが微笑ましい。45分の大作を緻密なアンサンブルで聴かせたチームワークに拍手を贈る。

引き出しとセンス

「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」より。後列中央・今藤政太郎、後列中央左・東音宮田哲男(人間国宝)。
「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」より。後列中央・今藤政太郎、後列中央左・東音宮田哲男(人間国宝)。

政太郎によれば伝統芸能の世界では”作曲する”のではなく”拵える”と云う。つまり新しい曲を創るのではなく、〈在り物〉(古今の様々なジャンルの既存の楽曲・フレーズ)を繋ぎ合わせアレンジしてリメイクする−という伝統的なメソドである。この作業にはたくさんの〈引き出し〉(音楽的素養・演奏技術)とセンスが不可欠とされ、両方を兼ね備えた作曲家・演奏家のみがなし得る伝統的技法である。

写真はリハーサル時のもの

今藤政太郎(いまふじ まさたろう)

imafuji_masataro1935年東京生まれ。四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男。幼少より邦楽器に親しみ、16歳の時、十世芳村伊四郎より本格的に長唄の薫陶を受けた。55年東京芸術大学に入学し、昭和期の大名人・三世今藤長十郎、今藤綾子に師事。62年二世今藤長十郎の前名である今藤政太郎を襲名。同年「能楽囃子」でNHK杯賞文部大臣賞を受賞。三味線の演奏活動と映画音楽を含む作曲活動を展開、その両方で様々な受賞歴を持つ。多くの海外公演において立三味線を務めている。現在、国立劇場講師、NHK邦楽技能者育成会講師。

HPアドレス:http://www.masataro.jp/

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

山本邦山(尺八/右)をメインにしたトリオ編成

山本邦山 Plays JAZZ, THE PARK SIDE WIND

2005年11月26日(土)開催
(東京渋谷・HAKUJU HALL)

2005年11月26日 HAKUJU HALLで行なわれた、山本邦山 Plays JAZZ, THE PARK SIDE WINDの模様をレポートします。人間国宝で尺八奏者の大御所・山本邦山さんがピアノ、ベースのジャズ・ミュージシャンとともにおくる楽しいコンサートです。

文:笹井邦平

マルチなトップアーティスト

山本邦山(尺八/右)をメインにしたトリオ編成
山本邦山(尺八/右)をメインにしたトリオ編成

山本邦山(やまもとほうざん)は現在都山流(とざんりゅう)尺八の第一人者で、人間国宝に認定されているトップアーティストである。彼は6歳より父に尺八のレッスンを受け、演奏のみならず作曲にもその才能を開花させ、東京新聞社主催〈邦楽コンクール・作曲部門〉に尺八二重奏曲「竹」で応募して第一位となった。さらに、本曲(ほんきょく・尺八の独奏曲)や外曲(がいきょく・箏や三味線との合奏曲)など従来の尺八の楽曲に留まらず、洋楽とのセッションにも果敢にチャレンジし、オーケストラとの共演やジャズとのコラボレーションを展開していった。また、東京藝術大学音楽学部教授に就任して後進を育成し、尺八を現代邦楽には欠かせないメロディ楽器として確立した。

ジャズる尺八

坂井紅介(ベース)
坂井紅介(ベース)

その邦山が青春時代にジャズ・ライブを各地で展開した往年の仲間・佐藤允彦(さとうまさひこ・ピアノ)・坂井紅介(さかいべにすけ・ベース)と再びトリオを組みステージに立つ。スーツ姿で飄々とステージに現れ、尺八ソロのインプロビゼーションで開演を飾り、佐藤と坂井が同じくピアノ・ベースソロのインプロを披露して1部の演奏が始まる。

曲目は「Iberian Sunset」「Autumn Leaves(枯葉)」「Tuva-lak」「Impression of Hikone」「Black Is The Color OF My True Love’s Hair」。2部は「FREE」(ピアノ&ベース)「Misty(ミスティ)」「FREE」(トリオ)「The Shadow OF Your Smile(いそしぎ)」「Earlham Blues」「Take Five(テイクファイブ)」「祖谷の粉挽き唄」「Silky Adventure」。

佐藤允彦(ピアノ)
佐藤允彦(ピアノ)

尺八のクリアな高音はクラリネット、豊かな低音はテナーサックスのように響き、自由自在に吹きこなす御機嫌なサウンドに聴衆の身体も自ずと揺れ、「枯葉」「いそしぎ」「テイクファイブ」などの名曲に往年のジャズファンは痺れる。「祖谷の粉挽き唄」は徳島県の民謡で、蕎麦の粉を石臼で挽くワークソング。尺八の奏でる素朴で美しいメロディとジャズのシンプルなリズムが寄り添うように流れ、見事な〈和洋の融合〉に客席は静まりかえる。

古くて新しい楽器

難しい楽器を自在に操る山本邦山
難しい楽器を自在に操る山本邦山

尺八はリードがなく〈歌口(うたくち)〉といわれる上端を斜めに切った吹き口に息を吹きつけ、唇の開き具合や顎の角度で音律・音色を微妙に調節するチョー難しい楽器。それを手足のように自在に操る邦山はやはり天才である。

尺八のテープはアメリカのスーパーマーケットでは瞑想用に売られているという。外国人がその麗しい音色にどんな仕掛けがあるのか尺八を割ってみたらただの竹だった−というエピソードもある。そして、外国人邦楽演奏家の中で尺八奏者が最も多いことは尺八が”古くて新しい楽器”であることを物語っている。それは山本邦山というオールマイティなソリストの足跡と功績でもある。

写真提供:三好英輔(協力:ブライトワン)

山本邦山(やまもと ほうざん)

1937年滋賀県大津市生まれ。

6歳より、父に尺八の手ほどきを受ける。9歳より、中西蝶山師に尺八を師事する。1958年京都外国語大学英文科卒業後、パリ・ユネスコ本部主催世界民族音楽祭に日本代表として参加。1959年第1回尺八リサイタル(滋賀会館大ホール)を開催。1962年正派音楽院楽理科卒業。東京新聞社主催・邦楽コンクール作曲部門に尺八二重奏曲「竹」発表、第1位を受賞。1969年クラウンレコード「尺八1969」(尺八三本会)、芸術祭優秀賞受賞。1970年NHK優秀賞、日本三曲協会受賞。第4回、第5回尺八リサイタルにて芸術祭優秀賞受賞。日本ビクターRCAレコード奨励賞受賞。昭和49年度芸術選奨文部大臣賞受賞。1976年第1回滋賀県文化奨励賞受賞。東京フィルハーモニー交響楽団と廣瀬量平作曲「尺八と管弦楽のための協奏曲」(NHK委嘱)共演録音、尾高賞受賞。1977年東京藝術大学音楽学部非常勤講師に就任。NHK委嘱「韻」、芸術祭優秀賞受賞。NHK委嘱「現代鈴慕」、芸術祭優秀賞受賞。1987年コロムビアレコード「宙 CHU-山本邦山 尺八・2001」、昭和61年度文化庁芸術作品賞受賞。1988年外務省広報部制作「現代の顔 山本邦山」、映画コンクール審査長特別賞受賞。平成元年度第11回松尾芸能賞受賞。1991年モービル音楽賞受賞。1996年東京藝術大学音楽学部教授に就任。2000年出版芸術社より「尺八演奏論」出版。第25回滋賀県文化賞受賞。2002年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2004年紫綬褒章受章。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

素囃子「猩々意想曲」

第1回 望月晴美 囃子演奏会

2005年10月25日(火)開催
(紀尾井小ホール)

2005年10月25日、紀尾井小ホールで行なわれた第1回 望月晴美 囃子演奏会。「新の会」のメンバーで知られる望月晴美さん。満を持して開かれた「女性の囃子方として歩いていくための新しい第一歩」の模様をレポートします。

文:笹井邦平

自分を表現する場を

素囃子「猩々意想曲」
素囃子「猩々意想曲」

長唄は〈唄〉〈三味線〉〈囃子〉の3パートに別れ、現在はどのパートも女性が活躍しているが、ひと昔前は歌舞伎や舞踊会の地方(じかた・バックミュージシャン)は男性に限られていた。

大相撲の千秋楽の表彰式で女性の文部大臣が土俵に上がれなかったことがあり、国技や伝統芸能の世界には女性差別の因習が根強く残っていた。そんな差別をなくして男女平等に自らを表現する機会を得よう−という機運が〈長唄囃子〉の分野にも萌芽し、20年ほど前より女性の囃子方による「女流囃子演奏会」が立ち上がり、現在「新の会」と改名をして年1回の公演を重ね来年15周年を迎える。

望月晴美(もちづきはるみ)はこの「新の会」のメンバーの1人、「自分を表現する場を持ちたい」という永年の夢を叶えて満を持して初リサイタルを開催した。客席はこの日を待ち望んだファンで溢れ、様々なジャンルの邦楽演奏家・関係者の顔も垣間見えて超満員。

雛人形の優雅さ

「龍笛と大太鼓による即興曲」
「龍笛と大太鼓による即興曲」

前半は四世藤舎呂船(よんせいとうしゃろせん)作曲・二世藤舎名生(にせいとうしゃめいしょう)笛作調・素囃子(すばやし)「猩々意想曲(しょうじょういそうきょく)」、伊藤松博(いとうまつひろ)作曲「龍笛と大太鼓による即興曲」、矢吹誠(やぶきまこと)作曲・望月晴美作調・今藤美知(いまふじみち)節付・委嘱初演「咲いた桜」の3曲。

「猩々意想曲」の〈猩々〉とは中国の伝説上の酒好きの獣、能や長唄にもある曲を囃子だけで構成したもの。舞台で演奏する出囃子(でばやし)の楽器は笛・小鼓・大鼓・太鼓でこれを〈四拍子(しびょうし)〉といい、能楽囃子ではこれに謡(うたい)が入って5人で演奏する〈五人囃子〉が基本で、今回はこれに脇鼓(わきつづみ)1人が入り6人で演奏する。全員女性による優雅でしなやかな鼓や笛太鼓の音色は雛人形の〈五人囃子〉を彷彿させ、晴美の打つ太鼓の時に柔らかく時にピーンと引き締まる緩急自在な音色が光る。

「咲いた桜」
「咲いた桜」

「龍笛と大太鼓による即興曲」は晴美の大太鼓と松尾慧(まつおけい)の龍笛(りゅうてき)との競演。龍笛は雅楽の横笛で「安倍晴明」など平安時代の時代劇に出てくる笛、晴美のおおどかな大太鼓と松尾のたおやかな龍笛の音色のコントラストが心地良い。

「咲いた桜」は「さくらさくら」を現代風にアレンジした箏・十七弦・尺八・竹マリンバとのコラボレーション。晴美は大鼓を打ちながら唄い、大鼓の「カーン」という乾いた甲音(かんおん・高音)と箏・竹マリンバの湿った音の絡みが絶妙で囃子の新しいアングルが見える。

女流囃子に市民権を

義太夫「日本振袖始−大蛇退治之段」
義太夫「日本振袖始−大蛇退治之段」

後半は四世藤舎呂船作調・義太夫「日本振袖始(にほんふりそではじめ)−大蛇退治之段(おろちたいじのだん)」。スサノオの尊がヤマタノオロチを退治する神話を近松門左衛門が義太夫にした作品で、父・竹本綱大夫(たけもとつなたゆう)の語る義太夫に晴美は小鼓を打ち込む。小鼓の活躍するフレーズは少ないが、ラストナンバーに相応しく厳かで華やかな盛り上がりをみせた。

4曲聴き終わって気がつくと晴美は太鼓・大太鼓・大鼓・小鼓と囃子の打楽器全てを演奏したことになる。これは〈女流囃子〉を一般にアピールしようとする彼女のメッセージにほかならない。

「ほかの邦楽のジャンルでは女流でも名人であればきちんと評価され、人間国宝も居てジャンルとして認められています。認知されていないのは〈囃子〉そのものが主体的立場にないからで、演奏会も私達がやらないと世の中は動いていかない」とリサイタル前に「邦楽ジャーナル」誌のインタビューに彼女は語った。

伝統芸能の世界にもウーマンパワーが台頭し始め、女性が市民権を得る春の足音が聞こえる。「咲いた桜」を見る日は近いようだ。

写真提供:新井常夫(舞ビデオ)

望月晴美(もちづき はるみ)

mochiduki1965年、東京日本橋浜町生まれ。
母、祖母ともに望月流女性囃子方、父は義太夫節の太夫。
幼少より囃子の楽器に親しみ、六歳の時、日刊工業ホールにて初舞台。
その後、宗家藤舎せい子に師事し、本格的に囃子を学ぶ。
又、長唄を今藤美知、江戸里神楽を若山胤雄に師事。

1988年 東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業(長唄囃子専攻)
1990年 同大学院音楽研究科修了
在学中は、長唄囃子を三世望月左吉、望月太喜雄に、能楽囃子観世流太鼓を観世元信、打楽器を有賀誠門に学ぶ
1988年 皇居桃華楽堂での「音楽大学卒業生演奏会」にて御前演奏
1990年 邦楽グループたまゆら公演にゲスト参加(以降、メンバーとなる)
長唄 第一回此君会の囃子を担当(以降、2004年の最終回まで)
1991年 国際交流基金による日本舞踊ソビエト公演に参加
1992年 女流囃子演奏会(現「邦楽囃子 新の会」)の発会に参加
1994年 広島アジアウィークTERA PACIS アジア民族舞踊音楽祭に参加
1998年 第二十五回 NHK古典芸能鑑賞会に出演
2002年 女性長唄グループThe Gold Fingersの発足に参加
2004年 第十一回日本フルートフェスティバルにゲスト参加
2005年 サントリーホール主催デビューコンサート二〇〇五「極楽邦楽」参加
笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

「冬の曲」 箏:亀山香能、尺八:善養寺惠介

第13回 亀山香能リサイタル

2005年10月21日(金)開催
平成17年度(60回記念)文化庁芸術祭参加
(東京千駄ヶ谷・津田ホール)

2005年10月21日、津田ホール(東京千駄ヶ谷)にて平成17年度(60回記念)文化庁芸術祭参加 第13回亀山香能リサイタルが行なわれました。古典の原点を見つめ直し、古典の新たなる創造に向けた箏曲の演奏会の模様をレポートします。

文:笹井邦平

時を紡いで輝く箏曲

今年7月にCD「時を紡いで」を日本伝統文化振興財団よりリリースした山田流箏曲の亀山香能(かめやまこうの)のリサイタル。

「長い歴史のなかで先人達により伝統を大切に守りながら育まれてきた箏曲。過去から〜今なお息づく現在〜そしてさらに未来へと、箏曲が時を紡いでいつまでも輝きを放つものであることを願いつつ、今私の胸の中に去来するさまざまな思いをこめて精いっぱい演奏したいとぞんじます」(抜粋)と彼女はプログラムに記している。

ビバルディ「四季」の和風バージョン

「冬の曲」 箏:亀山香能、尺八:善養寺惠介
「冬の曲」
箏:亀山香能、尺八:善養寺惠介

最初のプログラムは吉沢検校(よしざわけんぎょう)作曲・松阪春栄(まつざかしゅんえい)補作「冬の曲」。和歌(短歌)を何首か組み合わせて歌う〈組歌(くみうた)〉に〈手事(てごと)〉という長い間奏を加えた〈組歌風箏曲〉といわれる曲。吉沢検校は歌詞を『古今和歌集』から採り入れて「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」と四季を網羅し、いわばビバルディの協奏曲集「四季」の和風バージョンである。

亀山の流麗な箏と善養寺惠介(ぜんようじけいすけ)の深みのある豊かな尺八の音色が見事にマッチし、典雅な世界を創造する。

初春のテーマソング

「根曳の松(ねびきのまつ)」 箏:亀山香能、三絃:米川裕枝
「根曳の松(ねびきのまつ)」
箏:亀山香能、三絃:米川裕枝

2曲目は松本一翁(まつもといちおう)作詞・三橋勾当(みつはしこうとう)作曲「根曳の松(ねびきのまつ)」。題名は江戸時代正月に初めてできた子供の長寿を願って小さな松の木を根ごと引き抜く風習があり、これに因んで初春のさまざまな情景を歌っている江戸時代の初春のテーマソングともいえる。

亀山の箏と米川裕枝(よねかわひろえ)の三絃(三味線)が寿(ことほ)ぎ気分を満喫させ、響きの豊かなクラシックホールに江戸の初春情緒が溢れる。

風の中の羽のように

「熊野(ゆや)」 箏:亀山香能、三絃:山登松和、笛:福原徹
「熊野(ゆや)」
箏:亀山香能、三絃:山登松和、笛:福原徹

最後の「熊野(ゆや)」は山田流の創始者・山田検校斗養一(やまだけんぎょうとよいち)作曲で『平家物語』巻十の「海道下り(かいどうくだり)」を脚色した能「熊野」の中の文句を歌詞としている。

物語は平宗盛の愛人熊野が清水寺(せいすいじ)での花見の宴で故郷に残した病気の母親を案じて「春雨の 降るは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人やある」と古い和歌を歌い、感じ入った宗盛が熊野の帰郷を許すというストーリー。

演奏の最初のポイントは清水寺へ行く道中の都の絢爛(けんらん)たる春景色を歌う〈道行(みちゆき)〉というフレーズ。亀山の箏と山登松和(やまとしょうわ)の三絃と福原徹(ふくはらとおる)の笛が錦絵のような都の春景色をくっきりと描き出す。

次は帰郷を許されぬまま母の身を案ずる熊野の不安と憔悴に揺れる心の襞(ひだ)を描くポイントで、心理的な描写を要求される難しい曲想である。

最後は帰郷を許された熊野の晴れ晴れとした心情。この風の中の羽のように揺れる熊野の微妙な女心の描写を亀山は女流独特の繊細な歌と手事で見事に描き出す。

先人の心を紡いで

響きの豊かなクラシックホールで今ノッテいる助演者をセレクトしてスタンダードナンバー(古典曲)に21世紀の息吹を吹き込もうとする亀山香能。彼女が紡いでいるのは江戸から平成への〈時(間)〉であるとともに古典曲を精魂籠めて守り伝えてきた先人達の〈心(根)〉でもあるのだ。

亀山香能(かめやまこうの)プロフィール
1960年 東京新聞主催、文部省・日本放送協会後援「邦楽コンクール」にて三曲児童部二位入賞。
1969年 東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。在学中、箏・三絃を中能島欣一に師事。桃華楽堂にて御前演奏。NHKラジオ初出演。以降NHKラジオ「邦楽のひととき」「邦楽百番」、NHKテレビ「日本の調べ」「芸能花舞台」をはじめNHK・BSにも度々出演、現在に至る。
1972年 東京芸術大学大学院修士課程卒業。この年より78年まで東京芸術大学に助手として勤務。以降非常勤講師を勤める(2001年まで隔年毎に)。
1973年 中能島欣一師より各号(香能)教授許さる。
1974年 東京ユースシンフォニーと共にスイス、イギリスを演奏旅行。
1976年 NHK依頼により、首相官邸にて演奏。
1979年 第1回リサイタルを開催(以降1997年までに10回のリサイタルを開催)、イギリス・Duraban大学東洋音楽研究所主催「東洋音楽祭」に鳥居名美野師と参加演奏。
1983年 NHKTV「箏のお稽古」にて山勢松韻師(人間国宝)のアシスタントを一年にわたり勤める。
1993年 仙台にて「中能島欣一作品の夕べ」リサイタル開始。
1998年 国際交流基金よりドイツ、イタリア、ベルギーに演奏旅行。
2000年 オーストラリアのメルボルン、キャンベラ、シドニー三都市に演奏旅行。
2001年 第11回リサイタルを開催(文化庁芸術祭参加)。
2002年 この年より年3回のペースで「亀山香能Talk&Live」を開催し現在に至る(〜10回)。
2003年 第12回リサイタルを開催(文化庁芸術祭参加)。
2004年 “中能島欣一生誕百年作品集”のタイトルにてつくば市、甲府市、仙台市、千葉市、盛岡市でライブ公演。津田ホールにて開催された「BIWAKOTOFUE」に、福原徹、中川鶴女と共に出演する。この年より年3〜4回のペースで地方ライブ公演を開始し、現在に至る。

現在、国内外の演奏及びTV、ラジオ、歌舞伎座などに出演活躍。また、後進の指導及び日本音楽普及のためのワークショップ、レクチャーコンサートなどにも力を注ぐ。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

ステージ上右側より、上原まり、西川浩平、須田誠舟

連琵琶(つれびわ) 清盛−『平家物語』より−

2005年9月14日(水)開催
(国際交流基金フォーラム)

2005年9月14日、国際交流基金フォーラム(東京・赤坂)にて東京芸術見本市フリンジ(提携)公演「上原まり/連琵琶 清盛」が行なわれました。二つの琵琶からなる連琵琶での素晴らしい公演の模様をレポートします。

文:笹井邦平

鎌倉時代の”フォーク・ソング”

ステージ上右側より、上原まり、西川浩平、須田誠舟
ステージ上右側より、上原まり、西川浩平、須田誠舟

鎌倉時代に書かれた『平家物語』を〈琵琶法師〉と呼ばれる盲人の僧侶がフォーク・ソングのように琵琶を弾きながら語ったのが〈平家琵琶〉で、小泉八雲の「耳なし芳一」の主人公もこの琵琶法師と云われる。

明治初期に鹿児島県で豪快勇壮な〈薩摩琵琶〉が、明治中期に福岡県で音楽として華麗な〈筑前琵琶〉が興隆して現代に伝承されている。

“王妃”が語る『平家物語』

琵琶楽は独りで琵琶を演奏して語る(歌う)のが通常の形だが、〈連(つれ)〉とは邦楽用語で2人以上で〈連れて歌う(弾く)〉という意味で、「連琵琶 清盛」は筑前琵琶の上原まりと薩摩琵琶の須田誠舟がデュオで『平家物語』をモチーフとした「清盛」を演奏し、そこに平安時代末期の雰囲気を醸す西川浩平の横笛が入る–という斬新な企画である。

上原まりは元宝塚歌劇団のトップスター、ヒット作『ベルサイユのばら』では王妃・マリー・アントワネットを演じたが、引退後は父と同じ琵琶演奏家として活躍し、今年5月従来の琵琶楽のスタイルを打ち破る『連琵琶 清盛』という4枚組のCDをリリースし、その記念演奏会がこのコンサートである。会場には”マリー・アントワネットが『平家物語』を琵琶で語る”という口コミで宝塚ファンや琵琶愛好家が詰め掛けた。

ハモリ・ソプラノで”リニューアル”

幻想的なライティングが印象的なステージ
幻想的なライティングが印象的なステージ

曲目は古典の授業で必ず習う『平家物語』のプロローグ「祇園精舎」と平清盛が広島の厳島に神社を建立して平家の守り神とする「厳島」、そして平家が源氏に敗れて滅亡する「壇ノ浦」の3曲。

「祇園精舎」では上原まりが自作オリジナルの「祇園精舎」を、須田誠舟が〈平家琵琶〉の「祇園精舎」を歌詞は同じだが異なるメロディを同時に演奏し、邦楽用語でこれを〈打合せ〉という。華麗な上原の歌と琵琶の音色、地味ながら渋い須田の語りが着かず離れずの絶妙の二重奏・二重唱で、これまでない独自の音楽空間を展開する。

「壇ノ浦」は敗れた平家の幼い天皇が祖母である清盛の妻とともに海に飛び込む–という壮絶な最期を上原が美声のソプラノで盛り上げ、須田と2人でハモッて終わる斬新な曲想は初めて琵琶を聴く人にも解かりやすくて新鮮。

勇気あるデュオ

流麗な上原の筑前琵琶と豪快な須田の薩摩琵琶が見事にマッチし、間を西川の哀調を帯びた横笛が流れ、『平家物語』のテーマである「奢れる者も久しからず」という〈無常観〉を醸し出す。

〈筑前琵琶〉と〈薩摩琵琶〉はそれぞれ独自のメソドが確立されており、これまではコラボレーションなど考えられなかったが、このデュオの成功で琵琶楽に〈連琵琶〉という新しいジャンルが誕生したといえる。古典をリニューアルして普及させようというこのCDのコンセプトは充分に活きていた。

上原まり(うえはら まり)

uehara神戸市出身。筑前琵琶・旭会総師範・二世柴田旭堂の一人娘として、幼いころから琵琶に親しみ、高校1年のとき、東京新聞主催邦楽コンクール琵琶部門に最年少で3位入賞するなど、非凡な才能を示す。その後宝塚歌劇団に入団、大ヒット作『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネット役などトップスターとして活躍。1981年に退団後、琵琶演奏家としてデビュー。その後『平家物語』シリーズ、『雨月物語』『西行』などすべて自身の作曲による作品を発表、ステージやTV番組などで活躍。平成15年文化庁長官表彰を授与。

 

須田誠舟(すだ せいしゅう)

suda1947年東京生まれ。6歳のとき、伊藤長四郎に吟詠を学び、薩摩琵琶の手ほどきを受ける。1968年辻靖剛に師事し、薩摩琵琶の指導を受ける。1970年日本琵琶楽教会主催「琵琶額コンクール」で優勝、文部大臣奨励賞を受賞。日本のみならず、アジア、ヨーロッパでの公演などで活躍、また94年モノオペラ『銀杏散りやまず』(辻邦生原作)を制作、出演など。現在、日本琵琶楽協会理事長、薩摩琵琶正絃会理事長。

 

西川浩平(にしかわ こうへい)

nishikawa大阪フィルハーモニー交響楽団にてフルートの第一奏者として活動後、日本の横笛奏者として日本音楽集団に入団し、現在に至る。1987〜1990年、歌舞伎公演に従事、冨田勲作曲『源氏幻想交響絵巻』などを初演し、内外の交響楽団と共演する。CD『Flutist from the East』全4巻のリリース、著書に『邦楽おもしろ雑学事典』『黒御簾の内から』。昭和音楽大学、洗足学園音楽大学、桐朋学園芸術短期大学にて指導にあたっている。

 

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。