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深海さとみ 箏独奏リサイタル -古典を現代に Ⅶ-

2008年9月23日(火)開催
(銀座・王子ホール)

七回目となる「古典を現代に」という副題でのリサイタルを2008年9月23日銀座・王子ホールにて開催した深海さとみ師。箏の独奏で全曲が構成され、箏という楽器の響きの豊かさ、深さに、聴衆の拍手が鳴り止まなかった素晴らしいリサイタルの模様をお送りします。

文:笹井邦平

古典をリメイク

生田流箏曲「宮城社」の深海さとみ師は〈古典を現代に〉というテーマでリサイタルを重ね今回7回目を数える。

箏曲に限らず邦楽では古典を原型のまま演奏して次代に伝承する形と、新しいスタイルを創造する形がある。この両輪の活動は邦楽発祥以来たゆまず演奏家によって続けられてきている。

21世紀に入り江戸時代の音楽を原型のまま次代に伝承することにいささか難しさを感じた深海師は古典を改竄せず、古典に現代の息吹を与えてリメイクすることで箏曲の活性化を試みている。

歌のない箏曲

洋楽ホールでの深海さとみ師
洋楽ホールでの深海さとみ師

演奏は三絃や尺八を入れずに全曲深海師の箏独奏で通す。これもあまり例のないことでこのリサイタルに賭ける師の意欲が見える。

1曲目は深海さとみ作曲「秋風幻想―光崎検校作曲『秋風の曲』によせて-」。これは玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇を綴った「長恨歌」をモチーフに江戸時代中期に創られた箏弾き歌いの独奏曲で、深海師は全六段の長い前弾きを踏まえながらも歌詞の部分を自らイメージする器楽曲として作曲した。いわば〈歌のない21世紀の箏曲〉と解すれば良い。

箏独自の演奏法〈押し手〉(右手で絃をはじきながらその絃を左手で押して1音または半音上げる)を織り交ぜ、古典の匂いを残しながらクリアな爪音が響きの良い洋楽ホールに谺する。

箏曲の醍醐味

前半での演奏
前半での演奏

2曲目は芳沢金七・若村藤四郎原曲・2007年肥後一郎作曲「神楽舞-箏曲『石橋』との対話-」。昨年委嘱した曲で、箏曲「石橋」と対話しながら民間芸能としての神楽舞を見据えて舞の源流を探る-というテーマで創られた曲。歌詞はないが後半連呼される掛け声が埋もれた芸能としての雄叫びの如く聴こえ、その存在感をアピールする。

3曲目は深海師の所属する「宮城社」の創始者・宮城道雄作曲「手事」。手事とは地歌・箏曲の歌と歌の間の長い間奏のことで、宮城師は古典を踏まえながらもこの手事を自由なイメージで展開している。つまり深海師が現在試みているのと同じことを60年以上前にやっていたのである。

〈手事風〉〈組歌風〉〈輪舌風〉の3楽章から成り、快テンポからやや締まりまた畳み込むような早いテンポでメリハリのあるメロディが心地好く流れ、よく手が廻る深海師の演奏は箏曲の醍醐味を満喫させてくれる。

清楚で深い調べ

終曲は委嘱初演・松下功作曲「二つの万葉歌『あしひきの』『ぬばたまの』」。「万葉集」の中の二首の歌に作曲したもので、ここで初めて歌のある曲が登場する。二首とも恋の歌で切ない想いが深海師の澄んだ歌とクリアな爪音で哀切な響きを湛えて伝わってくる。

前半2曲を和服で後半2曲を洋服で清楚ながら華のある深海師の4曲の箏独奏はそれぞれの想い・スタンスを持って聴衆に伝わったにちがいない。シンプルながら中身の濃い演奏、そして箏という楽器の持つ響きの豊かさと深さに改めて感動したリサイタルであった。


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笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

夏休み邦楽チャレンジ〜箏を弾いてみよう!KOTOで弾く日本の歌〜

2008年8月10日(日)開催 (28’s GINZA)

子供たちが学校外でさまざまなチャレンジができる夏休み。伝統音楽の普及を事業のひとつに掲げる日本伝統文化振興財団では、「夏休み邦楽チャレンジ」と題し、箏の楽しい体験教室を行ないました。その様子をレポートします。

箏の体験教室「夏休み邦楽チャレンジ」

文:じゃぽ音っと編集部

加藤美枝先生
加藤美枝先生

普段はあまり触れる機会のない邦楽の世界。伝統音楽の普及を事業のひとつとして掲げている日本伝統文化振興財団では、”Healing KOTO〜KOTOで聴く”CDシリーズ箏奏者の加藤美枝氏を迎え、「夏休み邦楽チャレンジ」と題し、小学4年生から中学3年生を対象に、箏の体験教室を行なった。


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デモンストレーション演奏
デモンストレーション演奏

盛夏の28’s GINZA(新橋ビクタービルB1)に集まった子供たちは、普段見慣れない箏を前にちょっと緊張気味。まず最初に、加藤先生がデモンストレーション演奏を聴かせてくれる。
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縦譜にあわせて「キラキラ星」の合奏

手のかまえを練習
手のかまえを練習

集まった子供たちは総勢6名。加藤先生は一人一人に名前を尋ねていく。それで子供たちは気持ちがほぐれたのか、先生との距離が近づき、リラックスした雰囲気になっていく。まずは楽器の説明。箏は龍に見立てて名づけられているところ(龍頭〈りゅうず〉、龍角〈りゅうかく〉、龍尾〈りゅうび〉など)が多いというお話ののち、実際に箏を触ってみようということで先生が構え方(箏に対する身体の置き方、手のかまえ、指の位置など)をレクチャーし、参加者全員で音を出してみる。

今回の箏の調弦は、いわゆるドレミファソラシドの音階にあわせたもの。箏の弦(一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、斗、為、巾の順番)を縦書き譜(縦譜)にあわせて弾くと、おなじみの「キラキラ星」が弾ける。先生の掛け声にあわせてリズムをとりながら、やがて「キラキラ星」の合奏ができ上がった。

子供たちにとっての素晴らしい体験

休憩中も熱心に箏を弾くなど、音を出す楽しさに夢中になる子供たち。すっかり箏に魅せられたようだ。今度は調弦を少し変え、文化庁の「親子で歌いつごう日本の歌百選」にも選ばれた「故郷」「世界に一つだけの花」にチャレンジ。

ゆっくりとしたリズムの「故郷」の合奏に慣れてきたところで、先生が自作したカラオケを伴奏に「世界に一つだけの花」へ。メロディの刻み方が少し難しいものの、子供たちにはお馴染みだった(知っていると全員手を挙げていたほど)からか、すんなりと曲に入っていけたようだ。いくつかのパートに分けて練習しながら、サビのところまで進み、全員が曲を合奏できるようになっていた。たった2時間半というなかでの子供たちの吸収の早さに、加藤先生も驚いていた。

さらに先生は、江戸時代に八橋検校(やつはしけんぎょう)が作ったといわれる調弦法「平調子〈ひらぢょうし〉」の話に触れ、実際にその調弦での曲も披露してくれた。その優雅な調べは、きっと子供たちの心に残ったことだろう。

貴重な箏の体験教室。子供たちにとって、夏休みの素晴らしい体験となったに違いない。

第十二回日本伝統文化振興財団賞贈呈式

2008年5月26日(月)開催 (ホテルフロラシオン青山)

伝統芸能分野で将来いっそうの活躍が期待される優秀なアーティストを毎年1名顕彰する日本伝統文化振興財団賞。第12回にあたる今年の受賞者は、長唄唄方の松永忠次郎さん。名曲「勧進帳」を聴衆の前で披露し、長唄の華やかさと醍醐味に酔いしれた贈呈式の模様をお送りします。

文:笹井邦平

芸系の繋がり

松永忠次郎さん
松永忠次郎さん

日本の伝統文化の保存・振興・普及を目的としてビクターエンタテインメント株式会社を基金元に1993年に発足した〈ビクター伝統文化振興財団〉が、1996年に将来いっそうの活躍が期待されるアーティストを顕彰する「ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞」を設立し、第一回受賞者に長唄唄方・杵屋直吉さんが選ばれた。

同財団は2005年より名称を「日本伝統文化振興財団」と変更し、十一回目より賞の名称も「奨励賞」より「財団賞」に改められて「日本伝統文化振興財団賞」となりクウォリティが上がった感がある。副賞もこれまでの受賞者の演奏するCDよりDVDに変更して映像でその芸を鑑賞できるようになり、受賞対象者の枠が拡がった。

今回このシテュエーションを満たす受賞者として長唄唄方・松永忠次郎(まつながちゅうじろう)さんが選ばれた。長唄唄方が受賞するのは第1回の杵屋直吉さん以来久々のこと、しかも忠次郎さんは直吉さんに師事しているというから偶然ともいえない芸系の繋がりを感じる。

長唄界の星

財団賞贈呈式の様子(藤本理事長、松永忠次郎さん)
財団賞贈呈式の様子(藤本理事長、松永忠次郎さん)

贈呈式はまず同財団の理事長・藤本草(ふじもとそう)氏の挨拶で始まる。藤本理事長は「日本の伝統芸能特に歴史的音盤アーカイヴの保存に努力している当財団が、将来の伝統芸能の世界を担うであろうアーティストを発掘して顕彰することは意義深いことであり、また副賞として当初は受賞者のCD、昨年よりはビジュアル面も考慮してDVDを制作して広く公開することも当財団の重要な仕事の一つです」と述べた。

次に来賓の苅谷勇雅文化庁文化財部文化財鑑査官、石坂敬一日本レコード協会会長、小宮山泰子衆議院議員、浮島とも子参議院議員らが祝辞を述べ、異口同音に忠次郎さんの将来の活躍にエールを贈った。

続いて選考委員を代表して駒井邦夫財団賞選考委員が「松永流は長唄界でも古い伝統ある流派で、忠次郎さんは幼少より父松永鐵十郎師に厳しい指導を受け、現在歌舞伎舞踊では坂東玉三郎丈の地方を勤める今長唄界でもっとも輝いている演奏家で、将来の活躍が大いに期待されます」と受賞理由を述べた。

藤本理事長より賞状と賞金を贈呈された忠次郎さんは「身に余る光栄です。20年に亘って指導していただいた杵屋直吉先生、松永忠五郎先生、河東節の山彦節子先生、そして支えてくれた父(昨年逝去)と松永同門会の皆様に深く感謝いたします。これからも精進いたしますので末永く御指導ください」と受賞の喜びを語った。

名曲のエキスをダイジェストで

披露演奏として長唄「勧進帳」が演奏された。出演は唄を松永忠次郎・杵屋三七郎・杵屋巳之助、三味線を弟松永忠一郎・杵屋勝十朗、上調子を杵屋五三吉雄、小鼓を藤舎呂英・藤舎呂凰、大鼓を望月太津之、笛を福原寛の皆さん。ノーカットで演奏すれば30分以上かかる名曲を〈いいとこ取り〉してエキスのみを繋いで15分足らずにダイジェストして演奏。長唄の華やかさと醍醐味に聴衆は酔いしれ満場の拍手を浴びた。

列席していた杵屋直吉さんに忠次郎さんのことをうかがうと「真面目で熱心で頭の良い子ですよ」と目を細めて話してくれた。

直吉さんの芸を継ぐ忠次郎さんの将来の輝きが見えた贈呈式であった。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

新星堂プレゼンツ杵屋裕光「地球→日本」発売記念トーク&ライブ

2008年5月24日(土)開催 (銀座28’s Live)

渾身作『地球→日本』を発表した杵屋裕光さんのトーク&ライブが5月24日、銀座28’s Liveで行なわれました。エレクトリックなフュージョン系サウンドをバックに、三味線を自在に弾き、またシンプルな古典曲の演奏に楽しいトーク、アンコールではダブルネックの三味線の演奏まで披露し、観客を大いに沸かせました。その模様をたっぷりとお届けします。

文:小沼純一

杵屋裕光さん
杵屋裕光さん

司会の方に促され、小走りにステージに登場した杵屋裕光、さ、っと刀でもだすように三味線をかまえると、プラグを楽器にセット、あたかもバンドネオンを膝にのせるアストル・ピアソラのごとき姿勢で、大音量のバック・トラックとともに、弾き始める。三味線特有のかわいた音がバンドの音のあいだでもしっかり目立つ。パーカッシヴな、ぱし、っと撥で叩く音が、エレクトリックなフュージョン系サウンドを突き抜けて前面にくる。しかも、リフのあたりではどこか耳にしたようなメロディが……。

 

アルバム『地球→日本』発売記念ということで開催されたこのトーク&ライヴ、CDに収録された曲を演奏するだけではないのがミソ。トークに充分時間をとって、しかも古典曲の演奏も組み合わされる。どういうことかといえば、エレクトリックなサウンドを持つ曲であっても、それはしっかり古典曲を土台にしているのだ。だから、杵屋裕光、立って弾いたかと思うと、今度は山台に乗って座り、お弟子の杵屋裕太郎とならんで、プラグなし(アンプラグド!)で掛け声とともに、弾く。そこには、邦楽を知らないひと、縁遠いと思っているひとに対して、わかりやすく、より聞きやすく、とのおもいがこめられている。もちろん四十代後半、しっかりジャズやロックにはまった時期もあるからこそのこうした両刀づかいが可能にもなる。

演奏されるのは《地球》から《千鳥》《夜の海》《稲妻》というふうにつづくが、それらの発想の元となった杵屋正邦(注)《千鳥》や《浦島》《舟弁慶》、《踊り獅子》《二人椀久》も披露。「ハービー・ハンコックと《椀久》を融合させようとした」とのコメントがあるとおり、エレクトリックで親しみやすいながらも、そこには「古典」が下敷きになり、しっかり参照されている。もちろんこうしたスタンスそのものへの好き嫌い、批判はいろいろあるだろうが、それはそれ、である。人間国宝の方々がアルバムに参加していることも、邦楽の世界における近年の「開き」を示しているのかもしれない。

客席から差しだされたハンカチで汗を拭き、「プレスリーみたいですね」と笑いをとる。トークは親しみやすいもので、インドのシタールを起源とし、中国大陸から沖縄を経由し、堺、松江とにはいってきたとの楽器の歴史から、指と爪のあいだで絃を押さえ、「糸道」がつくようになるというエピソード、三味線をフレットレス・ギターと言い換え、調律しても五分と持たずに狂ってしまうので演奏中でも直さなくてはいけないこと、西洋的な調律とは違っているので、そうした楽器と演奏するときにはちょっとしたマークを棹につけていること(何と、ハートマークのシールが!)、等など、邦楽や三味線を知らないひとが聞いてもとてもわかりやすく興味深いネタ満載である。そうしたなかでも特に、三味線は絃楽器であるとともに、打楽器である、というところには、あらためて実感し、納得したはずだ。

アンコールは、世界初、ダブル・ネックの三味線で《禁じられた遊び》が弾かれた。この新楽器の可能性は未知数だが、杵屋裕光という長唄三味線の奏者がいてこその開発であるだろう。

杵屋正邦(1914-1996)
長唄三味線方・作曲家。作品は千数百曲におよび、洋楽器・邦楽器による器楽曲、声楽曲などあらゆる分野に及ぶ。

【曲目】

M1:地球
「英執着獅子から狂いの合方」
「黒御簾」

M2:千鳥
「新曲浦島」〜「船弁慶」

M3:夜の海
「二人椀久から踊り地の合方」

M4:稲妻
アンコール:禁じられた遊び(ダブルネック三味線で)

【今後の出演予定】

テレビ
「いろはに邦楽」(NHK教育)
6月4日・11日・18日・25日(毎週水曜日14:30〜)
司会:山田邦子さん 講師:杵屋裕光

【公演】

日本・アルゼンチン修好110周年記念
平成20年度文化庁国際芸術交流支援事業
タンゴ×能×新内が織りなす源氏物語
「情炎 源氏物語」
2008年10月10日(金)
ゆうぽうとホール(五反田)にて
昼14:00開演/夜19:00開演

*名古屋公演
2008年10月16日(木)アートピア大ホールにて

*ブエノスアイレス公演
2008年10月25日(土)、26日(日)アルベアール大統領劇場にて

小沼純一(こぬま じゅんいち)

1959年、東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。音楽・文芸批評を中心に執筆活動を続ける。第8回出光音楽賞(学術・研究部門)受賞。主著に『魅せられた身体』『ミニマル・ミュージック』『武満徹 音・ことば・イメージ』(青土社)、『サウンド・エシックス』『バカラック、ルグラン、ジョビン』(平凡社)、詩集に『サイゴンのシド・チャリシー』(書肆山田)、翻訳監修に『映画の音楽』(M・シオン、みすず書房)など。

義太夫を音楽としてよみがえらせる会 3回シリーズ〜略称:道行の会〜第1弾

2008年5月 3日(土)開催
(銀座28’s Live)

女流義太夫の三味線方・鶴澤寛也さんが中心となり、ナビゲイターに伝統芸能に造詣の深い橋本治氏を迎えた”義太夫を音楽としてよみがえらせる会”、略称:道行の会第1弾(全3回)が5月3日銀座28’s Liveで行なわれました。語り物として知られる義太夫節ですが、音楽というアングルから見直そうと開かれた楽しい会の様子をレポートします。

文:笹井邦平

おんなだけの語り音楽

〈義太夫節(ぎだゆうぶし)〉は江戸時代初期に創始された〈浄瑠璃(じょうるり)〉と云われる日本独自の語り物音楽のひとつである(以下〈義太夫〉と記す)。

義太夫と人形芝居とのジョイント〈文楽〉は世界遺産に指定され、義太夫はほかに歌舞伎で語る義太夫、そして素浄瑠璃として女性だけで演奏するのが〈女流義太夫〉である。

明治20年代に若い娘が美しく着飾って語る〈娘義太夫〉がフィーバーして浄瑠璃を語る太夫はアイドルとなり、クライマックスには聴衆がノッテきて「(主人公は)どうする、どうする?」とツッコミしたり、太夫の人力車を追っかけする熱烈な書生(学生)ファンが現れ、彼らは〈ドースル連〉〈オッカケ連〉と呼ばれた。

別のアングルから活性化を

1950年〈女流義太夫連盟〉を結成して〈女流義太夫〉と名乗り、現在人間国宝2名を含む16名が重要無形文化財保持者の総合指定を受け、国立演芸場で毎月定期演奏会を開いているが、文楽や歌舞伎に比して知名度は低く、稽古人口や観客数も伸び悩み低迷状態にあるのが現状(以下〈女義〉と記す)。

それに危機感を抱いた中堅三味線方・鶴澤寛也さんは本屋のギャラリーでライブを開いてビギナーに義太夫をアピールして活性化を図り、今回のライブはその延長線である。

従来語り物とされている義太夫を音楽というアングルから見直そうという試みで、義太夫の中の〈道行(みちゆき–心中・逃避行)〉というジャンルを3回シリーズで演奏する。

橋本節高らかに

「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」
「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」

出演は浄瑠璃を竹本綾之助さん・竹本土佐子さん、三味線を鶴澤寛也さん・鶴澤駒治さん・鶴澤賀寿さんで、伝統芸能に造詣の深い作家・橋本治氏がナビゲーターを勤める。

まず、初回なので御祝儀として「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」を演奏。金屏風を背に緋毛氈の舞台で華やかな女流の語りと太棹三味線の骨太い響きが心地好い。

ナビゲイター橋本治氏
ナビゲイター橋本治氏

次に橋本氏が本日の演目「仮名手本忠臣蔵・八段目–道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)」の歌詞解説と「仮名手本忠臣蔵」全般についてトーク。

「仮名手本忠臣蔵」のもう一人の主役は加古川本蔵であり彼がこのドラマで最も人間味溢れるキャラクター、妻の戸無瀬は後妻のヤンママ、そして娘の小浪が常識人–等々独自の橋本節をまくし立てて1時間聴衆を釘付けにする。聴衆の中には京都より駆けつけた〈橋本フリーク〉も何人かいたという。

悲劇の清涼剤として

「道行旅路の嫁入」
「道行旅路の嫁入」

メインの「道行旅路の嫁入」は綾之助さん・土佐子さんの丁寧で細やかな語りと寛也さん以下のノリがよくリズミカルな三味線で東海道五十三次を無事に京へ上って目指す山科の大星家へ辿り着く。しかし、ここからが九段目の悲劇の始まり、つまり道行物とは何段もある長編の義太夫の中で重さ・暗さを和らげるための清涼剤のような音楽だと私は思う。ゆえに美しくリズミカルで音楽性豊かな手(メロディ・フレーズ)が付いていて、橋本氏はここに注目したのだ。

寛也さんはデーンと弾き放つ重厚な〈段物(だんもの–語り物)〉よりこのような〈景事(けいごと)〉といわれる音楽性の濃い作品が得手で、その美貌から〈女義のビジュアル系三味線弾き〉と云われている。

本番数日前に寛也さんは私に「橋本さんのトークの添え物にならないよう頑張ります」とメールをくれたが、もちろん橋本氏のトークを凌駕する堂々たるメインプログラムに仕上げた。寛也さんのような花のある演奏家が育ち、女義を活性化してくれる日を待ち望んでいるのは私だけではないはずだ。


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出演者プロフィール

橋本 治(はしもとおさむ)

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。作家。小説、古典の現代語訳、評論など多彩に活動。主な著に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)『桃尻語訳枕草子』『秘本世界生玉子』『宗教なんかこわくない!』(新潮社学芸賞)『窯変源氏物語』『怪しの世界』『大江戸歌舞伎はこんなもの』『「三島由紀夫とはなにものだったのか」』(小林秀雄賞)『上司は思いつきでものを言う』『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)『ひらがな日本美術史』『双調 平家物語』など。歌舞伎や文楽にも造詣が深く、『橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻』1〜3巻も手がけている。

竹本綾之助(たけもとあやのすけ)

東京都出身
幼少より長唄を習う

1963年 三代目竹本綾之助に入門
竹本綾一となる
1966年 NHK邦楽技能者育成会第10期卒業
1977年 義太夫協会理事就任
1986年 豊澤仙広賞受賞
1998年 義太夫協会常務理事就任
2000年 重要無形文化財総合指定保持者認定
2002年 四代目竹本綾之助を襲名
2005年 豊竹嶋大夫の門人となる
竹本土佐子(たけもととさこ)
1948年 竹本土佐尾に入門
1953年 竹本土佐子となる
1954年 二代目竹本綾之助の預かり弟子となる
1959年 二代目竹本綾之助没後、学業のため休業
1969年 再開
1986年 竹本土佐廣の門人となる
1992年 (社)義太夫協会理事就任
2000年 重要無形文化財総合指定保持者認定
2005年 豊竹嶋大夫の門人となる
鶴澤寛也(つるざわかんや)
1983年 鶴澤寛八に入門
1985・88年度 (財)人形浄瑠璃因協会奨励賞受賞
1993年 豊澤雛代の預かり弟子となる
1994年 (社)芸団協助成 新人奨励賞受賞
1995年 (社)義太夫協会理事就任
1998年・99年度 (財)人形浄瑠璃因協会奨励賞受賞
2002年 (財)清栄会奨励賞受賞
2003年 (財)人形浄瑠璃因協会 女子部門賞受賞
2005年 (財)ポーラ伝統文化財団 ポーラ賞奨励賞受賞
2007年 鶴澤清介の預かり弟子となる
鶴澤駒治(つるざわこまじ)

千葉県出身

1982年 鶴澤駒登久に入門
1985年 本牧亭にて初舞台、鶴澤駒治となる
1990年 (社)芸団協助成新人奨励賞受賞
1990~93年 自主公演「なでしこの会」主催
2003年より 三味線弾きの勉強会「たつみ会」主催
2004年 鶴澤清介の預かり弟子となる
鶴澤賀寿(つるざわかず)
1997年 竹本駒之助に入門
1998年 国立演芸場にて「釣女」で初舞台
1998年 (社)義太夫協会新人奨励賞受賞
笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

奈良の都と”雅”の音色 芝祐靖師を迎えて〈奈良の音色のトーク&演奏〉

2008年4月10日(木)開催
(奈良県代官山iスタジオ)

万葉の昔から奈良の都で奏でられていた雅楽。田島和枝さん(笙〈しょう〉、竽〈う〉)、中村香奈子さん(横笛・排簫〈はいしょう〉)からなる雅楽ユニット、むすびひめの最新CD『万葉に遊ぶ』の発売を記念して4月6日から10日まで東京・代官山で行なわれたイベントより、特別ゲストに芝祐靖(しば すけやす)師を迎えた10日の模様をお送りします。

文:増渕英紀

むすびひめと芝祐靖師
むすびひめと芝祐靖師

去る3月26日に最新アルバム『〜万葉に遊ぶ〜』をリリースしたばかりの新進女性雅楽ユニット、”むすびひめ”が代官山iスタジオにて「奈良の都と”雅”の音色」(4月6、7、10日)と題したCD発売記念イヴェントを行った。

最終日の10日は『〜万葉に遊ぶ〜』にも楽曲を提供している雅楽演奏家にしてプロデューサー、作曲家の芝祐靖(しば すけやす)とのトーク・ショーという内容であったこともあり、さながら生演奏を交えながらの雅楽ゼミといった様相を呈した。

が、雅楽の楽しさをもっと一般に知らしめたいという芝祐靖氏の話がすこぶる面白い。正倉院に残る雅楽の古楽器の紹介や、実際の音色や実演、面を被って舞うと近々死ぬという言い伝えがある伎楽の秘曲「採桑老(さいそうろう)」などをCDを使って聴かせてくれた。特に印象的だったのは、この曲における篳篥(ひちりき)の演奏が死を目前とした断末魔を表現しているというくだりで、当時から楽器が感情、或いは情景表現に使われていたという事実。単なる様式美とは異なった雅楽の一面が窺えたのは最大の収穫だったように思う。

また実際に伎楽(ぎがく 注1)の「迦樓羅(かるら)」のCDを聴かせて一緒に歌うというパフォーマンスもあったのだが、神楽風のお囃子が今で言うところのミニマル・ミュージック、トランスに近い世界だったことも新鮮な発見だった。しかも「採桑老」が不老不死の薬を求める老人というのが有名な”徐福伝説”(宮下文書)(注2)とダブる辺りも興味深いものがあった。思えばこの日たまたま会場に来れた人はラッキーだったのでは…。

むすびひめ 左:田島和枝さん(笙)、右:中村香奈子さん(排簫)
むすびひめ
左:田島和枝さん(笙)、右:中村香奈子さん(排簫)

ところで、”むすびひめ”は、芝祐靖氏率いる「伶楽舎」でも活躍している田島和枝(笙、竽)と中村香奈子(横笛、排簫)からなるユニット。その新作『〜万葉に遊ぶ〜』には古典に加えて、彼女たち自身のオリジナル、更にはこの日に披露された芝祐靖作の「総角(あげまき)の歌」も収録されている。

ゆったりとたゆたうような優雅な演奏の中に垣間見えるのは、舞だったり、一陣の風の形だったり、自然の織り成す芸術だったり様々だが、不思議にデ・ジャヴ感覚やサウダージを感じさせるのは、やはり古(いにしえ)から日本人に刷り込まれたDNA、ブラッドラインのなせる業だろうか。

笙の倍ほどの長さがあり、低音を響かせる竽
笙の倍ほどの長さがあり、低音を響かせる竽

黒澤明監督の映画『羅生門』に登場する龍笛や笙は知られているが、笙の倍ほどの長さのある竽(う)や、近年復元されたアジアのパン・フルート(注3)である排簫(はいしょう)など、普段耳にする機会のない珍しい音色が聴けるのも魅力。

雅楽器の多くはもともとは中国大陸から渡って来た古楽器ではあるが、彼の地ではとっくに失われて記憶すら残っていない。それが日本では千年以上の長きに渡って演じ伝えられているのだ。雅楽の奥深さ、面白さは測り知れないものがある。

注1 伎楽(ぎがく)
中国から伝えられ、聖徳太子が「三宝を供養するには様々な蕃楽(外国の音楽)を用いよ」と布令して導入した楽舞で、様々な人間模様を描いたパントマイム「大道滑稽仮面劇」。奈良、飛鳥時代にさかんだったが、現在では各地に存在する獅子舞などに痕跡をとどめているといわれる。

注2 ”徐福伝説”(宮下文書)
中国初の統一王朝・秦の始皇帝の家来、徐福が不老不死の霊薬を探す命を受け、日本に渡来。日本に定住し、中国で盛んだった織物の技術を伝えたとされる、日本各地に残る伝説。宮下文書は、富士谷文書(ふじやもんじょ)などとも言われ、富士吉田市周辺に伝わるもの。

注3 パン・フルート
ギリシア神話のパーンに由来した楽器。パンパイプ(panpipes)とも。葦の茎などを用い、一つのパイプで一つの音高が出せるように束ねられた管楽器のこと。たとえば今でもフォルクローレで知られるアンデス地方(楽器名はサンポーニャ)、ルーマニアなどでも見られる。

増渕英紀(ますぶち ひでき)

大学在学中、開局間もないFM東京の深夜生番組『ヤング・シグナル80』の土曜日パーソナリティをつとめ、それを契機に『ミュージック・ライフ』『音楽専科』『FMファン』『ステレオ』などにレギュラー執筆。NHK『若いこだま』のパーソナリティ担当。

1976〜81年、ヤマハの「8.8.ロック・デイ」、「EAST WEST」などの審査員を務める。
1981〜82年、葛城ユキの2枚のアルバムのプロデュースを担当。
1990〜92年、東急文化村内東急ファンの契約プロデューサー、2枚のアルバムを製作。

その後の執筆活動は『毎日新聞』『サンケイ新聞』『ポパイ』など。
他に服部良一音楽賞審査員。

郷みん’S ワンマンライブ IN ギンザニッパーズ

2008年3月 7日(金)開催
(銀座28’s Live)

日本郷土民謡協会に在籍する注目の若手3人、椿正範さん(津軽三味線)、澤瀉秋子さん(唄、太鼓)、松浦奏貴さん(踊り)が集結し、郷みん’Sを結成。3月7日、銀座にある28’s Liveにて初のライヴを行ない、満員の観衆は3人の個性から生み出される、日本の民謡の楽しさ、躍動感、素晴らしさを味わえる夜となりました。その模様をお伝えします。

民謡サラブレッズ登場!喝采で迎えよう

文:星川京児

民謡というジャンルは難しい。テレビやラジオの民謡番組から受ける、着物を着た人が尺八や太鼓を伴奏に朗々と歌い上げる、いわゆる正調民謡。最近はやりの津軽三味線バトルもまた民謡ならば、奄美、沖縄の島唄だって民謡なのだから。

もともと民謡という言葉は日本になかった。学者が英語のフォーク・ソングを「民謡」と翻訳しただけ。辞書などは「郷土の庶民の間に自然に発生し、その生活感情や民族性などを素朴に反映した歌謡」となっていても、作詞・作曲家がいても「地方色を帯びた新作歌謡(広辞苑)」として含めているのだから、ほとんどなんでもあり。作品によっては演歌など歌謡曲との境界線の見えないものもある。いずれにせよ、愛好家というかファンはそんなこと関係ないと、好きな歌、お気に入りの歌手を聴いている。

郷みん'S
郷みん’S

郷みん’S はメンバーが日本郷土民謡協会に属しているからという、なんともストレートな命名の若手トリオ。椿正範は津軽三味線、澤瀉秋子の唄と太鼓、松浦奏貴が踊りという組み合わせ。三人とも20代といっても、いずれも民謡大会で優勝経験を持つ手練れ。当然スタイルは協会お墨付きの正統派だ。歌と太鼓、三味線という形は珍しくないが、踊りが加わることによって、バリエーションが一挙に広がる。また全員が唄もとるし、レパートリーにも余裕が出来る。とにかく、民謡の現場にあまり詳しくない当方のような者にとっては新鮮というか、驚きました。なるほど、民謡は総合芸術だ、と。

また場所もいい。銀座、それもホールではなくライブ・ハウスに近いニッパーズである。当然、観客との距離は近い。近すぎる。唄が、響きが、動きが目の前なのだ。踊りなど、ほとんど動けるスペースがないのだから大変。動きの力のベクトルを、はみ出さないように抑制の方向にも持っていかなければならない。肉体的な負担は相当のはず。あの筋力と鍛錬は、まるでアイルランドのリバーダンスかプロのコサックダンス。

とはいえ、しっくりくるのは津軽や秋田の唄。どこか民謡=東北というイメージが刷り込まれているのだろうか。最後に津軽が集中するのは、椿・澤瀉という津軽三味線弾きがいるからか。なんといっても曲弾きは盛り上がるのは事実。

あのエンヤだって民謡ファミリーの出身。イギリスのフォーク・リヴァイヴァルが世界に果たした役割を、郷みん’Sが日本でもやってくれると嬉しいのだが。その可能性は十分ありと見た。後はみんなで応援しましょう。

アンコール直後の郷みん'S
アンコール直後の郷みん’S
曲目
  1. 西馬音内盆踊り唄
  2. 南部餅つき唄
  3. 南部茶屋節
  4. 秋田小原節
  5. しばてん踊り
  6. 津軽あいや節
  7. 安来節
  8. 風雪の音脈

15分間休憩

  1. 黒田武士
  2. 正調博多節
  3. 秋田長持唄
  4. 酒屋唄
  5. 島唄
  6. 安里屋ユンタ
  7. 牛深ハイヤ節
  8. 津軽じょんから節
  9. 津軽三下り
  10. 津軽よされ節

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星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

安藤政輝リサイタル 宮城道雄全作品連続演奏会10

2008年2月22日(金)開催
(東京・紀尾井小ホール)

偉大な音楽家、宮城道雄師の最年少の愛弟子といわれる安藤政輝師。師が平成2年から長期にわたって続けている”宮城道雄全作品連続演奏会”。これまでに113曲を弾き、今回で10回目を迎えたという演奏会は、昭和4〜6年の作品が中心。今や日本を代表する”お正月の曲”となった感もある「春の海」ほか、子供たちのために書いた童曲の数々など、作曲家としての多彩さが楽しめるコンサートとなりました。

文:笹井邦平

坊やの恩返し

「春の海」は新年や慶事のテーマソングとしてマスコミ・ショッピングモール・イベントなどで流れる人気曲である。ただこれが古典箏曲の代表曲と誤解されがちだが、宮城道雄作曲(昭和4・1929)の曲で、江戸時代の地歌・筝曲とはテイストが全く異なる。歌中心の古典曲ではなく器楽曲で、尺八が箏の伴奏ではなく箏と同じスタンスで合奏する意図を持って創られた当時の現代曲なのである。初めて聞いた時宮城夫人は「まるで民謡みたいね」と評したと云われ、そのポピュラーな曲想が人気曲となっているのだと私は思う。

宮城師の没後50年を経て宮城社以外でその作品が演奏される機会が増え、宮城曲はブレイクの兆しをみせているが、平成2年(1990)より「宮城道雄全作品連続演奏会」を続けている愛弟子がいる。その演奏家は安藤政輝師、宮城師より〈坊や〉と呼ばれ存命する門人の中ではおそらく最年少の弟子で、これまでに113曲を演奏し今回10回目の演奏会を開催する。これは数多の教えを受けた偉大な師への恩返しと私は思う。

童曲に残る昭和の匂い

「町の物売」

今回演奏するのは昭和4年(1929)より6年(1931)までの作品、「秋の草」「ピョンピョコリン」「一番星二番星」「赤い牛の子」「雪のペンキ屋」「鼻黒鼻白小僧さん」「泣いているとんぼ」「町の物売」「春の水」「遠砧」「こほろぎ」「富士の高嶺」「雲のあなたに」「春の海」「高麗の春」の15曲。

出演は安藤師の門人と尺八は藤原道山さん、そして宮城作品の一ジャンルを形成する〈童曲〉と云われる子供のための作品を歌う子供たち。

宮城曲の歌物はキーが高い、それは自身が高音域の声の持ち主だったそうで、大人は当然裏声で子供がやっと地声で届く高さだ。昭和初期を彷彿させる着物姿で一生懸命歌う子供たちに惜しみない拍手が贈られる。

そこには近代化の波が打ち寄せ引いたあとに砂浜に残ったセピア色の昭和初期の文化と生活の香りが色濃く漂っている。

極彩色の「春の海」

〈童曲〉以外の「秋の草」「春の水」「遠砧」「富士の高嶺」「雲のあなたに」「高麗の春」は歌物で、それぞれそ美しさ・儚さを綴る歌詞に美しく豊かな情緒溢れるメロディが付いている。そして「こほろぎ」「春の海」は器楽曲ながらその抒情性は歌物を凌ぐテンションで伝わってくる。

もちろん安藤師と道山さんの名演によるものだが、特に「春の海」は盲目の宮城師が描く潮風が甘くさえ思われる春の穏やかな海辺の情景がゴッホの絵画の如く極彩色で描かれている。ただ、いつも聴く「春の海」と尺八の手が微妙に違うように感じられたが、後日演奏会で道山さんに会った時に伺ったら、初演の吉田晴風師の譜を使った-とのこと。80年を経て演奏家によって微妙に変わってきているのだという。


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天才の息遣い

他会派の演奏も幾度か聴いているが安藤師の演奏は〈本家〉の趣がある。それは楽譜で教わったのではなく宮城師の息遣いや感性を目の当たりにした人にしか表現できぬ宮城道雄という稀代の天才の血の通った音楽になっている。それを次代に伝えるためこの演奏会は最後の作品まで完結して欲しい。

15曲中10曲尺八を演奏した藤原道山さんと解り易く丁寧な解説をした宮城道雄記念館資料室の千葉優子さんの強力なサポートに拍手を贈る。

写真提供:安藤政輝

安藤政輝(あんどう まさてる)

宮城道雄・宮城喜代子・宮城数江に師事。宮城会第1回コンクール第1位。東京芸術大学大学院博士課程修了。日本で初めての音楽家による博士(学術博士)として日本音響学会、国際音響学会、音楽教育国際会議、日本音楽教育学会等において論文発表および演奏・講演等。(英)ケンブリッジ大学サマースクール、(米)アーラム大学における教授活動の他、カーネギーホール、ムジークフェライン、サラエボ国際ウインターフェスティバルにおける演奏など海外でも活動。 1972年より現在までに23回のリサイタルを開催。1990年からは「宮城道雄全作品連続演奏会」を開始、継続中。『生田流の箏曲』(講談社 13刷)、ビデオ『箏〜さくらを弾きましょう〜』(ビクター伝統文化振興財団)などの著作がある。現在、東京芸術大学教授。輝箏会・箏グループかがやき主宰。 ホームページURL:http://www.h2.dion.ne.jp/~masando/

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

山本邦山尺八合奏団演奏会

2007年12月20日(木)開催

(紀尾井小ホール)

人間国宝の尺八奏者、山本邦山師が中心となって平成16年に発足した山本邦山尺八合奏団。その第二回演奏会が2007年12月20日・紀尾井小ホールで行なわれました。いわゆる古典本曲や三曲の世界とは異なる、合奏団ならではのさまざまな尺八アンサンブルが楽しめるコンサートとなりました。その模様をお届けします。

尺八アンサンブルの極致

文:星川京児

「尺八協奏曲Ⅱ」
「尺八協奏曲Ⅱ」

真竹の根本に開けられた五穴だけですべてを表現する。まことに不自由の極致のような楽器でありながら、それ故に、無限の自由を獲得したのが尺八。といってもそれはほんの少し前に得た評価である。幾人かの名人、上手の努力の上に成り立ったものであることはいうまでもない。山本邦山はその筆頭といえる現・人間国宝。

それまで伝統という枠に閉じ籠もり、いたずらに宗教性を強調したり、伝統的なペンタトニックだけの音世界を繰り返してきた尺八を、今日のような世界的な楽器に育てたのは武満徹作曲『ノヴェンバー・ステップス』(1967)であり、山本邦山のアルバム『銀界』(1970)であった。特に後者は、虚無僧以来、尺八の持つ緊張感と癒しを、ジャズというある種フリーフォームな音空間に展開させることを可能にした画期的な作品だ。同時に、山本邦山という天才がいなければ生まれ得なかった作品でもある。以来多くの追随者が現れるも、未だ超える盤が思いあたらないことでも明らか。

今回の舞台は平成16年に発足した山本邦山尺八合奏団、第2回目のもの。いわゆる古典本曲や三曲などでは味わえない、合奏団ならではの驚きに満ちたステージである。

「鼎」
「鼎」

総勢17人の尺八という山本真山「尺八協奏曲Ⅱ」では竹の音の重なりが新鮮。時にストリング・アンサンブルのような倍音が美しい。十七絃を支えに繰り広げる杵屋正邦「尺八四重奏曲」では四つのパートが二管のダブルで、強弱の収斂と音階移行による印象変化が光る。唯是震一「三曲第二番」は構成的には洋楽色が強いのだが、三絃の立ち上がりや箏の余韻が不思議な緊張感を。松本雅夫「鼎」はまさにタイトルどおり、三つのパートのぶつかり合いが生み出す響きのうねりが興味深い。ある部分ミュージシャンズ・チューンといった趣もある作品だが、この遊び心はあらゆる音楽愛好家に通じるはず。

そして八橋検校の「みだれ」で山本邦山本人が登場。箏本手が中島靖子で替手が唯是震一という豪華版である。面白いのは、ここだけ隔絶した音楽世界になるはずなのに、全体の流れの中にあって違和感が全くないこと。古典音楽の旋律、和声、拍節感覚そのままでありながら、新作群と見事に調和している。奏者の音楽観が確立しているからこそなのだろう。

そして盟友・沢井忠夫の「雪ものがたり」に繋がってゆく。子供のための舞踊組曲として書かれたというだけあって、きわめて明快な展開。山本昌之の語りもあり、箏、十七絃に尺八という強烈な個性が、まんま白銀の色彩に溶けてゆく。まさに手練れたちの押さえた名演。これもこういうステージでしかお目にかかれない逸品といえよう。

「衆籟」
「衆籟」

最後は自らの棒による「衆籟」。18人の奏者による四重奏だが、音のぶつかり合い、絡み合いは実にスリリング。単に音域や構造的なレベル超えて、この楽器を知り抜いたものにしか書けない作品。パガニーニやショパンの例を引くまでもなく、あるジャンルの作品レベルがブレーク・スルーするということはこういうこと。後半のソロの持ち回りは、演奏家はまず個性的でなければならないという命題を、きっちりと形にしたもの。尺八版「WE ARE THE WORLD」。川村泰山や藤原道山、田辺洌山、頌山など、多くの弟子を育てた山本邦山ならではの、ちょっと早いお年玉かも。なんてことを考えてしまった。

写真はリハーサル時に撮影

プログラム

尺八協奏曲Ⅱ(山本真山作曲)
独奏尺八:山本邦山
第Ⅰ尺八:難波竹山 田辺洌山 武田旺山 藤原道山 迫 成山
第Ⅱ尺八:川村泰山 田辺頌山 渡辺紅山 安島瑶山
第Ⅲ尺八:野村峰山 渡辺峨山 谷田嵐山 櫻井咲山
第Ⅳ尺八:酒井帥山 秦 瓢山  設楽瞬山 二代石垣征山
指揮:山本真山

尺八四重奏曲(杵屋正邦作曲)
第Ⅰ尺八:田辺洌山 安島瑶山
第Ⅱ尺八:田辺頌山 武田旺山
第Ⅲ尺八:渡辺峨山 設楽瞬山
第Ⅳ尺八:渡辺紅山 秦 瓢山
十七絃:合田雅楽葉 田村雅釉徽 吉川雅楽巴里

三曲第二番(唯是震一作曲)
箏:山本雅萃 久松雅紗恵 水野雅千穂
三絃:山本雅專 吉田雅鳳 瀬志本雅楽華
尺八:酒井帥山 渡辺紅山 武田旺山 藤原道山

鼎(松本雅夫作曲)
第Ⅰ尺八:野村峰山 田辺頌山
第Ⅱ尺八:川村泰山 山本真山
第Ⅲ尺八:難波竹山 田辺洌山

みだれ(八橋検校作曲)
箏本手:中島靖子
箏替手:唯是震一
尺八:山本邦山

雪ものがたり(沢井忠夫作曲)
語り:山本昌之
箏:山本雅萃 久松雅紗恵 中島雅楽彩智 水野雅千穂
十七絃:山本雅專 黒川雅瞳 吉川雅楽巴里
尺八:山本真山 谷田嵐山 迫 成山 安島瑶山 櫻井咲山 二代石垣征山

衆籟(山本邦山作曲)
第Ⅰ尺八:川村泰山 山本真山 渡辺紅山 藤原道山 櫻井咲山
第Ⅱ尺八:酒井帥山 田辺洌山 谷田嵐山 設楽瞬山 二代石垣征山
第Ⅲ尺八:野村峰山 田辺頌山 秦 瓢山  迫 成山
第Ⅳ尺八:難波竹山 渡辺峨山 武田旺山 安島瑶山
指揮:山本邦山

 

星川京児(ほしかわ きょうじ)

1953年4月18日香川県生まれ。学生時代より様々な音楽活動を始める。そのうちに演奏したり作曲するより製作する方に興味を覚え、いつのまにかプロデューサー。民族音楽の専門誌を作ったりNHKの「世界の民族音楽」でDJを担当したりしながら、やがて民族音楽と純邦楽に中心を置いたCD、コンサート、番組製作が仕事に。モットーは「誰も聴いたことのない音を探して」。プロデュース作品『東京の夏音楽祭20周年記念DVD』をはじめ、関わってきたCD、映画、書籍、番組、イベントは多数。

第一回 徳丸十盟 尺八演奏会

2007年12月15日(土)開催

(紀尾井小ホール)

日本はもとより、海外での演奏など幅広い活動で知られる琴古流尺八奏者・徳丸十盟さん。当財団の邦楽技能者オーディション第1回合格者でもある徳丸さんの初リサイタルが、満を持して2007年12月15日・紀尾井小ホールで行なわれました。尺八の奥深い音色、共演者を迎えての華やかな合奏で観衆を魅了した演奏会の模様をレポートします。

文:笹井邦平

師への報恩として

琴古流尺八の徳丸十盟(とくまるじゅうめい)さんが初リサイタルを開催、箏曲のリサイタルや演奏会で活躍している徳丸さんだが、初リサイタルとは意外な感がある。

「二十代後半か三十代前半くらいの頃、周囲のリサイタルブームに少し焦り、師匠(故山口五郎師)に自分もするべきかと相談しましたら、『焦らなくても必ずそういう時がくるから大丈夫、周りが押してくれるから』とのお答えで、未熟者をやんわりとなだめていただきました。以来自分の演奏会はもういいかなと思っていましたが、師匠へのご恩返しということを考えた時、何がご恩に報いることになるのか……こんなことが動機といえば動機です」と徳丸さんは公演前の私の取材に答えてくれた。

次世代の21世紀バージョン

「鹿の遠音(しかのとおね)」尺八:徳丸十盟、青木彰時
「鹿の遠音(しかのとおね)」尺八:徳丸十盟、青木彰時

序曲は琴古流尺八本曲「鹿の遠音(しかのとおね)」を青木彰時(あおきしょうじ)さんとの尺八二重奏。〈尺八本曲〉とは箏や三絃と合奏しない尺八のソロで、江戸時代虚無僧が諸国行脚をしながら吹いた楽曲である。

「鹿の遠音」は雌雄の鹿が奥山で鳴き交わす様を表すと云われ、交互のソロから入りクライマックスにはデュオになる。競演の青木さんは徳丸さんと同世代、共に次代のホープと云われ、呼吸も合って一幅の錦絵のような情景が描き出される。

「五段砧(ごだんぎぬた)」箏:藤井昭子 尺八:徳丸十盟
「五段砧(ごだんぎぬた)」箏:藤井昭子 尺八:徳丸十盟

私は徳丸さんの師・故山口五郎師と青木さんの父君・青木鈴慕師の名演を聴いているので、次世代がその芸を継承してのチャレンジは「鹿の遠音」21世紀バージョンといえるだろう。

2曲目は光崎検校作曲「五段砧(ごだんぎぬた)」を藤井昭子(ふじいあきこ)さんの箏と徳丸さんの尺八で合奏。従来は箏の低音(本手)と高音(替手)の二重奏だが、低音パートを尺八でカバーする――というバージョン、箏も尺八も音色がクリアでノリも良くリズミカルで軽快な器楽合奏となる。

奥深さと華やかさと

「真虚霊(しんのきょれい)」尺八:徳丸十盟
「真虚霊(しんのきょれい)」尺八:徳丸十盟

3曲目は琴古流尺八本曲「真虚霊(しんのきょれい)」。琴古流本曲の中でも完成度の高い名曲と云われ、ライトの落ちたステージに微かに妙音が流れライトがフェイドインしていく。微妙に掠れるような低音が美しく、それは洋楽のビートの聴いた低音ではなく地の底より沸いてくる如き呂音(りょおん)、その深くて豊かな宇宙サウンドは聴く者を異次元空間へといざなってくれる。

トリは光崎検校作曲「七小町(ななこまち)」を藤井泰和(ふじいひろかず)さんの三絃、藤井昭子さんの箏、徳丸さんの尺八の三曲合奏で華やかに締める。徳丸さんは藤井兄妹とはやはり同世代で公私ともに親しく、母の故藤井久仁江師に可愛いがってもらったと言う。

「七小町(ななこまち)」箏:藤井昭子 三絃:藤井泰和 尺八:徳丸十盟
「七小町(ななこまち)」箏:藤井昭子 三絃:藤井泰和 尺八:徳丸十盟

小野小町をモチーフにした能楽の七つの作品より詞章をダイジェストしたもので、〈手事(てごと・長い間奏)〉は三人の伯仲した力量が互角にぶつかる力感溢れる演奏に客席が静まり返る。

地味なイメージながら奥深く輝くような魅力を持つ〈尺八本曲〉2曲とメリハリの効いた華やかな光崎検校作品が2曲――というプログラムは徳丸さんの満を持しての気概と蓄積された芸が同時に開花したインパクトのある初リサイタルとなった。

写真はリハーサル時のもの

略歴

藤井泰和

祖母阿部桂子、母藤井久仁江(人間国宝)に箏・三絃を師事。83年東京藝術大学邦楽科卒、85年同大学院修了。86年より国際交流基金の派遣により欧米各地で講義・公演多数。93年より文化庁芸術祭参加公演を含め現在まで13回リサイタルを開催。95、96年高崎芸術短期大学講師を務める。00、01年坂東玉三郎特別公演にて「雪」を共演。06年母藤井久仁江より銀明会会長を任され三代目家元に就任。現在、門下生育成の傍ら、ライブ活動、公演、FMラジオ等で活躍する。NHKオーディション合格、文化庁芸術祭新人賞・優秀賞受賞。
銀明会会長、日本三曲協会参与、生田流協会理事。

藤井昭子

祖母阿部桂子、母藤井久仁江(人間国宝)に箏・三絃を師事。86年より現在まで文化庁、国際交流基金等の派遣による欧米各地での演奏多数。95年第一回リサイタルを開催。以後、07年までに全八回開催。01年6月「地歌ライブ」を開始。以後定期的に開催し、現在まで全三十六回、六〇曲あまりの古典曲を演奏。03年第七回日本伝統文化振興財団賞受賞、CDアルバムを制作。04年12月第五回リサイタル「藤井昭子演奏会」の演奏に対し、第五十九回文化庁芸術祭新人賞受賞。06年7月イギリス・ロンドンにて「藤井昭子地歌演奏会」を開催。現在、九州系地歌箏曲演奏家として演奏会・NHK放送の出演等に活動の場を広げている。

青木彰時

幼少より琴古流尺八を父二代青木鈴慕(人間国宝)に師事。88年小林一城につき尺八の製管技術を修得。92年文化庁芸術インターンシップ生として人間国宝・菊原初子師、菊原光治師に地歌合奏を師事。93年中学校音楽鑑賞用パイオニアLDに「鹿の遠音」収録。95年第1回リサイタルを紀尾井ホールで開催(96年第2回リサイタルを紀尾井ホールで開催)。00年韓国での日韓人間国宝の饗宴に出演。02年東京国際尺八サミットで講義。03年中国、天津音楽学院にて中国楽器との交流演奏会に出演。04年ニューヨーク国際尺八フェスティバルにて講義・演奏。05年ロシア国立モスクワ音楽院ラフマニノフホールで公演。
現在、日本三曲協会参事、琴古流協会理事、東京藝術大学非常勤講師、洗足学園音楽大学現代邦楽講師。

徳丸十盟

幼少より父に琴古流尺八を習う

1984年 東京芸術大学音楽学部邦楽科尺八専攻卒業 在学中、山口五郎師に師事
1988年 東京芸術大学音楽学部音楽研究科(大学院修士課程)修了
1987年 NHK 邦楽オーデイションに合格
1989年 日本・ニューカレドニア文化交流協会の招きによりニューカレドニアに演奏旅行
1990年 スペイン・セヴィーリャにて開催された、世界弦楽器フェスティバルにて演奏
1991年 琴古流尺八竹盟社(宗家山口五郎)師範を取得 竹号 十盟を許される
1993年 国際交流基金の助成により、トルコ・ハンガリー国内各地を演奏旅行
山口五郎師と共に日印音楽交流使節として、インド国内各地を演奏旅行
1994年 国際交流基金の派遣により、アフリカ各国を演奏旅行
1996年 国際交流基金の助成により、アメリカ国内を演奏旅行
1998年 アメリカ・コロラド州ボルダーに於て開催された、世界尺八フェスティバルに招待され講義・演奏 国際交流基金の派遣によりロシア国内・カザフスタンを演奏旅行
1998年 国際交流基金の派遣によりドイツ・イタリア・ベルギーを演奏旅行。
2000年 第一回ビクター邦楽技能者オーディションに合格 記念CDを制作・発売
2003年 東京藝術大学の派遣によりウズベキスタンへ演奏旅行(三月・十月)
2004年 イタリア・パドヴァ市の招聘にて本曲リサイタルを開催
2005年 フランス・パリ、ユネスコ六十周年記念コンサートにて演奏
2006年 国際交流基金の助成によりイギリス・ロンドンにて演奏
2007年 モスクワ音楽院の招聘によりロシアにて講義・演奏

1989〜91年 1993〜95年 1999〜02年
東京芸術大学邦楽科尺八専攻非常勤講師(助手)
2002〜05 東京芸術大学邦楽科尺八専攻非常勤講師

琴古流尺八 雅道会主宰 竹盟社師範 日本三曲協会参事 琴古流協会会員

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。