義太夫を音楽としてよみがえらせる会 3回シリーズ〜略称:道行の会〜第1弾
2008年5月 3日(土)開催
(銀座28’s Live)
女流義太夫の三味線方・鶴澤寛也さんが中心となり、ナビゲイターに伝統芸能に造詣の深い橋本治氏を迎えた”義太夫を音楽としてよみがえらせる会”、略称:道行の会第1弾(全3回)が5月3日銀座28’s Liveで行なわれました。語り物として知られる義太夫節ですが、音楽というアングルから見直そうと開かれた楽しい会の様子をレポートします。
文:笹井邦平
おんなだけの語り音楽
〈義太夫節(ぎだゆうぶし)〉は江戸時代初期に創始された〈浄瑠璃(じょうるり)〉と云われる日本独自の語り物音楽のひとつである(以下〈義太夫〉と記す)。
義太夫と人形芝居とのジョイント〈文楽〉は世界遺産に指定され、義太夫はほかに歌舞伎で語る義太夫、そして素浄瑠璃として女性だけで演奏するのが〈女流義太夫〉である。
明治20年代に若い娘が美しく着飾って語る〈娘義太夫〉がフィーバーして浄瑠璃を語る太夫はアイドルとなり、クライマックスには聴衆がノッテきて「(主人公は)どうする、どうする?」とツッコミしたり、太夫の人力車を追っかけする熱烈な書生(学生)ファンが現れ、彼らは〈ドースル連〉〈オッカケ連〉と呼ばれた。
別のアングルから活性化を
1950年〈女流義太夫連盟〉を結成して〈女流義太夫〉と名乗り、現在人間国宝2名を含む16名が重要無形文化財保持者の総合指定を受け、国立演芸場で毎月定期演奏会を開いているが、文楽や歌舞伎に比して知名度は低く、稽古人口や観客数も伸び悩み低迷状態にあるのが現状(以下〈女義〉と記す)。
それに危機感を抱いた中堅三味線方・鶴澤寛也さんは本屋のギャラリーでライブを開いてビギナーに義太夫をアピールして活性化を図り、今回のライブはその延長線である。
従来語り物とされている義太夫を音楽というアングルから見直そうという試みで、義太夫の中の〈道行(みちゆき–心中・逃避行)〉というジャンルを3回シリーズで演奏する。
橋本節高らかに
出演は浄瑠璃を竹本綾之助さん・竹本土佐子さん、三味線を鶴澤寛也さん・鶴澤駒治さん・鶴澤賀寿さんで、伝統芸能に造詣の深い作家・橋本治氏がナビゲーターを勤める。
まず、初回なので御祝儀として「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」を演奏。金屏風を背に緋毛氈の舞台で華やかな女流の語りと太棹三味線の骨太い響きが心地好い。
次に橋本氏が本日の演目「仮名手本忠臣蔵・八段目–道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)」の歌詞解説と「仮名手本忠臣蔵」全般についてトーク。
「仮名手本忠臣蔵」のもう一人の主役は加古川本蔵であり彼がこのドラマで最も人間味溢れるキャラクター、妻の戸無瀬は後妻のヤンママ、そして娘の小浪が常識人–等々独自の橋本節をまくし立てて1時間聴衆を釘付けにする。聴衆の中には京都より駆けつけた〈橋本フリーク〉も何人かいたという。
悲劇の清涼剤として
メインの「道行旅路の嫁入」は綾之助さん・土佐子さんの丁寧で細やかな語りと寛也さん以下のノリがよくリズミカルな三味線で東海道五十三次を無事に京へ上って目指す山科の大星家へ辿り着く。しかし、ここからが九段目の悲劇の始まり、つまり道行物とは何段もある長編の義太夫の中で重さ・暗さを和らげるための清涼剤のような音楽だと私は思う。ゆえに美しくリズミカルで音楽性豊かな手(メロディ・フレーズ)が付いていて、橋本氏はここに注目したのだ。
寛也さんはデーンと弾き放つ重厚な〈段物(だんもの–語り物)〉よりこのような〈景事(けいごと)〉といわれる音楽性の濃い作品が得手で、その美貌から〈女義のビジュアル系三味線弾き〉と云われている。
本番数日前に寛也さんは私に「橋本さんのトークの添え物にならないよう頑張ります」とメールをくれたが、もちろん橋本氏のトークを凌駕する堂々たるメインプログラムに仕上げた。寛也さんのような花のある演奏家が育ち、女義を活性化してくれる日を待ち望んでいるのは私だけではないはずだ。
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出演者プロフィール
橋本 治(はしもとおさむ)
1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。作家。小説、古典の現代語訳、評論など多彩に活動。主な著に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)『桃尻語訳枕草子』『秘本世界生玉子』『宗教なんかこわくない!』(新潮社学芸賞)『窯変源氏物語』『怪しの世界』『大江戸歌舞伎はこんなもの』『「三島由紀夫とはなにものだったのか」』(小林秀雄賞)『上司は思いつきでものを言う』『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)『ひらがな日本美術史』『双調 平家物語』など。歌舞伎や文楽にも造詣が深く、『橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻』1〜3巻も手がけている。
竹本綾之助(たけもとあやのすけ)
東京都出身
幼少より長唄を習う
1963年 | 三代目竹本綾之助に入門 |
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竹本綾一となる | |
1966年 | NHK邦楽技能者育成会第10期卒業 |
1977年 | 義太夫協会理事就任 |
1986年 | 豊澤仙広賞受賞 |
1998年 | 義太夫協会常務理事就任 |
2000年 | 重要無形文化財総合指定保持者認定 |
2002年 | 四代目竹本綾之助を襲名 |
2005年 | 豊竹嶋大夫の門人となる |
竹本土佐子(たけもととさこ)
1948年 | 竹本土佐尾に入門 |
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1953年 | 竹本土佐子となる |
1954年 | 二代目竹本綾之助の預かり弟子となる |
1959年 | 二代目竹本綾之助没後、学業のため休業 |
1969年 | 再開 |
1986年 | 竹本土佐廣の門人となる |
1992年 | (社)義太夫協会理事就任 |
2000年 | 重要無形文化財総合指定保持者認定 |
2005年 | 豊竹嶋大夫の門人となる |
鶴澤寛也(つるざわかんや)
1983年 | 鶴澤寛八に入門 |
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1985・88年度 | (財)人形浄瑠璃因協会奨励賞受賞 |
1993年 | 豊澤雛代の預かり弟子となる |
1994年 | (社)芸団協助成 新人奨励賞受賞 |
1995年 | (社)義太夫協会理事就任 |
1998年・99年度 | (財)人形浄瑠璃因協会奨励賞受賞 |
2002年 | (財)清栄会奨励賞受賞 |
2003年 | (財)人形浄瑠璃因協会 女子部門賞受賞 |
2005年 | (財)ポーラ伝統文化財団 ポーラ賞奨励賞受賞 |
2007年 | 鶴澤清介の預かり弟子となる |
鶴澤駒治(つるざわこまじ)
千葉県出身
1982年 | 鶴澤駒登久に入門 |
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1985年 | 本牧亭にて初舞台、鶴澤駒治となる |
1990年 | (社)芸団協助成新人奨励賞受賞 |
1990~93年 | 自主公演「なでしこの会」主催 |
2003年より | 三味線弾きの勉強会「たつみ会」主催 |
2004年 | 鶴澤清介の預かり弟子となる |
鶴澤賀寿(つるざわかず)
1997年 | 竹本駒之助に入門 |
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1998年 | 国立演芸場にて「釣女」で初舞台 |
1998年 | (社)義太夫協会新人奨励賞受賞 |
笹井邦平(ささい くにへい)
1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。
(記事公開日:2008年05月03日)