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山勢麻衣子演奏会

2007年11月15日(木)開催

(紀尾井小ホール)

山田流箏曲の山勢麻衣子さん。今回”山勢麻衣子”としてのお披露目となる演奏会が2007年11月15日紀尾井小ホールで開かれました。確かな実力に支えられた演奏、バラエティ豊かな選曲に加え、山勢松韻師、鳥居名美野師、中能島弘子師、髙橋榮清師、青木彰時師という豪華な共演者とともに聴衆を魅了した演奏会の模様をお届けします。

文:笹井邦平

名披露目と独立と

山田流箏曲の山勢麻衣子(やませまいこ)さんは人間国宝・山勢松韻(やませしょういん)師の門下で「髙橋衣勢(きぬせ)」という芸名で研鑽を続け、昨年12月松韻師と養子縁組をして「山勢麻衣子」と改名し、今回初めてのリサイタルとなる。

つまりお披露目と演奏家として独立するファーストリサイタルである。

温もり湛えた音色

「花妻」
「花妻」

曲はまず山田流の流祖・山田検校(やまだけんぎょう)作曲の古典曲「花妻」を髙橋榮清(たかはしえいせい)師の三絃と麻衣子さんの箏で演奏。「花妻」とは萩の花の異名で萩と鹿に準えて秋の夜長に恋人を想う切ない恋心をテーマとしている。

ベテラン髙橋師の深みのある三絃に支えられて麻衣子さんは淡々とそして切々と乙女の恋心を歌い上げる。

「盤渉調」
「盤渉調」

次の「盤渉調(ばんしきちょう)」は中能島欣一(なかのしまきんいち)作曲の器楽曲で麻衣子さんの三絃独奏。「盤渉」とは日本の伝統的な音の名称で「ロ」(h)の音を指しこの音を基本に演奏する。絃を指ではじいたり撥で掬ったり超難度技巧を繰り返す難曲を麻衣子さんは冷静沈着に表情と温もりを湛えた音色を紡ぎだしてゆく。

錦秋の開花

「四季の眺」
「四季の眺」

後半は松浦検校(まつうらけんぎょう)作曲の「四季の眺(ながめ)」を鳥居名美野(とりいなみの)師の箏・麻衣子さんの三絃・青木彰時(あおきしょうじ)師の尺八で演奏。

歌の間に〈手事〉(てごと)という長い間奏が入る〈手事物〉というジャンルで、四季の美しさを歌う歌詞と華やかな手事がマッチして優雅な雰囲気が漂う。

「伏見」
「伏見」

トリは中能島検校(なかのしまけんぎょう)作曲「伏見」を作曲者のひ孫に当たる中能島弘子(なかのしまひろこ)師と山勢松韻師の箏に麻衣子さんの三絃で演奏。これは幕末の鳥羽・伏見の戦いを物語風に語り、平穏を取り戻した君が世をめでる-という内容で、壮絶な戦の様子が臨場感溢れる演奏で語られる。

小品・現代曲・手事物・浄瑠璃風とバラエティ豊かな選曲と各曲を見事にクリアした麻衣子さんの実力は長年の研鑽と持って生まれた音楽センスに支えられている。

いわゆる山田流御三家(山木・山勢・山登)の一つの山勢派に育った蕾が今花を咲かせようとしている。錦秋を彩るその開花は21世紀の箏曲界に新たな一歩を記すことになるだろう。

写真はリハーサル時のもの

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

第5回 芳村伊四郎リサイタル

2007年10月 7日(日)開催

(紀尾井小ホール)

第5回 芳村伊四郎リサイタル2007年10月7日、紀尾井小ホールの「第5回芳村伊四郎リサイタル」に行ってきました。

曲目は「まかしょ(寒行雪姿見)」「秋の色種」「問答入り 勧進帳」と古典ばかり3曲。長唄は歌舞伎の音楽というイメージが強かったのですが、今回のリサイタルでは、長唄の違う面を知ることができました。

最初の「まかしょ」は、江戸中村座で初演された歌舞伎舞踊の曲。にぎやかに鳴物も入って、軽妙な調子で幕を開けました。

曲が終わったところで司会の葛西聖司アナウンサーが登場し、このリサイタルの選曲について、おなじ長唄でも3曲が異なる特徴をもっていること、それぞれの曲に合わせた共演者であることが解説されました。会場は着物姿の女性が目立ち、長唄になじみの深い方も多いと見受けましたが、曲をよく知らない私には説明がとてもわかりやすく、願ってもないガイド役を得た気分でした。

2番目の「秋の色種(あきのいろくさ)」は、純粋に鑑賞用の音楽として演奏される、いわゆる「お座敷長唄」の代表作とのこと。江戸時代、麻布にあった南部の殿様の隠居所新築祝いに作られた曲で、当時の麻布の秋の景色を歌っていることや、およそ長唄らしくない漢語が使われていることなど、興味深い解説がありました。ちょうど季節もぴったりで、歌舞伎座では出会えない長唄の世界をたっぷりと楽しみました。

最後は「勧進帳」。歌舞伎十八番でおなじみの演目ですが、今回は勧進帳の読み上げや山伏問答の入った「問答入り」の形です。歌舞伎の舞台では肝心のセリフは役者さんの役目ですから、長唄だけとりだして聞いても筋はわかりません。「問答入り」はそれを補って、長唄の唄方が登場人物を演じてしまうという趣向です。弁慶が伊四郎さん、富樫に杵屋直吉さん、タテ三味線に今藤政太郎さんを迎えて、「勧進帳」の演奏会バージョンともいえるダイナミックな長唄を味わいました。

この日演奏されたのは、芳村伊四郎さんの大好きな作品ばかりということです。みごとに三曲三様で、伊四郎さんの幅の広さを感じさせるとともに、長唄の世界の広がりと魅力を教えてくれる、意味の深いプログラムだということが、解説の助けもあってよくわかりました。

歌舞伎の長唄を楽しむばかりでなく、今度はもっといろいろな長唄を聞いてみたいと思いながら紀尾井ホールを後にし、金木犀の香る道を四ッ谷駅に向かいました。

(文:じゃぽ音っと編集部)

スピカ能07「道成寺/土蜘蛛」

2007年9月28日(金)〜29日(土)開催
(札幌メディアパーク・スピカ)

北海道・札幌メディアパーク・スピカで9月28、29日にわたって開催され、たいへんな盛況となった能舞台の模様をお届けします。これらの模様は映像化され、2008年春に上下二巻に分けてDVD化される予定ですので、その予告編としてもご覧いただけます。

※これらの公演を収めたDVD―能と花の二夜― 能「土蜘蛛」/狂言「鐘の音」―能と花の二夜― 能「道成寺~赤頭」)は発売中です。

「観世喜正、野村萬斎ほか出演の舞台が、
来春DVD発売予定」

文:じゃぽ音っと編集部

生け花とのコラボレーション、円形ホールでの能舞台

生け花とのコラボレートによるステージ(1)
生け花とのコラボレートによるステージ(1)

9月28日(金)、29日(土)と札幌メディアパーク・スピカで「――能と花の二夜――」と題し、狂言「六地蔵」(シテ:野村萬斎)・能「土蜘蛛」(前シテ:観世喜之、後シテ:永島忠侈)、狂言「鐘の音」(シテ:野村萬斎)・能「道成寺」(シテ:観世喜正)が演じられた。タイトルにある「花の」とは、草月流第四代家元・勅使河原茜さんによる生け花とのコラボレーションからつけられている。

円形の多目的ホール(2)
円形の多目的ホール(2)

メディアパーク・スピカは円形の多目的ホールで、そこに能舞台がつくられる。円形なので、普段能楽堂では見ることの出来ない位置にも客席があり、視界を遮る柱もないので、能楽堂で見るのとはまた違った楽しみ方がある。また、初めて観る方も楽しめるように、シテ方による事前の演目解説があったり、難しい言葉の解説もプリントで配られたので、慣れていないと聞き取りづらいせりふなどもだいぶわかる。

観ごたえたっぷりの演目

能「土蜘蛛」(3)
能「土蜘蛛」(3)

「土蜘蛛」は、蜘蛛の糸を何度も投げかけたりして、非常に派手で人気のある演目である。蜘蛛の精のいる塚が蜘蛛の巣になっていて、蜘蛛の巣を破って出てくるなど、激しい動きが多く、飽きさせない。その日のスピカは8mの竹を広がるように何本も立て、そこに8つに割った竹をはりめぐらせ、動きのある背景になっていた。勅使河原家元によれば、それはまさに「蜘蛛の糸」をイメージしたそうだ。

「道成寺」は能を観たことがない人でも題名は知っている演目だと思う。演者にとって非常に重要な演目であるが、観る側にとっても緊張感を持って観る演目であると思う。北海道では23年ぶりの上演だったそうだ。「道成寺」はシテ方は「鐘入り」など有名な見せ場があり、もちろん気迫のこもった演技だったが、囃子方にとってもやはり気の抜けない演目で、一音一音の間など、大変緊張感のあるよい舞台だった。背景は前日と同じく竹をベースに作られていたが、真ん中に花が生けられていた。「道成寺」の舞台は春であることと、鐘に怨みをもつ女の激しい情念のようなものをイメージしたという。

今回の公演はDVD化予定

狂言「六地蔵」(5)
狂言「六地蔵」(5)

スピカは約1200人の客席数だが、両日ともほぼ満席。今年で4回目となるスピカ能狂言シリーズは固定ファンも多くいるようだ。しかし、残念ながらスピカは来年の3月で閉館とのこと。せっかく札幌に根付いた能の公演をどこか別の場所ででも続けていってほしいと思う。(ちなみに、現在札幌では、市立能楽堂を設立しようという運動もある)

狂言「鐘の音」(6)
狂言「鐘の音」(6)

今回の公演は、2008年3月下旬にDVDとして日本伝統文化振興財団から二巻に分けて発売予定(注)。公演以外に、当日スピカ内特設会場で開催されていた「作り物展」の様子や、演者へのインタビュー、舞台美術メイキングなど特典映像も収録される。

写真提供 :(1)(2)大森美樹、(3)〜(6)STVメディアフィールズ21 撮影:須田守政(FIXE)
舞台美術:勅使河原茜(草月流家元)

 

来春発売のDVD収録内容(予定)

本編:<第一巻>狂言「鐘の音」、花いけ、能「土蜘蛛」 <第二巻>能「道成寺」
特典映像:舞台挨拶、出演者インタビュー、作り物展解説、舞台美術メイキング ほか
DVD機能:高画質ワイド画面、字幕切替(日本語/英語、本編完全収録)、マルチアングル(2方向切替)

(注)二巻とも、2008年8月20日発売。

—能と花の二夜— 能「道成寺赤頭」

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2008年8月20日 発売 
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山本東次郎家 狂言の会

2007年8月28日(火)開催

(東京・杉並能楽堂)

狂言界に揺るぎない存在を示す山本東次郎一門。その技芸を余すところなく収録したDVD『山本東次郎家の狂言』の発売を記念し、『定年時代』紙 と日本伝統芸能音楽CD・DVDの通販で知られるカルタコム との共同主催企画として8月28日に行なわれた「山本東次郎家 狂言の会」の模様をお伝えします。

「セリフだけの音楽劇・狂言の楽しさ」

文:星川京児

ちょうど良いサイズの杉並能楽堂

増田正造氏(武蔵野大学名誉教授・写真右)と山本則重師による実技と解説
増田正造氏(武蔵野大学名誉教授・写真右)と山本則重師による実技と解説

狂言のイメージというと、セリフ中心のファルス(笑劇)というイメージがある。謡や舞が入るところも、一人の演者が演ってしまうことが多いし、囃子のはいる演目も、時に省かれたりする。結果、狂言というと、会話の面白さや、滑稽な所作、動物の模倣に目がとられて、ますますその印象を強くしてしまう。昔流行ったCM「猿にはじまり狐に終わる」のである。これは狂言デビュー・プログラムの「靫猿(うつぼざる)」の小猿から、落語の真打ちクラスの大ネタ「釣狐(つりぎつね)」の古狐のこと。幽玄をもってする能とはかなり趣を異にする。

なにより、能には数多くの録音があるが、狂言では音だけのソフトというのはちょっと見当たらない。一緒にしたら叱られそうだが、講談、落語のドラマ性は言葉だけでは伝わりにくい。やはり、絵があってこその狂言。動きがあって初めて解る面白さなのである。

『山本東次郎家 狂言の会』が行われたのは、閑静な住宅街にひっそりと佇む杉並能楽堂。演者の息遣いがそのまま聴き取れる専用ホールならではの臨場感。これなら、少々言葉の意味など分からなくても、ストーリーに共鳴できるちょうど良いサイズ。伝統とは、こういったことも含めてのソフト&ハードを言うのだろう。

テーマの普遍性、通底するビートを痛感

まずは、無垢というより、若干愚かしい婿と父親の一枚しかない袴を巡るドタバタ劇「二人袴(ふたりばかま)」。迎える舅も交えて、一段、二段、三段と盛り上げる舞の緊迫感は、観ているこちらも思わず手に汗握るもの。特に【相舞(あいまい)】という二人で同じ舞を舞うアクロバティックな動きは圧巻。見事な舞踊劇でもある。当人たちにとってはいたたまれない失敗談なのに、観てて暖かい気持になるのは、登場人物すべてに悪意がないためか。

「布施無經」シテ(出家):山本東次郎 アド(施主):山本則直
「布施無經」シテ(出家):山本東次郎 アド(施主):山本則直

続いての「布施無經(ふせないきょう)」は山本家のお家芸。こっちはお布施が欲しいという出家と、お布施を忘れたクライアントとの攻防。回りくどい要求の中に現れる葛藤と、どう繕っても本音全開の出家と施主の間合いの妙。時に噛み合わない言葉の遣り取り、もどかしさは、ある種、不条理漫才にも展開する可能性を秘めている。そういったことを削ぎ落として、エッセンスだけを抽出したのが狂言なのだろう。最高のデュオを聴いたような快感もある。とはいえこの状況。思い当たることが多々あると、思わず身につまされる。

最後は総勢9人という大所帯の「千切木(ちぎりき)」。鼻つまみ者はいつの世にもいるものだが、仲間外れにされた対象が連歌というのが面白い。外された文句を付けに行き、あげく放り出され、妻に唆され、仕返し、空威張というパターン。この愚かしさこそ狂言の王道かもしれないが、それだけではここまで残る作品にはなるまい。なんといっても、連歌の会というシチュエーションを活かした演出が凄い。一人のセリフに他のセリフが被り、またそれにセリフが被るという、声が波のように重なり合い、大きなリズムとなって対象を呑み込んでしまう。ギリシア古典劇のコロス(注)ではないが、声=言葉ではなく、声=音という物理的な演出。身体だけを使ったシンプルな狂言だからこそ獲得した方法論の一つだろう。

「千切木」
「千切木」 シテ(太郎):山本則俊 アド(当屋):山本則直 アド(太郎冠者):山本則孝 立衆(連歌の客):山本則重 立衆(連歌の客):山本則秀 立衆(連歌の客):平田悦生 立衆(連歌の客):山本修三郎 立衆(連歌の客):鍋田和宜 アド(妻):山本泰太郎

3本を通して痛感したのは、テーマの普遍性、そして通底するビート感だということ。狂言は、歌や楽器を必要としない音楽劇なのかもしれない。

注)コロス(khoros)
古代ギリシア劇の合唱隊。劇の状況を説明するなど、進行上大きな役割を果たす。日本の能の世界で地謡(じうたい)のような役割。

杉並能楽堂

杉並能楽堂は、明治43年、江戸城三の丸能舞台の図面を基に創建されたといわれ、昭和4年に本郷弓町から現在の杉並に移築された。鏡板(舞台正面奥)の老松の絵も、江戸城で使われた下絵をそのままに描かれたと言われており、古色が大変美しい。現代建築の粋を集めて能楽堂が次々とつくられている中、東京では九段の靖国神社の能舞台に次いで古い能楽堂として知られ、品位と気迫に充ちた山本家の至芸に相応しい趣がある。(杉並能楽堂の公式サイトはこちら

山本東次郎(やまもと とうじろう)

昭和12年生。大蔵流・故山本東次郎則重の長男。昭和39年、東次郎、則直、則俊三兄弟揃って「茶壺」で芸術祭奨励賞受賞。平成4年度芸術選奨文部大臣賞受賞。平成6年度観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。平成10年紫綬褒章受章。平成13年エクソンモービル音楽賞(邦楽部門)受賞。平成18年度日本芸術院賞受賞。重要無形文化財総合指定・日本能楽会会員。

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

「十七絃と小鼓のための二重奏曲」

第2回 邦楽グループたまゆらコンサート

2007年7月20日(金)開催

(東京・四谷区民ホール)

山田流箏曲演奏家・二代伊藤松超師を中心に1985年に設立された邦楽グループたまゆら。昨年、一般向けに第1回のコンサートを開催し、今年7月20日、四谷区民ホールにて第2回が開かれました。その当日にファースト・アルバム『たまゆら』(注)を発表するなど、邦楽界注目グループのコンサートの模様をお送りします。

文:笹井邦平

かすかな安らぎの音

「岡康砧(おかやすきぬた)」
「岡康砧(おかやすきぬた)」

「たまゆら」とは古いヤマトコトバで、首にかけた勾玉(まがたま・ネックレス)が触れ合ってかすかな音が生まれ、その音に耳を傾けると心の安らぎを覚えるので、〈しばしの間・暫時〉という意味であるが、邦楽グループ「たまゆら」のグループ名の由来は一味違うようだ。

邦楽グループ「たまゆら」は一昨年暮に逝去された山田流箏曲演奏家・二代伊藤松超(いとうしょうちょう)師を中心に邦楽のジャンル・流派を超えて1985年に設立されたアンサンブル。メンバーは夫人の伊藤美恵子さんと息女の伊藤まなみ・ちひろさん、生田流箏曲の木田敦子(きだあつこ)さんと矢野加奈子(やのかなこ)さん、山田流箏曲の清野(せいの)さおりさん、邦楽囃子の望月晴美(もちづきはるみ)さん-と多種多彩。

「私は触れ合う小さな音を大切にして、結び合う人と人との関わりを掛け替えのないものにしていきたい-という想いで『たまゆら』と名付けました」と伊藤松超師は公演のプログラムの中で述べている。

全国各地で〈こども劇場・親子劇場〉を中心に「伝統文化を人々の心に届けたい」というテーマで演奏活動を続けてきたが、松超師亡き後その遺志を継いで昨年9月に一般向けのコンサートを開催し今回が2回目となる。

泉下へ届く流麗な調べ

「十七絃と小鼓のための二重奏曲」
「十七絃と小鼓のための二重奏曲」

ファーストプログラムはメンバー全員による古典曲・岡安小三郎作曲・初代伊藤松超箏替手手付「岡康砧(おかやすきぬた)」。〈砧〉とは布を叩いて柔らかくして艶を出すための木の棒か石の台、あるいはそれを打つことをいう。「チンリン チンリン」という「砧地(きぬたぢ)」といわれるリズムが心地良く、黒の正装で華やかに厳かに奏でる響きは泉下の松超師を追悼するようだった。

杵屋正邦作曲「十七絃と小鼓のための二重奏曲」(十七絃-木田敦子、小鼓-望月晴美)は2人の呼吸(いき)がピタリと合って「ポン」と軽やかな小鼓と「ボン」と重厚な十七絃のコントラストが絶妙のアンサンブルを創る。

「風・わたり」 左端は箏Ⅱの伊藤さん、その右に箏Ⅰの木田さん
「風・わたり」
左端は箏Ⅱの伊藤さん、その右に箏Ⅰの木田さん

栗林秀明作曲「風・わたり」(箏Ⅰ-木田敦子、箏Ⅱ-伊藤まなみ、箏Ⅲ-矢野加奈子、箏Ⅳ-清野さおり)。演奏者の位置は箏Ⅰより左から右へ並ぶのが普通だが、左端は箏Ⅱの伊藤さんで木田さんがその隣に入り、これは作曲者の指定とのこと。古典の箏にはない新しい音色を創り出す不思議な曲想で、風の様々な表情が見えてくる。

溢れる郷愁と抒情

「水郷暮情」
「水郷暮情」

中原綾子作詞・初代伊藤松超作曲「水郷暮情」(唄-伊藤美恵子、箏-伊藤ちひろ)は利根川の夕暮れの情景を歌った抒情歌、素朴な歌と控えめながら美しく繊細な箏の音が郷愁をそそる。

ラストは長沢勝俊作曲「飛騨によせる三つのバラード」(箏1-木田敦子、箏2-伊藤まなみ、箏3-伊藤ちひろ、十七絃-矢野加奈子、尺八-田辺頌山)。俗に〈飛騨バラ〉と呼ばれる現代邦楽のスタンダードナンバーで、美しいメロディと心地良いリズムはいつ聴いても心休まる。助演の田辺頌山(たなべしょうざん)さんのボリューム豊かな尺八がアンサンブルに厚みと深さを加える。

たまゆらの音

プログラムを振り返ると二代松超師の父・初代松超師の手付・作曲の曲が2曲、古典曲とメロディが美しくリズムが心地良い現代邦楽が並ぶ。これが二代松超師の想い描いた〈たまゆらの〉の音なのかも知れない。

写真はリハーサル時のもの

注)
邦楽グループ たまゆら ファースト・アルバム『たまゆら』
[Disc 1]尺八、箏、十七絃、打楽器のための音楽(佐藤敏直)/バロック風 日本の四季 より(早川正昭)/水郷暮情(詞・中原綾子、曲・初代 伊藤松超)/[Disc 2]那須野(山田検校)/啄木によせる無言歌(伊藤松博[二代 伊藤松超])
発売元:ノーザンライツ・レコード
品番:tmyr-001/002(CD2枚組)
価格:定価3,500円(税込)
問い合わせ:邦楽グループ たまゆら(電話 03-3355-3589 FAX 03-3357-4655)

出演者略歴

田辺頌山(都山流尺八)

小学生より父、恵山に手ほどきを受け、早稲田大学入学と同時に人間国宝 山本邦山師に師事。NHK邦楽技能者育成会第27期卒業。ローマ法王謁見演奏をはじめ海外演奏も多い。’93長谷検校記念第1回全国邦楽コンクールで最優秀賞を受賞。CD「静かなる時」をリリース。尺八本来の持ち味をたいせつにし、ジャンルにとらわれない幅広い活動を行っている。都山流尺八楽会大師範。

伊藤美惠子(山田流箏曲)

東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。中能島欣一、初代伊藤松超、平井澄子各師に師事。二代伊藤松超と結婚、共に箏曲武声会定期演奏会等を多数開催。アジア音楽祭出演。東芝レコード、NHKラジオ出演多数、NHK「三曲大全集」等収録。(社)日本三曲協会学校音楽普及委員。箏曲武声会会長。

木田敦子(生田流箏曲)

東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院音楽研究科修了。邦楽のみならず、洋楽器、民族楽器、ヴォーカリストとも共演するなど、意欲的に音楽活動範囲を拡げている。「箏座」メンバーとしてCDを3枚リリース。箏曲関連のCDでの演奏多数。宮城会師範。

矢野加奈子(生田流箏曲)

東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院音楽研究科修了。NHK邦楽オーディション合格。実践女子学園中高等学校箏曲部講師。地唄から現代曲まで意欲的な音楽活動、教授活動を行っている。宮城会師範。

伊藤まなみ(山田流箏曲)

東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院音楽研究科修了。他派箏曲を鳥居名美野師、河東節三味線を山彦さわ子師に師事。NHK邦楽技能者育成会第40期卒業。文化庁新進芸術家国内研修員に選出。国立劇場主催公演出演。アメリカ、ロシア公演。山田流箏曲協会理事。箏曲武声会副会長。学習院大学三曲研究部絲竹会講師。箏曲新潮会会員。四十騎会同人。

望月晴美(邦楽囃子)

宗家藤舎せい子師に師事。長唄を今藤美知、江戸里神楽を若山胤雄各師に師事。1988年東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。1990年同大学院音楽研究科修了。長唄協会、邦楽囃子新の会会員。2005年、紀尾井小ホールにて初リサイタル主催。本年11月、第二回リサイタルを紀尾井小ホールにて予定。

清野さおり(山田流箏曲)

東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。NHK邦楽技能者育成会第40期卒業。NHK邦楽新人オーディション合格。NHKラジオ・テレビ出演。第4回全国邦楽コンクール最優秀賞受賞。2005年文化庁新進芸術家国内研修員に選出。箏・三絃清翔会副会長。箏曲新潮会会員。四十騎会同人。

伊藤ちひろ(山田流箏曲)

東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院音楽研究科修了。文化庁国内研修員として他派箏曲を鳥居名美野師、河東節三味線を山彦さわ子師に師事。(社)日本三曲協会、山田流箏曲協会、箏曲新潮会会員。箏曲武声会会長補佐。学習院大学三曲研究部絲竹会講師。山脇学園中学校音楽家邦楽助手。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

さらに多彩なゲストが加わり、会場は盛り上がりの頂点へ

つるとかめ ”しゃっきとせ” Live

2007年6月26日(火)開催

(東京墨田・アサヒ・アートスクエア)

津軽民謡の巨匠、澤田勝秋さんと、太鼓と歌に定評のある木津茂理さんによる民謡ユニット、つるとかめのライヴの模様をお送りします。4月に発表した新作『しゃっきとせ』にあわせて行なわれたライヴで、ゲスト参加した細野晴臣さん、浜口茂外也さんも登場するなど、ライヴは大盛況となり、民謡の楽しさが十二分に伝わるものとなりました。

文:星川京児

【民謡ユニット】つるとかめ

日本の伝統音楽のなかで、最も人口の多いジャンルが民謡らしい。といって、まわりを見回してみても、プロの民謡歌手が歩いているわけではないし、若人向けに専門雑誌などが発売されているという話も聞かない。とはいえ、全国に散らばる民謡教室の類は膨大というし、民謡大会などいずれも盛況という。要は、かなりの人達にとって、あまりにも身近で、また自分で楽しむためのものとして社会に定着しているということなのだろう。

澤田勝秋さん
澤田勝秋さん

ところで【民謡】という言葉は日本にはなかったというと驚かれるかも。もともとは学者が英語のフォーク・ソングを翻訳したことに始まる。昭和以前は、いわゆる民謡のレコードを俚謡と呼んていた。辞書などの定義は「郷土の庶民の間に自然に発生し、その生活感情や民族性などを素朴に反映した歌謡」となっており、田植歌、馬子歌など労作歌、婚礼や祭礼の祝い歌、踊り歌などを例として挙げている。作詞・作曲家が判明している新民謡に関しても「地方色を帯びた新作歌謡(広辞苑)」として含めているが、実際はもっと多様。作品によっては歌謡曲との境界線の見えないものも多い。

民謡歌手の歌謡曲、特に演歌系が多いのもその延長だろう。昨今はやりの沖縄や奄美の島唄だって、民謡。限りなくシンガー・ソングライターに近い人もいるが、基本のメロディや唱法は民謡という歌のジャンル。これに、ギターやキーボード、ドラムといった洋楽アレンジを施せば立派なワールド・ミュージック。エンヤをはじめとするケルトだって、同じ道を辿ってきたのだから、まだまだ可能性は大きい。

木津茂理さん
木津茂理さん

「つるとかめ」は、全く異なったアプローチの民謡ユニット。津軽民謡一筋の巨匠、澤田勝秋と、これまた若手ながら太鼓と歌には定評のある木津茂理という、民謡界ではちょっと信じられない、まさに【ユニット】というしかないコンビ。

ユニークなのは、今風のサウンド・アレンジに凝ったり、大仰なメッセージ民謡を創作したりしないこと。作品の多様さなら、日本各地に残された民謡の中にいくらでもあるし、内容も、人の人生すべてに対応できるだけの歌が揃っている。ということで、人工甘味料や調味料は一切なし。喉と三味線と太鼓だけで勝負。ついでに、その歌に説得されてしまう自分自身がなんとも新鮮なのですが。

日本人に生まれて良かったと思う一夜

つるとかめに加わる細野晴臣(中央左)さんと浜口茂外也(中央右)さん
つるとかめに加わる細野晴臣(中央左)さんと浜口茂外也(中央右)さん

ジャンルを問わず、様々な試みで知られるアサヒアートスクエアでのライブは、三枚目の新作『しゃっきとせ』発売に合わせたもの。録音に参加した、あの細野晴臣とパーカッションの浜口茂外也などもゲスト出演。CDもそうだが、異なるジャンルの人たちとのコラボレーションに、全く違和感がないことがとても不思議。そういえば「西馬音内盆踊」で登場したバリの笛スリンも、祭囃子の笛と思えば納得。循環呼吸法という奏法が変わっているから、録音と違って目に付いただけなのかもしれないが、これがフルートでは難しいだろう。いずれにせよ、ゲストたちが限りなく二人の民謡の世界に寄り添ってこそ、可能になったステージ。それとも、二人の【民謡力】の強さが尋常ではないということか。

とにかくオープニング「越後松坂」の格好いいこと。デビュー作『つるとかめ』以来の定番だが、こういう選曲センスは、いまの民謡界にはちょっと見当たらない。後は新譜と、お得意の津軽ものを中心に展開する。間に木津の「八丈太鼓囃子」、澤田の「津軽山唄入り曲弾き」と見せ所というか、聴かせ所を散らし、きっちりと場の温度を上げてゆく。このあたりはさすが玄人。民謡というジャンルのプロの仕事を見せてくれる。

いつも何かしらの驚きを与えてくれる二人だが、今回面白かったのは「げんげんばらばら」。有名な岐阜県は郡上踊りの唄だが、言葉の面白さがこんなにストレートに伝わってくるのは初めて。プロだから巧いのは当然なのだが、まるで知り合いの宴会で、となりの人が歌っているような臨場感。なにかと厚化粧のステージ民謡では決して味わえないのが「つるとかめ」。もともと、民謡とはそういうものなのだが。

後半最後には「阿波よしこの」に合わせてか、阿波踊りの連というか、愛好家も会場内飛び入りで、まさに、これぞ民謡。盆踊りにはちょっと早い季節だが、本来、日本人の持っていた素朴な陽気さが、そのまま開放された空間となって、心も体も解してくれた。

嬉しいのは、場所柄かビールと焼酎、ワインが格安で飲めたこと。裃付けた他の邦楽会場では決して味わえない濃密な時間であった。ほんと、日本人に生まれて良かったと思う一夜でした。

 

 

つるとかめ “しゃっきとせ” Live 演奏曲目
【前半】
  • 越後松坂
  • 津軽囃子(越後甚句)
  • よされ〜南部よしゃれ
  • 八丈太鼓囃子
  • 津軽山唄入り曲弾き
  • 秋田荷方節
  • こきりこ節
  • げんげんばらばら
  • 西馬音内盆踊
【後半】
  • 隠岐の田植唄〜江州音頭〜しあわせハッピー
  • 津軽小原節
  • 相馬盆唄
  • 津軽甚句
  • 出雲崎おけさ
  • 鹿児島はんや〜阿波よしこの
【アンコール】
  • 黒石よされ
  • (東京音頭)
星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

受賞者の声 片山清司さん(第十一回日本伝統文化振興財団賞授賞式)

本編の授賞式レポートはこちらです。
伝統芸能分野で将来いっそうの活躍が期待される優秀なアーティストを毎年1名顕彰する日本伝統文化振興財団賞。本年は能楽シテ方観世流の片山清司師が受賞され、5月31日に授賞式が行なわれました。今回よりあらたに名称を”財団賞”とした本賞の授賞式の模様をお送りします。

聞き手:じゃぽ音っと編集部

編集部
このたびは財団賞受賞おめでとうございます。受賞のご感想をお聞かせ願えますか?
片山
京都に住んでいるのですが、東京で賞をいただけると聞き、初めはびっくりしました。東京での活動はまだまだ少ないなか、こうして評価していただいたことをありがたく感じております。
編集部
お稽古を始められたころのエピソードなどがありましたら、教えていただけますか?
片山
物心が付く前からですので、いつからということではないのですが、ただ4つ、5つの頃から、父(九世片山九郎右衛門師)が厳しくなりました。「いつ好きになったか?」と訊かれることも多いのですが、完全に生活のなかに入り込んでいて、正直「本当に好き」とは人には言えませんでした。学校に行くようになりますと、同級生のお母さんのような周囲の方から「お仕事でたいへんね」と言われたのですが、仕事という感覚もありませんでした。母以外全員が芸人でしたし、稽古や舞台があるなかで、それがいわゆる生活のための仕事でもなかったので、その当時は不思議に思いました。
編集部
ご指導を受けたのはずっとお父様だったのですか?
片山
高校1年くらいまで父に指導を受けまして、高校2年のときに八世観世銕之亟先生にお稽古をお願いしました。専門的にお稽古していただき、20年ほどでしょうか、亡くなるまでみていただきまして、その間も父からも指導を受けました。

「道成寺」という登竜門の大曲がありまして、どちらの先生からも一生懸命教えていただいたのですが、すごく困った覚えがあります。おふたりとも同じ師匠の弟子だったので、私からすると、同じ教えなのかと思っていたところ、ぜんぜん違うんです。たとえば演出的に左に行くところを、右に行けと言われたりと。腹をくくって自分なりにそしゃくして「道成寺」をやり終えたときに、両方から「まあ、あれでいいんだよ」と言われました。そのときに、AとBという違うやり方が、こう……重なるときがあるんだなと。まったく違う回答なのに、最終的には二人が言いたいことがまったく違う言い方で、実は同じことを指しているときがあるということが、古典のお稽古に関して一番大事だということが身に沁みました。

演出とか意図というものは、稽古の段階でははっきりしないといけないのですが、本番の舞台に上がったときに、それを持ち込まないこと。体を信じて、なるべく頭のなかで何も考えないで動いていくということをしないとどうもいけないということ。考えが先に立つということが抜けていかないと……と思います。

編集部
能の絵本のシリーズを手がけていらっしゃいますが、出版されるきっかけを教えてください。
片山
私の家内が、伝統芸能とは関係のないところから嫁いできた人間でしたので、自分の舞台を理解してもらおうと思って、毎回レクチャーしていたんです。そうしたら、そういう本を出す機会がないかと言われまして。もし出すならばと、みんなで話をしているなかで、絵本が活字メディアで最後に残っていくのではないか、コストやリスクも大きいですけれど、一度出版すれば、長い期間書庫に残る可能性があるということで。これは私たちの職種から考えると望ましいことではないかと思ったんですね。それから、小学校、中学校、高校へ教えに行ったり、能を観てもらうためのいろんな活動をしておりますが、なかなか短期間では意思伝達ができないということからも、作っていこうということになりました。

自費出版から始まり、出版社との折衝をやっていくなか、なんとか出せるようになりまして、今年も二冊出します。これを合わせると全部で九冊になります。息の長い話ですけれども、今後は十巻とか十八巻といったセットを各図書館に置いてもらうような、そういう営業ができるところまでつないでいこうよ、と話しています。ただ、絵本を持ち込んだだけでは、本当に舞台を観にこようという人がなかなか出てこないと思うんです。絵本だけではもちろん、レクチャーとか講座をやっただけでは無理かと思い、能楽堂まで観に来ていただける段階をこしらえていけたらと思っております。

編集部
今後、芸を続けられていくなかで、目指すところがありましたら、教えてください。
片山
これからの自分の芸能活動を、大切に丁寧に作っていきたいなと思っております。自分一人ではできない芸能ですので、いっしょにやっていく仲間といっしょに育っていく。もうひとつは自分の子供に、なんとかこの道を進んでもらうための、自分のできること――芸事上のこともですし、環境を残していってやりたいと思っております。
編集部
ありがとうございました。

 

関連ページ:十世 片山 九郎右衛門(かたやま くろうえもん)《能楽シテ方観世流》

片山清司(かたやまきよし)

katayama_photo能楽シテ方観世流。

一九六四年、九世片山九郎右衛門(人間国宝)の長男として京都府に生れる。祖母は京舞井上流四世家元井上八千代(人間国宝)、姉は五世家元井上八千代。幼少より父に師事し、長じて故八世観世銕之亟に教えを受ける。

一九七〇年「岩船」で初シテ。父と共に片山定期能楽会を主宰、全国各地で多数の公演に出演するほか、ヨーロッパ、アメリカなど海外公演にも積極的に参加している。また、薪能、ホール能など能楽堂以外での公演の制作・プロデュース、若年層のための能楽普及活動として、学校での能楽教室の開催、能の絵本『海女の珠とり』(「海士」)、『天狗の恩がえし』(「大会」)、『青葉の笛』(「敦盛」)の制作、映像を駆使した舞台制作、能舞台のCG化なども手掛けている。
一九九七年京都府文化賞奨励賞、二〇〇三年京都市芸術新人賞、二〇〇四年文化庁芸術祭新人賞を受賞。

現在、社団法人京都観世会理事、財団法人片山家能楽・京舞保存財団常務理事。

舞囃子「石橋(しゃっきょう)」より シテ:片山清司 笛:藤田六郎兵衛 小鼓:観世新九郎 大鼓:亀井広忠 太鼓:小寺真佐人 地謡:片山九郎右衛門 地謡:味方 玄

第十一回日本伝統文化振興財団賞授賞式

2007年5月31日(木)開催

(アイビーホール青学会館)

伝統芸能分野で将来いっそうの活躍が期待される優秀なアーティストを毎年1名顕彰する日本伝統文化振興財団賞。本年は能楽シテ方観世流の片山清司師が受賞され、5月31日に授賞式が行なわれました。今回よりあらたに名称を”財団賞”とした本賞の授賞式の模様をお送りします。受賞された片山清司師のお話もあわせてご覧になれます。

インタビュー:受賞者の声はこちらです

文:笹井邦平

埋もれた若手に光を

日本の伝統文化の保存・振興・普及を目的としてビクターエンタティメント株式会社を基金元に1993年に発足した「ビクター伝統文化振興財団」が、1996年に将来いっそうの活躍が期待されるアーティストを顕彰する「ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞」を設立し、第一回授賞者に長唄唄方・杵屋直吉師が選ばれた。

私は同賞のスタート時よりアーティストの推薦を依頼され10年を経てもう時効なので明かせるが、美声で骨格のしっかりした唄を唄う直吉師を推薦したのは私だけだったらしい。三曲界では若手でも実力があればリサイタルをしても周囲のプレッシャーは少ないが、他のジャンルはそうはいかず実力があってもそれを発表する場のない若手に光を当てたい-という想いから推薦した人が通ったので、この賞の真価が発揮されたと私は選考委員の見識の高さに感謝した。

新たなスタートとして

藤本理事長の挨拶
藤本理事長の挨拶

同財団は一昨年より名称を「日本伝統文化振興財団」と変更し、今回十一回目より賞の名称も「奨励賞」より「財団賞」に改められて「日本伝統文化振興財団賞」となりクウォリティが上がった感がある。副賞もこれまでの授賞者の演奏するCDよりDVDに変更して映像でその芸を鑑賞できるようになり、授賞対象者の枠が拡がった。

片山清司師の受賞挨拶
片山清司師の受賞挨拶

今回このシテュエーションを満たす授賞者として観世流能楽シテ方・片山清司(かたやまきよし)師が選ばれたのは同財団の新たなスタートを切望していた藤本草(ふじもとそう)理事長の想いが結実した結果といえよう。

真実の花へ

人間国宝・野村 萬 師
人間国宝・野村 萬 師

授賞式では来賓の社団法人「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)」会長で和泉流狂言シテ方の人間国宝・野村萬(のむらまん)師が同業の先輩として世阿弥の言葉を用いて「四十四、五歳は脱皮しなくてはならない節目の時、〈時分(じぶん)の花〉ではなく〈真実(まこと)の花〉を咲かせ続けていくよう精進を期待します」と祝辞を述べた。

田中英機実践女子大学教授の選考経緯紹介(写真右・片山清司師)
田中英機実践女子大学教授の選考経緯紹介(写真右・片山清司師)

続いて選考委員を代表して田中英機(たなかひでき)実践女子大学教授が「片山清司さんは幼少より厳しい研鑽を積み重ねて優れた芸を磨き、能楽に留まらず姉の京舞井上流家元・井上八千代さんとの競演や能楽教室を開いたり能を絵本にして出版するなど能楽の普及に努め、古典を基盤とした意欲的な創造活動は日本伝統文化の明日を担う存在として各方面より大きな期待が寄せられています」と授賞理由を述べた。

藤本理事長より賞状と賞金を授与された片山師は「これまで私を指導してくださった父や師匠・諸先輩そして支えてくださったたくさんの方々にお礼を申し上げ、この受賞を機に今後いっそう芸道に精進してまいります」と挨拶して満場の拍手を浴びた。

獅子に負けぬ勇姿

舞囃子「石橋(しゃっきょう)」より シテ:片山清司 笛:藤田六郎兵衛 小鼓:観世新九郎 大鼓:亀井広忠 太鼓:小寺真佐人 地謡:片山九郎右衛門 地謡:味方 玄
舞囃子「石橋(しゃっきょう)」より
シテ:片山清司 笛:藤田六郎兵衛 小鼓:観世新九郎 大鼓:亀井広忠 太鼓:小寺真佐人 地謡:片山九郎右衛門 地謡:味方 玄

披露演奏として舞囃子「石橋(しゃっきょう)」が演奏され、父君の人間国宝・片山九郎右衛門(かたやまくろうえもん)師が地謡で特別出演。おそらく能楽をあまり観たことがないであろうと思われる今宵の列席者は囃子方の掛声・音色ともに命がけの緊迫した演奏にド肝を抜かれたのかシーンと静まり返る。

そこへシテ清司師が登場、目線・身体の張り・足の踏み込みすべてに磨きぬかれ鍛え抜かれた舞に観衆は固唾を呑む。そしてクライマックスの「獅子団乱旋(ししとらでん)の……」と謡が入るとテンションは最高潮に達し、百獣の王獅子にも負けぬ清司師の気高き勇姿に圧倒された。

無事舞い終えて夫人とともに列席者の間を名刺を手に挨拶して廻る清司師に芸人の謙虚さとひたむきさを私は見た。

次ページ:インタビュー:受賞者の声はこちらです

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

亀山香能師の弾き歌い「おもひで」

箏曲 亀山香能 ライブ&トークvol.13

2007年4月22日(日)開催

(東京日暮里・養福寺)

亀山香能師が定期的に開いているライブ&トークvol.13が、4月22日日曜の午後、東京・谷中のお寺にて開催されました。貴重な競演を目の当たりにできるのはもちろん、ゆったりと楽しいトークとともに会は進行し、お寺のお庭の素晴らしい景色を眺め、お茶を飲むなど味わい深いひとときとなりました。その模様をお届けします。

文:笹井邦平

牡丹を背に雅びの世界へ

山田流箏曲の中堅・亀山香能(かめやまこうの)師が年2回のペースで東京で開催しているライブの会場はJR日暮里駅にほど近い谷中のお寺の大広間。土手の下をゴーゴー走る電車の音をものともせずに雅びやかな和の世界へいざなってくれる。

折しも庭に今を盛りと咲き誇る早咲きの牡丹を背に休憩にいただくお茶とお菓子をたしなみながら弥生の日曜の午後のひと時ゆったりとした時が流れる。

シンプルゆえにパッショナブル

亀山香能師の弾き歌い「おもひで」
亀山香能師の弾き歌い「おもひで」

ファーストプログラムは薄田泣菫作詞・鈴木鼓村作曲・京極流箏曲(きょうごくりゅうそうきょく)「おもひで」。京極流は明治30年代に当時の華やかな洋楽趣味のアンチテーゼとして生まれた純日本風の箏曲、三絃(三味線)との合奏はせず箏の弾き歌いのみで演奏するシンプルな音楽である。

亀山師は同流の三代目宗家・和田一久(わだかずひさ)師に師事して現在9曲ほど習得していて、最近のライブのファーストプログラムとしてその中から選んでいる。

「歌詞がとても良く自分の心に触れるものがあって感性というか肌に合うんです。雅びな中に〈もののあわれ〉を感じるんです」と亀山師は言う。

「おもひで」は過ぎ去った恋の追憶を韻文で美しく綴った詩にシンプルなメロディと伴奏が付いて恋の儚さ・切なさ・甘さを浮き彫りにしている。亀山師の抑えたような箏弾き歌いは逆にその溢れるばかりの熱情を彷彿とさせる。

テンションは鰻登り

「竹生島」での藤井千代賀師(左)と亀山師(右)
「竹生島」での藤井千代賀師(左)と亀山師(右)

2曲目は千代田検校作曲「竹生島(ちくぶしま)」を芸大(東京芸術大学)の一級先輩で同じ山田流の藤井千代賀(ふじいちよが)師の箏と亀山師の三絃で合奏。琵琶湖の竹生島に祀られている芸事の神様・弁財天の奇特をテーマにした曲で、生田流にも同タイトルの曲があるが、この曲はクライマックスの「不思議や虚空に音楽聞こえ 花ふり下る春の夜の」という歌詞の後に〈楽(がく)の手〉という山田流独自の厳かで華やかなフレーズが付いていてドラマチックな歌曲となっている。

「かめちゃん」「モーちゃん(千代賀師の本名百代をもじった呼び名)」と呼び合う2人の呼吸(いき)がピタリとあってテンションが鰻登りにあがる。

牡丹に負けぬ艶やかさ

「こんかい」での亀山師(左)と西潟昭子師(右)
「こんかい」での亀山師(左)と西潟昭子師(右)

ラストプログラムは岸野治郎三作曲・佐藤左久箏手付「こんかい」を同じく山田流の芸大の先輩・西潟昭子(にしがたあきこ)師の三絃と亀山師の箏で合奏。

やはり生田流にも同タイトルの曲があるが、箏の調子が低調子なので、30年ほど前にいっしょに山田流の古典を勉強していた西潟師に三絃をお願いしての競演となった。

「こんかい」は姿を見顕して古巣に帰って行く狐の母への思慕を綴った曲で、解説の谷垣内和子(たにがいとかずこ)東京芸術大学講師によればタイトルは狐の鳴き声を表しているという。

その胸張り裂けるばかりの焦がれる想いを亀山師はじわりじわりと滲ませて盛り上げてゆく。西潟師の音締めの良い(調弦のしっかりした)深みのある三絃の音色は古風な趣を湛えて亀山師の歌をサポートする。現代三絃の第一人者としてキレのある演奏をする西潟師のとは思えぬ抑えた三絃の音色を満喫する。

演奏後は藤井師も加わってのトーク、芸大の仲良しトリオで今が旬の山田流女流演奏家の〈揃い踏み〉は谷垣内氏の言葉の如く庭の牡丹に負けぬ艶やかさであった。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

和やかな空気に包まれる会場 左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師

藤井昭子 地歌Live 第三十三回

2007年4月 9日(月)開催

(東京新橋・28’s Live)

好評につき今回で33回目を数える、藤井昭子師の地歌Liveは、今年より会場を新橋のビクタービルの地下ホールに拠点を移し、再スタートしました。母であり芸の師である藤井久仁江師との共演の模様を当コーナーで昨年4月にレポートしており、ちょうど1年という月日を経た、昭子師の新たな心意気を感じさせる地歌Liveの模様をお伝えします。

文:笹井邦平

新たな空間で

生田流箏曲の藤井昭子(ふじいあきこ)師は2001年より2、3ヶ月おきに定期的にライブを開き、昨年まで6年間計31回こなした。会場は再開発されたJR新宿駅南口の小さなイタリアンレストランのホール。2、3人乗ればいっぱいの小さなステージをコの字型に客席が囲み、70人も入れば人いきれでムンムン、演奏者と聴衆の距離は2m弱という超過密空間。演奏者の実力がストレートに顕れるシビアな環境で昭子師は実力を培い、それが2004年のリサイタルでの文化庁芸術祭新人賞の受賞へ繋がった。

『源氏物語』をモチーフに

和やかな空気に包まれる会場 左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師
和やかな空気に包まれる会場
左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師

そのトレーニングジムのようなホールから会場を今年から新橋のビクターのビルの地下のホールに移して再スタートを切った。ここは前の会場の2倍近いキャパシティがあり、音の響きもダイレクトではなく周囲の壁からの跳ね返りがあって深みが増し、アンサンブルを楽しむことができるようになった。

藤井昭子師の箏弾き歌いによる「菜蕗(ふき)」
藤井昭子師の箏弾き歌いによる「菜蕗(ふき)」

ここでの今回2回目のライブは今年のテーマである〈箏組歌(ことくみうた)〉より「菜蕗(ふき)」と〈手事物(てごともの)〉より「新青柳(しんあおやぎ)」を選曲した。奇しくもともに『源氏物語』をモチーフとして光源氏の青春と40代での挫折を漂わせている。

〈箏組歌〉は和歌などを何首か組み合わせた歌詞で綴る地歌のジャンルである。「菜蕗」は昭子師の箏弾き歌いで淡々とした調べの中に宮中の舞楽や月夜の忍ぶ恋が歌い込まれ、平安の雅の世界へいざなわれる。

三曲合奏による「新青柳」 左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師
三曲合奏による「新青柳」
左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師

「手事物」は歌の間に長い手事(間奏)を1つか2つ入れるいわば器楽のアンサンブルを聴かせるジャンルである。「新青柳」は昭子師の三絃(さんげん・三味線)と砂崎知子(すなざきともこ)師の箏と徳丸十盟(とくまるじゅうめい)師の尺八による三曲合奏。ステージに登場した昭子師が撥を忘れて楽屋へ取りに戻るというハプニングがあり、会場は和やかな空気に包まれる。

歌の間の2つの手事は昭子師の深みのある三絃と砂崎師の華麗な箏と徳丸師の柔らかな尺八が見事にマッチし、聴衆はオーケストラを聴くような音の厚さと深さに酔いしれる。

母を背負って

自ら観客に語りかける昭子師
自ら観客に語りかける昭子師

昭子師の今宵の衣裳は桜の花びらをあしらった朱鷺色の着物、これは昨年4月のライブで母であり芸の師である人間国宝・藤井久仁江(ふじいくにえ)師が着ていたものである。久仁江師は病を押して「筆の跡」を昭子師と合奏し、5ヶ月後の9月に亡くなられ、これがこのライブでの最後の母娘共演となった。

私はこのコーナーにレポートを書くために臨席し、この親から子への命を賭した古典芸の伝承の場の証人となった。今宵昭子師の母を背負っての演奏は私の瞼に焼き付いている1年前あの2人の舞台姿を鮮やかに蘇らせた。

これを節目として新たな芸境を切り拓こうとする昭子師の芸魂がメラメラと燃え盛るのを私はしかと見た。

親から子へ師匠から弟子への芸の伝承、この世襲制及び家元制度が邦楽における芸の伝承を確実に支えていることは事実である。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。