第1回 望月晴美 囃子演奏会

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2005年10月25日(火)開催
(紀尾井小ホール)

2005年10月25日、紀尾井小ホールで行なわれた第1回 望月晴美 囃子演奏会。「新の会」のメンバーで知られる望月晴美さん。満を持して開かれた「女性の囃子方として歩いていくための新しい第一歩」の模様をレポートします。

文:笹井邦平

自分を表現する場を

素囃子「猩々意想曲」
素囃子「猩々意想曲」

長唄は〈唄〉〈三味線〉〈囃子〉の3パートに別れ、現在はどのパートも女性が活躍しているが、ひと昔前は歌舞伎や舞踊会の地方(じかた・バックミュージシャン)は男性に限られていた。

大相撲の千秋楽の表彰式で女性の文部大臣が土俵に上がれなかったことがあり、国技や伝統芸能の世界には女性差別の因習が根強く残っていた。そんな差別をなくして男女平等に自らを表現する機会を得よう−という機運が〈長唄囃子〉の分野にも萌芽し、20年ほど前より女性の囃子方による「女流囃子演奏会」が立ち上がり、現在「新の会」と改名をして年1回の公演を重ね来年15周年を迎える。

望月晴美(もちづきはるみ)はこの「新の会」のメンバーの1人、「自分を表現する場を持ちたい」という永年の夢を叶えて満を持して初リサイタルを開催した。客席はこの日を待ち望んだファンで溢れ、様々なジャンルの邦楽演奏家・関係者の顔も垣間見えて超満員。

雛人形の優雅さ

「龍笛と大太鼓による即興曲」
「龍笛と大太鼓による即興曲」

前半は四世藤舎呂船(よんせいとうしゃろせん)作曲・二世藤舎名生(にせいとうしゃめいしょう)笛作調・素囃子(すばやし)「猩々意想曲(しょうじょういそうきょく)」、伊藤松博(いとうまつひろ)作曲「龍笛と大太鼓による即興曲」、矢吹誠(やぶきまこと)作曲・望月晴美作調・今藤美知(いまふじみち)節付・委嘱初演「咲いた桜」の3曲。

「猩々意想曲」の〈猩々〉とは中国の伝説上の酒好きの獣、能や長唄にもある曲を囃子だけで構成したもの。舞台で演奏する出囃子(でばやし)の楽器は笛・小鼓・大鼓・太鼓でこれを〈四拍子(しびょうし)〉といい、能楽囃子ではこれに謡(うたい)が入って5人で演奏する〈五人囃子〉が基本で、今回はこれに脇鼓(わきつづみ)1人が入り6人で演奏する。全員女性による優雅でしなやかな鼓や笛太鼓の音色は雛人形の〈五人囃子〉を彷彿させ、晴美の打つ太鼓の時に柔らかく時にピーンと引き締まる緩急自在な音色が光る。

「咲いた桜」
「咲いた桜」

「龍笛と大太鼓による即興曲」は晴美の大太鼓と松尾慧(まつおけい)の龍笛(りゅうてき)との競演。龍笛は雅楽の横笛で「安倍晴明」など平安時代の時代劇に出てくる笛、晴美のおおどかな大太鼓と松尾のたおやかな龍笛の音色のコントラストが心地良い。

「咲いた桜」は「さくらさくら」を現代風にアレンジした箏・十七弦・尺八・竹マリンバとのコラボレーション。晴美は大鼓を打ちながら唄い、大鼓の「カーン」という乾いた甲音(かんおん・高音)と箏・竹マリンバの湿った音の絡みが絶妙で囃子の新しいアングルが見える。

女流囃子に市民権を

義太夫「日本振袖始−大蛇退治之段」
義太夫「日本振袖始−大蛇退治之段」

後半は四世藤舎呂船作調・義太夫「日本振袖始(にほんふりそではじめ)−大蛇退治之段(おろちたいじのだん)」。スサノオの尊がヤマタノオロチを退治する神話を近松門左衛門が義太夫にした作品で、父・竹本綱大夫(たけもとつなたゆう)の語る義太夫に晴美は小鼓を打ち込む。小鼓の活躍するフレーズは少ないが、ラストナンバーに相応しく厳かで華やかな盛り上がりをみせた。

4曲聴き終わって気がつくと晴美は太鼓・大太鼓・大鼓・小鼓と囃子の打楽器全てを演奏したことになる。これは〈女流囃子〉を一般にアピールしようとする彼女のメッセージにほかならない。

「ほかの邦楽のジャンルでは女流でも名人であればきちんと評価され、人間国宝も居てジャンルとして認められています。認知されていないのは〈囃子〉そのものが主体的立場にないからで、演奏会も私達がやらないと世の中は動いていかない」とリサイタル前に「邦楽ジャーナル」誌のインタビューに彼女は語った。

伝統芸能の世界にもウーマンパワーが台頭し始め、女性が市民権を得る春の足音が聞こえる。「咲いた桜」を見る日は近いようだ。

写真提供:新井常夫(舞ビデオ)

望月晴美(もちづき はるみ)

mochiduki1965年、東京日本橋浜町生まれ。
母、祖母ともに望月流女性囃子方、父は義太夫節の太夫。
幼少より囃子の楽器に親しみ、六歳の時、日刊工業ホールにて初舞台。
その後、宗家藤舎せい子に師事し、本格的に囃子を学ぶ。
又、長唄を今藤美知、江戸里神楽を若山胤雄に師事。

1988年 東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業(長唄囃子専攻)
1990年 同大学院音楽研究科修了
在学中は、長唄囃子を三世望月左吉、望月太喜雄に、能楽囃子観世流太鼓を観世元信、打楽器を有賀誠門に学ぶ
1988年 皇居桃華楽堂での「音楽大学卒業生演奏会」にて御前演奏
1990年 邦楽グループたまゆら公演にゲスト参加(以降、メンバーとなる)
長唄 第一回此君会の囃子を担当(以降、2004年の最終回まで)
1991年 国際交流基金による日本舞踊ソビエト公演に参加
1992年 女流囃子演奏会(現「邦楽囃子 新の会」)の発会に参加
1994年 広島アジアウィークTERA PACIS アジア民族舞踊音楽祭に参加
1998年 第二十五回 NHK古典芸能鑑賞会に出演
2002年 女性長唄グループThe Gold Fingersの発足に参加
2004年 第十一回日本フルートフェスティバルにゲスト参加
2005年 サントリーホール主催デビューコンサート二〇〇五「極楽邦楽」参加
笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。

(記事公開日:2005年10月25日)