第28回 藤井昭子 地歌Live

  • 文字サイズ:

2006年4月 3日(月)開催
(東京新宿・Taberna〈タベルナ〉)

2001年にスタートして以来、今回で28回を数える藤井昭子さんの「地歌Live」。生の演奏を目の前でじかに、じっくりと堪能できるシリーズとして好評を博しています。藤井さんの師であり、母である藤井久仁江師を迎えて行なわれた、貴重な地歌(じうた)の芸の世界をお届けします。

文:笹井邦平

新しき街で邦楽ライブ

「藤井昭子(ふじいあきこ) 地歌Live」は2001年にスタートし、偶数月に定期的に開催され今回28回を数える長寿〈邦楽ライブ〉。会場は再開発された新宿南口のイタリアンレストランのホール。レストランとホールは分厚いドアで完全に遮断され、ライブハウスの如く飲食しながら演奏を聴くのではなく、〈地歌〉の古典曲をじっくり堪能し、休憩時間の〈ワンドリンク・サービス〉が嬉しい。

店名はレストランなのに「タベルナ」とは洒落たネーミング、イタリア語で「軽食堂・居酒屋」の意味だが、「タベルナ」の「べ」のスペルは正しくは「be」ではなく「ve」、オーナーの意図であえて「be」にしているのかも知らずそれは御愛嬌。

地歌をポピュラーソングとして

「タベルナ」のステージ。演奏者が聴衆に間近。
「タベルナ」のステージ。演奏者が聴衆に間近。

ホールは3人がやっと座れるくらいのステージを囲むようにコの字形に椅子が置かれ、70人入ると人いきれでムンムンする。演奏者と最前列の聴衆との距離はわずか2メートルくらい、琴爪や三味線の撥が絃に当たる音や歌の息継ぎまでもはっきり聴き取れるまさにライブ。

こんなスペースで藤井昭子は「地歌を敷居の高いものではなく、ごく身近なポピュラーソングとして聴いて欲しい」との想いを抱いてこのライブを立ち上げたのだろう。

邦楽界のサラブレッド

邦楽界のサラブレッド、藤井昭子。
邦楽界のサラブレッド、藤井昭子。

彼女は生田流地歌箏曲の人間国宝・藤井久仁江(くにえ)を母に持ち、祖母・故阿部桂子(あべけいこ)も名人と謳われ、三代に亘り〈九州系地歌〉の芸系は連綿と伝承され、兄・藤井泰和(ひろかず)も実力派男性演奏家として活躍し、まさに邦楽界のサラブレッドである。

母のエネルギーをもらって

難易度の高い「八重垣」。
難易度の高い「八重垣」。

今宵の最初の曲は昭子の箏弾き歌いで「八重垣(やえがき)」。これは和歌などの短い歌をいくつか組み合わせた〈箏組歌(ことくみうた)〉と云われるジャンル、各歌は拍数は同じだがメロディーが少しずつ変化していく演奏の難しいもので、この曲はその中でも秘曲と云われ、藤井家のレパートリーの一つとなっている。

リハーサルを聴かなかった母久仁江が演奏直前に会場に入り、昭子の顔に困惑の色が浮かぶが、桜の季節に因み母の〈枝垂れ桜〉模様の着物を身に纏った昭子は母のエネルギーまで貰ったように溌剌と演奏、久仁江も安堵の表情を見せる。

伝承の構図

「筆の跡」。左は藤井久仁江、右は藤井昭子。
「筆の跡」。左は藤井久仁江、右は藤井昭子。

2曲目は母久仁江と2人で「筆の跡」。これは〈端歌物(はうたもの)〉と云われるジャンルで、景色や情景を綴ったもので比較的短い曲が多く、母の体調不良のため予定されていた曲目を変更しての演奏となる。2人とも三絃(三味線)弾き歌いで、亡き夫が残した筆跡を眺めて妻が義母とともに在りし日の姿を偲ぶ−という内容、呼吸(いき)の合ったしっとりした味わいが溢れる。

演奏後、このライブを後援する当〈日本伝統文化振興財団〉の藤本草(ふじもとそう)理事長との対談で久仁江は芸談を流暢に語り、興味深いエピソードに客席が沸く。

病を押して娘のライブに駆けつけた母、その芸を全身全霊を傾けて受け継ごうとする娘、久仁江の存在そのものが昭子の芸を人生をしっかり支えているのである。

桜舞い散る春宵、祖母から母、母から子へと人生・生命を賭した古典の芸の伝承の場に臨席し、その証人となった私は果報者である。

写真はリハーサル時のもの

藤井昭子(ふじいあきこ)

akiko幼少より、祖母阿部桂子、母藤井久仁江に箏の手ほどきを受ける。4才で初舞台。8才より阿部、藤井両師に三弦の手ほどきを受ける。

1986年 山本邦山、藤井久仁江両師と共に、バークレイ、シアトル、ロサンゼルス他、米国各地を巡演。以後現在まで文化庁、国際交流基金等の派遣により欧米各地での演奏多数。

1988年 NHKオーディション合格、初放送出演。

1995年5月29日、第1回リサイタルを開催。

1997年4月18日、第2回リサイタルを開催。

1999年5月12日、第3回リサイタルを開催。

2001年6月25日、第1回「地歌ライブ」を開催。以降、2ヵ月毎に定期開催、現在に至る。

2002年6月、国立劇場にて母、兄と「三楽会」を開催。

2002年10月17日、第4回リサイタルを開催。

2003年5月、第7回ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞受賞。CDアルバムを制作。6月、国立劇場演芸場にて母、兄と第2回「三楽会」開催。

2004年10月25日、第5回リサイタルを紀尾井小ホールにて開催。12月、第5回リサイタルの演奏に対し、第59回文化庁芸術祭新人賞受賞。

2005年9月26日、第6回リサイタル(第60回記念文化庁芸術祭協賛公演)を紀尾井小ホールにて開催。

現在、九州系地歌箏曲演奏家として、演奏会・放送等の出演に活躍の場を広げている。

藤井久仁江(ふじいくにえ)

kunie3才より、母阿部桂子に箏の手ほどきを受ける。

1936年 宮城道雄に入門、新箏曲を学ぶ。

1937年 川瀬里子に入門、九州系地歌を学ぶ。

1947年 平原寿恵子(東京芸大声楽科教授)に洋楽発声学を学ぶ。

1949年 大和楽研究所(大倉喜七郎所長)にて邦楽発声法を学ぶ。

1956年 NHK邦楽技能者育成会第1期卒業。

1957年 銀明会(阿部桂子、31年創立)関西支部を設立。

1991年 銀明会二代目会長を襲名。

1995年4月、東京芸術大学客員教授(98年3月退官)。

2002年7月、重要無形文化財保持者認定。

2003年11月、重要無形文化財保持者認定記念演奏会を、名古屋中電ホールにて開催。

2006年5月4日、銀明会創立75周年・藤井久仁江喜寿記念演奏会を、国立劇場で開催予定。

これまで文化庁芸術祭優秀賞(72年、75年)、大賞(81年)、芸術選奨文部大臣賞(84年)、モービル音楽賞(95年)など各賞を受賞。また、紫綬褒章(92年)、勲四等宝冠章(2000年)を受章。海外での演奏歴も1968年以降、欧米4ヵ国に於いて数度に及ぶ。

現在、銀明会会長。社団法人日本三曲協会常任理事。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

(記事公開日:2006年04月04日)