第十回 日本伝統文化振興財団賞「奨励賞」授賞式

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2006年5月29日(月)開催
(アイビーホール青学会館)

毎年行なわれ、今年で10回目という節目を迎えた日本伝統文化振興財団賞「奨励賞」。その授賞式の模様をお送りします。邦楽界で将来一層の活躍が期待される演奏家が顕彰される本賞。今回は長唄囃子方の藤舎呂英(とうしゃろえい)さんが選ばれました。呂英さんのインタビューもあわせてご覧いただけます。

→ インタビューはこちら

文:笹井邦平

輝く星を発掘

「日本伝統文化振興財団」はビクターエンタテインメント株式会社を基金元に「ビクター伝統文化振興財団」として1993年にスタートし、昨年7月に名称を変更した財団法人。〈日本伝統音楽の保存・振興・普及〉をテーマに掲げ、1996年に「奨励賞」を設立して邦楽界で将来一層の活躍が期待される演奏家を毎年1名顕彰し、長唄・清元・三曲・義太夫・能楽囃子などの各ジャンルよりこれまで9名の受賞者を輩出している。

この賞が他の顕彰と異なるのは〈芸術祭参加〉などの演奏会での評価ではなく、普段の演奏活動において若手が顕彰されることは稀有であること。そしてレコード会社が基金元なので、副賞として受賞者の演奏によるCDを制作してそのサウンドを広く紹介すること。これは若手演奏家にとって自らをセールスできるチャンスで、この受賞を契機に大きく伸びた演奏家も多い。

邦楽普及のシンデレラボーイ

受賞者・藤舎呂英さん
受賞者・藤舎呂英さん

今回の受賞者は長唄囃子方の藤舎呂英(とうしゃろえい)さん。呂英さんは長唄古典曲の囃子に留まらず、新曲の〈作調(さくちょう−リズムセクションを作曲すること)〉や〈創作囃子〉の作曲などにマルチな才能を開花させている。また、その甘いマスクは〈イケメン囃子方〉として普段邦楽を聴かないギャルの人気も集め、サッカーワールドカップ日本代表の巻誠一郎の如く〈邦楽普及〉のシンデレラボーイとしての期待が大きい。

満願までは髭仙人

藤本理事長の挨拶
藤本理事長の挨拶

会場は邦楽関係・レコード関係・文化人など300人近い出席者で溢れ、文化庁関係者や国会議員の来賓祝辞の後同財団の藤本草(ふじもとそう)理事長が挨拶し、「昨年〈ビクター〉という冠を外し、レコードメーカーの枠組みを超えたグローバルな活動で伝統を未来へ活かす〈音源アーカイブ(大規模な記録や資料のコレクション)〉の設立を目指しています。ですからリニューアルした財団としてはこれが第一回の授賞式かも知れません。志半ばではございますがどうか財団にお力添えをお願いいたします」と支援を呼びかけた。「満願成就するまで髭は剃らない」と誓った藤本理事長、その仙人の如きユニークな風貌は斯界でもカナリ目立つ存在。

妥協のない演奏を

今藤長龍郎さんより花束贈呈
今藤長龍郎さんより花束贈呈

受賞者の呂英さんには賞金五十万円と副賞のCDが贈られた。挨拶に立った呂英さんは「料理人は妥協のない仕込みをしてお客様に最高の料理を出します。演奏家も同じで一生懸命稽古して妥協のない演奏を聴いていただきたいと存じます」と今後の芸道修行への新たな決意を述べた

この後昨年の受賞者で長唄三味線方の今藤長龍郎(いまふじちょうたつろう)さんより花束が贈呈され、披露演奏は長龍郎さんと大和楽の大和櫻笙(やまとおうしょう)さんと3人で「桜花神韻(おうかしんいん)」を演奏。

日本画を奏でる

調べに静まり返る会場
調べに静まり返る会場

これは今藤長龍郎作曲・藤舎呂英作調による創作曲で、今回制作されたCDの中に収められている。松本哲男画伯の同名の絵に触発された長龍郎さんが細棹・中棹二挺の三味線で重量感と神秘性を表現し、そこへ桜の様々な表情を呂英さんが小鼓でイメージするというコンセプト。

長龍郎さんのきめ細やかな細棹三味線と櫻笙さんのたおやかな中棹三味線が見事に溶け合い、小鼓の奏でる妙なる調べが描く幻想的な桜の美しさに会場は静まり返り、演奏が終わると万来の拍手がこだました。

妥協のない演奏を成し得たであろう呂英さんは晴れやかな面差しで舞台を降りていった。

受賞者の声

聞き手:笹井邦平

笹井
受賞の御感想はいかがですか。

 

呂英
恐縮かつ光栄に思っております。芸術祭など自分でリサイタルをしてもらう賞はありますが、演奏家の普段の活動を評価してくれる賞というのは今他になく、まして私は長唄の囃子方で、脇役の地道な演奏が認められた−というのが一番嬉しいですね。

 

笹井
囃子方になられた動機・きっかけというのはどんなことですか。

 

呂英
祖父も父も囃子方で、小さい時おじい様に「自転車買ったげるからやってみろ」と釣られて2、3回やったことはあります(笑)。

高校の時ロックをやっていて、家にあった太鼓をパーカッションのように打ち、三味線をギターのように弾いてました。三年になって進路決定の時学校の書類に「囃子方を目指す」と書いたのを父が見まして、「ちょっとやってみようかな」と始めたのがキッカケです。

藝大へ入って藤舎流の家元五世藤舎呂船(藤舎せい子)先生に教えを受けまして、先生が亡くなられて今の家元(六世藤舎呂船師)に御指導いただいております。

 

笹井
目指す演奏家の理想は?

 

呂英
料理人は妥協のない仕込みをして料理をお客様に出して「美味しい」と喜んでいただき、演奏家も稽古を積み自分に妥協のない舞台を勤めてお客様に楽しんでいただく訳です。関西弁で言えば「どや、美味しいやろ、今食べて」と押し付けるのではなく、さりげなく最高の演奏をお聴かせしてお客様に判断していただく−というのが理想です。

 

笹井
それは全ての芸人が目指す頂ですね。ありがとうございました。
藤舎呂英(とうしゃろえい)
1966年 大阪生まれ。
1974年 祖父・望月太津市郎より手ほどきを受ける。
その後、父・藤舎呂浩に指導を受ける。
1985年 宗家・藤舎せい子師に入門
1989年 東京芸術大学音楽学部卒業
「藤舎呂英」の芸名を許される。
1995年より 国立劇場「明日をになう新進の邦楽と舞踊」の囃子を担当。
2000年 国立劇場にて一調一管(小鼓、笛)による創作曲「花」初演。
2003年 スパイラル公演「はるかな空の高みにまで」にて声明と共演。
2004年 アテネ五輪シンクロナイズドスイミング日本代表チーム競技曲「ジャパニーズドール」で、小鼓を演奏。
2005年 「題名のない音楽会」歌舞伎ミーツクラシックに出演。
「平家物語の夕べ」にて、語りと共に囃子を演奏。
創作曲「花」再演(花柳流舞踊会)。
香港にて、四世家元今藤長十郎の会出演。

現在、六世家元藤舎呂船に師事。鼓のソロ演奏、琵琶・琴・ピアノ・フルートなどジャンルを越えた様々な楽器との演奏活動を行っている。また、学校巡回演奏活動の傍ら、CD・DVD制作にも多数携わっている。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

(記事公開日:2006年05月30日)