日本伝統文化振興財団創立25周年記念公演

「伝統芸能の現在と未来~古典継承の最前線を聴く~」(2)

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5、長唄「勧進帳」(詞 三世並木五瓶 /曲 四世杵屋六三郎)

唄 杵屋直吉★、松永忠次郎★、杵屋巳之助、杵屋正則
三味線 今藤長龍郎★、今藤政十郎、松永忠三郎
(上調子) 松永忠一郎
笛 福原 寛
小鼓 藤舎呂英★、堅田昌宏、藤舎呂近
大鼓 望月太津之

長唄は江戸時代、18世紀初期に成立し、歌舞伎の伴奏音楽として現代まで300年にわたって伝承されてきた、「うたもの」に分類される声と三味線による音楽です。歌舞伎の三味線音楽の中で、長唄は「細棹」と呼ばれる最も細い棹の三味線を使い、糸も細く、高い音域で演奏されます。囃子(笛や鼓など)とともに演奏されるのも特徴です。

《勧進帳》は、長唄を代表する名曲で、天保11年(1840)3月、江戸河原崎座で初演された歌舞伎「勧進帳」の伴奏音楽として作られました。兄頼朝に追われた源義経とその家来が、武蔵坊弁慶の機知で安宅の関を通り抜けたという物語を題材にしています。

(詞章)

〽旅の衣は篠懸(すずかけ)の、旅の衣は篠懸の、露けき袖やしおるらん。〽時しも頃は如月の、きさらぎの十日の夜、〽月の都を立ち出でて、〽これやこの、行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の山隠す、〽霞ぞ春はゆかしける。波路はるかに行く舟の、海津(かいづ)の浦に着きにけり。〽いざ通らんと旅衣、関のこなたに立ちかかる。
〽それ山伏といっぱ、役優(えんのう)婆ば塞行儀(そくのぎょうぎ)を受け、即身即仏の本体を、ここにて打ちとめ給わんこと、明王の照覧はかり難う、熊野権現(ゆやごんげん)の御罰(ごばつ)当たらんこと、立ちどころにおいて疑いあるべからず、唵阿毘羅吽(おんなびらうん)欠けんと、数珠さらさらと押し揉んだり。
〽もとより勧進帳のあらばこそ、笈(おい)の内より往来の巻物一巻取り出だし、勧進帳と名付けつつ、高らかにこそ読み上げけれ。〽士卒が運ぶ広台に、白綾袴(しらあやばかま)一重ね、加賀絹あまた取り揃え、御前(ごぜん)へこそは直しけれ。〽こは嬉しやと山伏も、しずしず立って歩まれけり。〽すわや我が君怪しむるは、一期(いちご)の浮沈ここなりと、各々後へ立ち帰る。〽金剛杖をおっ取って、さんざんに打擲(ちょうちゃく)す。〽通れとこそはののしりぬ。〽方々はなにゆえに、かほど賎いやしき強力(ごうりき)に、太刀(かたな)を抜き給うは、目垂れ顔の振る舞い、臆病の至りかと、皆山伏は打ち刀抜きかけて、〽勇みかかれる有様は、いかなる天魔鬼神も、恐れつびょうぞ見えにける。〽士卒を引き連れ関守は、門の内へぞ入りにける。〽ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙(なんだ)ぞ殊勝なる。〽判官(ほうがん)御手を取り給い、〽鎧に添いし袖枕、片敷く隙(ひま)も波の上、ある時は舟に浮かび、風波に身をまかせ、またある時は山背(さんせき)の、馬蹄(ばてい)も見えぬ雪の中に、海少しあり、夕浪の立ち来る音や須磨明石、〽とかく三年の程もなくなく、痛わしやと、萎れかかりし鬼あざみ、霜に露置くばかりなり。〽互いに袖を引き連れて、いざさせ給えの折からに、
〽げにげにこれも心得たり。人の情けの盃を、受けて心を止(とど)むとかや。〽今は昔の語り草。〽あら恥ずかしの我が心、一度見まみえし女さえ、〽迷いの道の関越えて、今またここに越えかぬる、〽人目の関のやるせなや、〽ああ悟られぬこそ浮世なれ。
〽面白や山水に、面白や山水に、盃を浮かべては、流に引かるる曲水の、手まずさえぎる袖ふれて、いざや舞を舞おうよ。〈延年の舞〉〽もとより弁慶は三塔の遊僧、舞延年の時の若、〽これなる山水の、落ちて巌に響くこそ、鳴るは瀧の水、鳴るは瀧の水、〈瀧流し〉
〽鳴るは瀧の水、日は照るとも、絶えずとうたり、疾(と)く疾く立てや手束弓(たつかゆみ)の、心許すな関守の人々、暇申してさらばよとて、笈をおっ取り肩に打ちかけ、〽虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して、陸奥の国へぞ下りける。

【プロフィール】
杵屋直吉(きねや なおきち)
《長唄唄方》/第1回(1997年)受賞者

1956年、十五世宗家杵屋喜三郎(長唄唄方、人間国宝)の次男として生まれる。祖父は十四世杵屋六左衛門、叔父は杵屋寒玉。幼い頃から祖父と父に手ほどきを受け、60年に初舞台を踏む。68年杵屋直吉を襲名し、翌年歌舞伎公演初舞台。78年に青山学院大学経営学部を卒業後、本格的な修行を始め、唄方として頭角をあらわす。歌舞伎座、国立劇場、NHK 放送、海外公演などで活躍し、95年より歌舞伎に立唄として出演。長唄演奏会、共演のレコードやCDの実績も多数。
99年松尾芸能賞邦楽新人賞受賞。(一社)長唄協会、杵屋会、一中節都会(十一世都一中に師事、芸名は都吉中)に所属。長唄「直竹会」「あさぎ会」「邦友会」主宰。

松永忠次郎(まつなが ちゅうじろう)
《長唄唄方》/第12回(2008年)受賞者

1967年東京生まれ。72年、父、松永鉄庄治(鐵十郎)のお浚い会にて初舞台。同年、家元九世松永鉄五郎に入門する。85年から長唄を杵屋直吉に、三味線を松永忠五郎に師事し、高校卒業後、本格的に長唄の道に進む。87年に松永鉄裕輝の名を許され、以後歌舞伎、演奏会、舞踊会、NHK放送等に出演する。93年、五世松永忠次郎を襲名。94年から河東節を山彦節子(人間国宝)に師事し、96年に十寸見東裕の名を許されて河東節浄瑠璃方としても活動する。
主に坂東玉三郎の公演に出演するほか、海外でも歌舞伎公演、長唄演奏会に多数参加している。(一社)長唄協会、松永同門会、十寸見会、(一財)古曲会に所属。長唄伝承曲の研究会主宰。

今藤長龍郎(いまふじ ちょうたつろう)
《長唄三味線方》/第9回(2005年)受賞者

1969年東京生まれ。長唄唄方今藤尚之を父に、藤舎流笛家元藤舎秀蓬を祖父に、藤舎名生、中川善雄を叔父にもつ。79年今藤綾子に入門し、80年初舞台。85年四世家元今藤長十郎より今藤長龍郎の名を許される。91年東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。在学中は菊岡裕晃、田島佳子、味見亨、清元栄三郎、常磐津英寿、望月左吉、寶山左衛門に、卒業後は今藤綾子、今藤尚之、藤舎名生に師事。NHK、国立劇場、紀尾井ホール、歌舞伎座等に出演し、2003年「錦秋花形歌舞伎」でタテ三味線を勤める。16年市川染五郎(現、松本幸四郎)ラスベガス歌舞伎公演「獅子王」作曲。古典を現代に活かした作品の創作にも取り組む。
長唄五韻会、現代邦楽作曲家連盟、創邦21同人。国立音楽大学非常勤講師。

藤舎呂英(とうしゃ ろえい)
《藤舎流囃子方》/第10回(2006年)受賞者

1966年大阪生まれ。祖父は望月太津市郎、父は藤舎呂浩と代々囃子方の家系。74年から祖父に手ほどきを受けた後、父に指導を受ける。85年、宗家藤舎せい子に入門。89年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業。藤舎呂英の芸名を許される。現在は六世家元藤舎呂船に師事。
囃子方の職分である小鼓、大鼓、太鼓といった多岐にわたる楽器全般に優れた才能を発揮し、特に小鼓の技量に高い評価を受けている。放送、舞台はもとより、洋楽とのコラボレーション、海外公演、創作作品の作調など、活動の領域を広げている。

【解説 日本伝統文化振興財団(琉球舞踊を除く)】

【日本伝統文化振興財団賞】とは⇒詳細はコチラ

(記事公開日:2018年12月25日)