第十一回日本伝統文化振興財団賞授賞式
2007年5月31日(木)開催
(アイビーホール青学会館)
伝統芸能分野で将来いっそうの活躍が期待される優秀なアーティストを毎年1名顕彰する日本伝統文化振興財団賞。本年は能楽シテ方観世流の片山清司師が受賞され、5月31日に授賞式が行なわれました。今回よりあらたに名称を”財団賞”とした本賞の授賞式の模様をお送りします。受賞された片山清司師のお話もあわせてご覧になれます。
文:笹井邦平
埋もれた若手に光を
日本の伝統文化の保存・振興・普及を目的としてビクターエンタティメント株式会社を基金元に1993年に発足した「ビクター伝統文化振興財団」が、1996年に将来いっそうの活躍が期待されるアーティストを顕彰する「ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞」を設立し、第一回授賞者に長唄唄方・杵屋直吉師が選ばれた。
私は同賞のスタート時よりアーティストの推薦を依頼され10年を経てもう時効なので明かせるが、美声で骨格のしっかりした唄を唄う直吉師を推薦したのは私だけだったらしい。三曲界では若手でも実力があればリサイタルをしても周囲のプレッシャーは少ないが、他のジャンルはそうはいかず実力があってもそれを発表する場のない若手に光を当てたい-という想いから推薦した人が通ったので、この賞の真価が発揮されたと私は選考委員の見識の高さに感謝した。
新たなスタートとして
同財団は一昨年より名称を「日本伝統文化振興財団」と変更し、今回十一回目より賞の名称も「奨励賞」より「財団賞」に改められて「日本伝統文化振興財団賞」となりクウォリティが上がった感がある。副賞もこれまでの授賞者の演奏するCDよりDVDに変更して映像でその芸を鑑賞できるようになり、授賞対象者の枠が拡がった。
今回このシテュエーションを満たす授賞者として観世流能楽シテ方・片山清司(かたやまきよし)師が選ばれたのは同財団の新たなスタートを切望していた藤本草(ふじもとそう)理事長の想いが結実した結果といえよう。
真実の花へ
授賞式では来賓の社団法人「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)」会長で和泉流狂言シテ方の人間国宝・野村萬(のむらまん)師が同業の先輩として世阿弥の言葉を用いて「四十四、五歳は脱皮しなくてはならない節目の時、〈時分(じぶん)の花〉ではなく〈真実(まこと)の花〉を咲かせ続けていくよう精進を期待します」と祝辞を述べた。
続いて選考委員を代表して田中英機(たなかひでき)実践女子大学教授が「片山清司さんは幼少より厳しい研鑽を積み重ねて優れた芸を磨き、能楽に留まらず姉の京舞井上流家元・井上八千代さんとの競演や能楽教室を開いたり能を絵本にして出版するなど能楽の普及に努め、古典を基盤とした意欲的な創造活動は日本伝統文化の明日を担う存在として各方面より大きな期待が寄せられています」と授賞理由を述べた。
藤本理事長より賞状と賞金を授与された片山師は「これまで私を指導してくださった父や師匠・諸先輩そして支えてくださったたくさんの方々にお礼を申し上げ、この受賞を機に今後いっそう芸道に精進してまいります」と挨拶して満場の拍手を浴びた。
獅子に負けぬ勇姿
披露演奏として舞囃子「石橋(しゃっきょう)」が演奏され、父君の人間国宝・片山九郎右衛門(かたやまくろうえもん)師が地謡で特別出演。おそらく能楽をあまり観たことがないであろうと思われる今宵の列席者は囃子方の掛声・音色ともに命がけの緊迫した演奏にド肝を抜かれたのかシーンと静まり返る。
そこへシテ清司師が登場、目線・身体の張り・足の踏み込みすべてに磨きぬかれ鍛え抜かれた舞に観衆は固唾を呑む。そしてクライマックスの「獅子団乱旋(ししとらでん)の……」と謡が入るとテンションは最高潮に達し、百獣の王獅子にも負けぬ清司師の気高き勇姿に圧倒された。
無事舞い終えて夫人とともに列席者の間を名刺を手に挨拶して廻る清司師に芸人の謙虚さとひたむきさを私は見た。
笹井邦平(ささい くにへい)
1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。
(記事公開日:2007年05月31日)