連琵琶(つれびわ) 清盛−『平家物語』より−
(国際交流基金フォーラム)
2005年9月14日、国際交流基金フォーラム(東京・赤坂)にて東京芸術見本市フリンジ(提携)公演「上原まり/連琵琶 清盛」が行なわれました。二つの琵琶からなる連琵琶での素晴らしい公演の模様をレポートします。
文:笹井邦平
鎌倉時代の”フォーク・ソング”
鎌倉時代に書かれた『平家物語』を〈琵琶法師〉と呼ばれる盲人の僧侶がフォーク・ソングのように琵琶を弾きながら語ったのが〈平家琵琶〉で、小泉八雲の「耳なし芳一」の主人公もこの琵琶法師と云われる。
明治初期に鹿児島県で豪快勇壮な〈薩摩琵琶〉が、明治中期に福岡県で音楽として華麗な〈筑前琵琶〉が興隆して現代に伝承されている。
“王妃”が語る『平家物語』
琵琶楽は独りで琵琶を演奏して語る(歌う)のが通常の形だが、〈連(つれ)〉とは邦楽用語で2人以上で〈連れて歌う(弾く)〉という意味で、「連琵琶 清盛」は筑前琵琶の上原まりと薩摩琵琶の須田誠舟がデュオで『平家物語』をモチーフとした「清盛」を演奏し、そこに平安時代末期の雰囲気を醸す西川浩平の横笛が入る–という斬新な企画である。
上原まりは元宝塚歌劇団のトップスター、ヒット作『ベルサイユのばら』では王妃・マリー・アントワネットを演じたが、引退後は父と同じ琵琶演奏家として活躍し、今年5月従来の琵琶楽のスタイルを打ち破る『連琵琶 清盛』という4枚組のCDをリリースし、その記念演奏会がこのコンサートである。会場には”マリー・アントワネットが『平家物語』を琵琶で語る”という口コミで宝塚ファンや琵琶愛好家が詰め掛けた。
ハモリ・ソプラノで”リニューアル”
曲目は古典の授業で必ず習う『平家物語』のプロローグ「祇園精舎」と平清盛が広島の厳島に神社を建立して平家の守り神とする「厳島」、そして平家が源氏に敗れて滅亡する「壇ノ浦」の3曲。
「祇園精舎」では上原まりが自作オリジナルの「祇園精舎」を、須田誠舟が〈平家琵琶〉の「祇園精舎」を歌詞は同じだが異なるメロディを同時に演奏し、邦楽用語でこれを〈打合せ〉という。華麗な上原の歌と琵琶の音色、地味ながら渋い須田の語りが着かず離れずの絶妙の二重奏・二重唱で、これまでない独自の音楽空間を展開する。
「壇ノ浦」は敗れた平家の幼い天皇が祖母である清盛の妻とともに海に飛び込む–という壮絶な最期を上原が美声のソプラノで盛り上げ、須田と2人でハモッて終わる斬新な曲想は初めて琵琶を聴く人にも解かりやすくて新鮮。
勇気あるデュオ
流麗な上原の筑前琵琶と豪快な須田の薩摩琵琶が見事にマッチし、間を西川の哀調を帯びた横笛が流れ、『平家物語』のテーマである「奢れる者も久しからず」という〈無常観〉を醸し出す。
〈筑前琵琶〉と〈薩摩琵琶〉はそれぞれ独自のメソドが確立されており、これまではコラボレーションなど考えられなかったが、このデュオの成功で琵琶楽に〈連琵琶〉という新しいジャンルが誕生したといえる。古典をリニューアルして普及させようというこのCDのコンセプトは充分に活きていた。
上原まり(うえはら まり)
神戸市出身。筑前琵琶・旭会総師範・二世柴田旭堂の一人娘として、幼いころから琵琶に親しみ、高校1年のとき、東京新聞主催邦楽コンクール琵琶部門に最年少で3位入賞するなど、非凡な才能を示す。その後宝塚歌劇団に入団、大ヒット作『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネット役などトップスターとして活躍。1981年に退団後、琵琶演奏家としてデビュー。その後『平家物語』シリーズ、『雨月物語』『西行』などすべて自身の作曲による作品を発表、ステージやTV番組などで活躍。平成15年文化庁長官表彰を授与。
須田誠舟(すだ せいしゅう)
1947年東京生まれ。6歳のとき、伊藤長四郎に吟詠を学び、薩摩琵琶の手ほどきを受ける。1968年辻靖剛に師事し、薩摩琵琶の指導を受ける。1970年日本琵琶楽教会主催「琵琶額コンクール」で優勝、文部大臣奨励賞を受賞。日本のみならず、アジア、ヨーロッパでの公演などで活躍、また94年モノオペラ『銀杏散りやまず』(辻邦生原作)を制作、出演など。現在、日本琵琶楽協会理事長、薩摩琵琶正絃会理事長。
西川浩平(にしかわ こうへい)
大阪フィルハーモニー交響楽団にてフルートの第一奏者として活動後、日本の横笛奏者として日本音楽集団に入団し、現在に至る。1987〜1990年、歌舞伎公演に従事、冨田勲作曲『源氏幻想交響絵巻』などを初演し、内外の交響楽団と共演する。CD『Flutist from the East』全4巻のリリース、著書に『邦楽おもしろ雑学事典』『黒御簾の内から』。昭和音楽大学、洗足学園音楽大学、桐朋学園芸術短期大学にて指導にあたっている。
笹井邦平(ささい くにへい)
1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。
(記事公開日:2005年09月14日)