日本伝統文化振興財団創立25周年記念公演

「伝統芸能の現在と未来~古典継承の最前線を聴く~」(2)

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「伝統芸能の現在と未来~古典継承の最前線を聴く~」(1)から続く

第2部(5演目)

1、女流義太夫「本朝廿四孝 十種香の段」

(近松半二・三好松洛・竹本三郎兵衛ほか共作)
浄瑠璃 竹本駒之助(人間国宝)
三味線 鶴澤津賀寿★

女流義太夫は、江戸後期(19世紀初頭)に始まった女性による義太夫語りで、主に人形や歌舞伎を伴わない素浄瑠璃で演奏されます。明治維新後に寄席芸として隆盛をみるようになり、19世紀末から20世紀初頭には歌舞伎と二分するほどの爆発的な人気を得ました。関東大震災(1923年)を契機に、次第に人気を失っていきましたが、女性らしい細やかな中に迫力のある素浄瑠璃の魅力は、今も多くのファンを獲得しています。

《本朝廿四孝 十種香の段》は 大坂竹本座で初演された人形浄瑠璃義太夫です。「十種香」はその四段目で、戦乱の世で争いを続けていた武田信玄と上杉謙信の、それぞれの息子武田勝頼と娘八重垣姫の恋情と、狐の霊力が乗り移った八重垣姫の起こす「狐火」の奇跡が語られます。

(詞章)

〽臥ふし所どへ、
〽行く水の、流れと人の蓑作が、姿見交わす長裃、悠々として一間を立ち出で、
蓑  作「我民間に育ち、人にお面もてを見知られぬを幸いに、花作りとなって入り込みしは、幼君の御身の上に、もし過ちやあらんかと、よそながら守護する某(それがし)、それと悟って抱えしや、ハテ合点の行かぬ」

〽とさしうつむき、思案にふさがる一間には、館(やかた)の娘八重垣姫、許嫁(いいなずけ)ある勝頼の、切腹ありしその日より、一間所に引きこもり、床に絵姿かけまくも、御経読誦の鈴(りん)の音。こなたも同じ松虫の、鳴く音に袖も濡衣が、今日命日を弔いの、位牌に向かい手を合わせ、
濡  衣「広い世界に誰あって、お前の忌日命日を、弔う人も情けなや。父御の悪事も露知らず、お果てなされたお心を、思い出すほどおいとしい。さぞや未来は迷うてござろう。女房の濡衣が、心ばかりのこの手向け、千部万部のお経ぞと、思うて成仏してくださんせ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、なんまいだ」
蓑  作「まことに今日は霜月廿日、わが身代わりに相果てし勝頼が命日、暮れ行く月日も一ひと年とせ余り、南無、幽霊出離(しゅつり)生死(しょうし)と頓ん生菩提(しょうぼだい)」

八重垣姫「申し勝頼様、親と親との許嫁、ありし様子を聞くよりも、嫁入りする日を待ち兼ねて、お前の姿を絵に描かし、見れば見るほど美しい。こんな殿御と添い臥しの、身は姫御前の果報ぞと、月にも花にも楽しみは、絵像のそばで十種香の、煙も香華(こうげ)となったるか。回向しょうとてお姿を、絵には描かしはせぬものを。魂返す反魂香(はんごんこう)、名画の力もあるならば、可愛とたった一言の、お声が聞きたい、聞きたい」と、
〽絵像のそばに身をうち臥し、流涕(りゅうてい)こがれ見え給う。

【プロフィール】
竹本駒之助(たけもと こまのすけ)
《女流義太夫浄瑠璃》【特別出演(人間国宝)】

淡路島出身。大阪にて竹本春駒に入門。文楽の諸師匠方に師事する。1952年二代鶴澤三生を相三味線に東京で演奏活動を始める。53年から豊竹つばめ太夫(後の竹本越路太夫)に師事。96年第26回モービル音楽賞受賞。99年重要無形文化財個人指定保持者(人間国宝)に認定される。2003年紫綬褒章、08年旭日小綬章受章。08年日本伝統文化振興財団よりCD「人間国宝 女流義太夫竹本駒之助の世界」を発売(第64回文化庁芸術祭賞優秀賞受賞)。15年KAAT竹本駒之助公演で第70回文化庁芸術祭賞大賞受賞。17年文化功労者。義太夫節保存会会長。(一社)義太夫協会理事。

鶴澤津賀寿(つるざわ つがじゅ)
《女流義太夫三味線方》/第4回(2000年)受賞者

東京生まれ。1984年竹本駒之助に入門。三味線を四代目野澤錦糸に師事。86年駒之助の義母、鶴澤三生の幼名津賀寿を継ぎ、本牧亭にて初舞台。鶴澤重輝の預かり弟子となって義太夫節三味線の研鑽に努める。94年から師匠駒之助の相三味線として技芸を磨き、本格的な女流義太夫三味線方として活躍するとともに、勉強会「ひこばえ」による研究成果や、花組芝居や郡司かぶきへの参加など、未来を志向した試みにも意欲を示している。
91年度芸団協助成新人奨励賞、95年度豊澤仙廣賞、96年度芸術選奨文部大臣新人賞、97年度清栄会奨励賞を受賞。2018年作曲作品「那須与一弓矢誉」で中島勝祐創作賞を受賞。重要無形文化財「義太夫節」総合指定保持者。

2、 地歌「根曳の松」(詞 松本一翁 /曲 三つ橋勾当/箏手付 中能島欣一)

歌・三弦 藤本昭子★
歌・箏 山登松和★
尺八 善養寺惠介★

地歌は、戦国時代(16世紀)に琉球を経て中国から伝来した三弦楽器を、その当時平家琵琶を伝承していた男性盲人音楽家が琵琶の撥で演奏する三味線に改良したことによって始まった、三味線音楽のなかで最も古い歴史を持つ三味線伴奏の歌曲です。当時の江戸唄に対し、京都・大坂の地の歌であることから「地歌」と称されました。また地歌は、同じ男性盲人音楽家が伝承を担っていた箏曲や胡弓曲とのコラボレーションが盛んに行われ、明治以降は胡弓に代わり尺八が加わる三曲合奏として現代まで広く親しまれています。なお地歌では、三味線を三弦と称することが通例となっています。

《根曳の松》は、19世紀初めに大坂で活動した三つ橋勾当作曲の三弦伴奏歌曲で、「三役物」とも称される地歌で最も重要な曲とされています。三弦と合奏される箏は、大坂の峰崎勾当、あるいは京都の八重崎検校作曲と伝えられます。「根曳の松」は、正月に門口に付ける根の付いた松飾りで、詞章中の「門松」を言い換えて曲名としたものです。本日は流派が異なる生田流と山田流の共演で、山田流の箏は中能島欣一の手付です。

(詞章〉

〽神風や、伊勢の神楽(かぐら)のまねびして、荻にはあらぬ笛竹の、音も催馬楽(さいばら)に、吹き納めばや。(手事)〽難波津の、難波津の、葦原に、【昇る朝日のもとに棲む、田蓑の鶴の声々を、箏の調べに聞きなして。】(手事)〽軒端に通ふ春風も、菜蕗(ふき)や茗荷のめでたさを、野守が宿の門松は、老いたるままに若緑、四方(よも)麗かになりにけり。(手事)〽そもそも松の徳若に、万歳祝ふ君が代は、蓬(よもぎ)が島もよそならず、秋津洲(あきつしま)てふ国の豊かさ。

【プロフィール】
藤本昭子(ふじもと あきこ)
《地歌》/第7回(2003年)受賞者

大阪府出身。九州系地歌箏曲演奏家。幼少より祖母阿部桂子、母藤井久仁江に箏の手ほどきを受け4歳で初舞台。8歳より三弦の手ほどきを受ける。1995年よりリサイタル、2001年より伝統音楽の継承と古典演奏の新たな可能性を追求する場として「地歌ライブ」、08年より全英語解説による「地歌 Jiuta」公演を連続開催。アメリカ、イギリス、オランダ、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スイスなど海外公演も重ねて開催している。
15年4月藤井昭子から藤本昭子に改名。文化庁芸術祭新人賞、伝統文化ポーラ賞奨励賞、文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
生田流協会理事、(公社)日本三曲協会、箏曲女流協会会員。正派音楽院講師。銀明会副会長。

山登松和 (やまと しょうわ)
《山田流箏曲》/第5回(2001年)受賞者。

1966年東京生まれ。祖母山登愛子に山田流箏曲の手ほどきを受け、後に中能島欣一、鳥居名美野に師事。東京藝術大学音楽学部邦楽科で増渕任一朗、六代山勢松韻に師事し、安宅賞を受賞。91年同大学大学院修士課程修了。99年七代山登松和を襲名し、国立劇場にて披露演奏会を行う。山田流を深めるのに重要な河東節、荻江節の三味線を、山彦さわ子、荻江さわに学び、山田流の古典箏曲演奏家として注目を集める。96年河東節の山彦節子より山彦登の名を、2003年荻江さわより荻江登の名を許される。
02年「第一回山登松和の会」で文化庁芸術祭優秀賞を受賞。08年松尾芸能賞新人賞受賞。(公社)日本三曲協会常任理事、山田流箏曲協会理事、跡見学園中学・高等学校課外箏曲講師などを務める。山登会主宰。

善養寺惠介(ぜんようじ けいすけ)
《古典尺八》/第6回(2002年)受賞者

1964年東京生まれ。6歳より虚無僧尺八の手ほどきを受ける。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業、同大学院修士課程修了。同大学在学中は山口五郎(人間国宝)に師事。99年第1回リサイタルを開催以来、現在に至るまで13回を重ね、2017年のリサイタルでは文化庁芸術祭大賞を受賞。2000年2月、尺八教則本「はじめての尺八」(音楽之友社刊)を執筆。02年10月、世界宗教者国際会議(世界銀行主催、イギリス・カンタベリー大聖堂)にて招待演奏。17年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。古典を中心とした演奏活動のほか、関東各地にて尺八普及のための教授活動を行っている。
公式 web site http://zenyoji.jp/

(記事公開日:2018年12月25日)