深海さとみ 箏リサイタル―古典を現代にIX―
2011年1月23日(日)開催(津田ホール)
深海さとみ師が毎年開催している「古典を現代に」シリーズ。第9回目となる今年は古典的な奏法が基調となっている現代曲をとり揃えたプログラム。深海師の箏独奏と歌を中心に、深海合奏団の迫力のある合奏で締めくくられ、会場は惜しみのない拍手に包まれました。そんな素晴らしいリサイタルの模様をお伝えします。
※深海の「海」の字は、正しくは旁の下側が「母」の「海」となります。
時代と世代を越えた、古典と現代の出会いの形
文:中山久民
箏曲の深海さとみのリサイタルはこれまでに「箏の音を探る」、「女の情念」といったシリーズを重ねて、今回は「古典を現代に」と題されたシリーズの第9回目だった。演奏されたのは4曲の現代曲だが、奇をてらうといったところはなく、伝統的な手法を念頭において作曲されたものばかりだった。
1曲目となる廣瀬量平作曲の「夢幻砧―五段砧による変容―」(箏独奏)では、唸りか声かという色合いの詩歌が、川霧の彼方から箏の音色にまとわりつき、箏の胴をたたく音などを交えた奏法と一体となり、砧の情景を思わせた。
2曲目の高橋久美子作曲による「梓弓―謡曲〈葵の上〉より―」(箏独奏)では、片肌脱いでの琵琶法師による語りものを想像したほど熱くパワフルな演奏が展開され、光源氏を愛したが故の嫉妬が恨みとなっていく女の悲しさをうかがわせる。初演(2010年)では尺八の藤原道山との共演だったというから、その録音もぜひ聴きたいと思えてくる。
3曲目の肥後一郎作曲の「柳川詩曲」(箏独奏)は、北原白秋の詩集「思ひ出」より三つの詩をとり入れたもの。ゆったりと歌われる「曼珠沙崋」と軽快な「あひびき」、変化に富んだ曲調の「紺屋のおろく」と披露される。筆者のように日本と外国のポップスに近い現場で仕事をしてきた者にとっては、箏がポピュラー界でのピアノやギターの弾き語りと二重写しに見えてきたりもする。箏や三絃といった日本の伝統楽器が本来的にもっている詩歌との関わり方、箏が持つ弾き歌いの本来的な演奏の姿といったものが、この曲を通じて強く印象づけられた。
4曲目の肥後一郎作曲による「絃歌」(箏合奏)では、深海を含めて総勢13名の箏奏者(内3名は十七絃)による深海合奏団が、揃いの着物姿で並んでの合奏となる。ファンタジーやアクション映画のサウンドトラックを想像させるドラマティックな曲調で、その室内楽的なアンサンブルによる響きは今日的なものだった。そこでのビート感や低音を出していた十七絃箏がよく響いて聴こえる。この曲の初演が1982年の沢井忠夫合奏団(※注1)だったと知り、そうだったのかと納得できる現代的な様子の曲でもあった。
現代曲でありながら先祖帰りをしているとでもいうか、今の空気のなかに伝統的、古典的な表現が研ぎ澄まされ、磨かれているという実感が静かに湧いてきた。そういった表現が、身の回りの所作・作法に生きていることを、思い出せば何気なく気づかせる演奏でもあった。それだけに今回は「古典を現代に」と題されたシリーズの意図、深海の思いをとくに強く感じさせるリサイタルとなっていた。そこでは現代美術におけるセザンヌ(※注2)以前と以後、ポピュラー界でのビートルズ以前と以後などを思い出させ、宮城道雄以後の世代の箏奏者による時代と世代を越えた、古典と現代の出会いのひとつの形を見せてもらえたという印象も残った。
写真撮影:間野真由美
※注1
沢井忠夫合奏団 箏曲家、作曲家の沢井忠夫(1937-1997)を中心に1979年発足。
※注2
セザンヌ(Paul Cézanne、1839-1906)フランスの画家。近代絵画の父と称され、20世紀の絵画に影響を与えた。
■プログラム
〈謡曲より〉夢幻砧 ―五段砧による変容―
廣瀬量平作曲
箏・声による(改訂初演)梓弓 ―謡曲「葵の上」より―
高橋久美子作曲
〈現代に息づく古典の息吹〉柳河詩曲
北原白秋作詩/肥後一郎作曲
絃歌
肥後一郎作曲
<出演>
深海さとみ
深海合奏団
毛塚珠子 轟木美穂 後藤幹子 竹内聖 荒関裕子 平田紀子 石田真奈美 鈴木麻衣 綿貫裕子 吉川あいみ 安嶋三保子 伊藤江里菜
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■関連作品
「二曲一双/深海さとみ―古典を現代にⅡ―」(VZCG-656)
「秋風幻想 古典を現代に/深海さとみ」(VZCG-318)
中山久民
『CDジャーナル』元編集顧問。タウン誌『新宿プレイマップ』編集部を経て、『美術手帖』で批評連載を始める。音楽之友社の『オン・ブックス』シリーズをきっかけにミュージック・マガジン社、講談社、音楽出版社などで音楽書&音楽誌の編集プロデュース作業を行なう。著書に『多量な音の時代』(音楽之友社)、『プロフェッショナル・ロック』(共著・キョードー東京)がある。
(記事公開日:2011年01月23日)